寝るな、眠ったら死ぬよー、と声が聞こえた気がした。
無論そんなものは幻聴だ。空耳に違いない。人が来ないからこそのこの場所なのだ。
冬弥の新しい趣味発見。寒い場所で寝てる。冬弥はマゾ。彰に伝えてこよう。
また幻聴か。いやまて。少しだけ疑うのを止めて信じてみよう。
冬弥が目を開くと、そこには河島はるかがいた。
「……はるか?」
「そうなの?」
質問に疑問符で返された。
「いやお前、はるか以外の何者でもないだろ」
「へー。びっくり」
「嘘吐け」
「うん。うそ」
「それで、なんで……こんなところにいるんだ?」
「ん。散歩」
「そうか散歩か。……って、それはないだろ!」
「じゃあ四歩」
「じゃあってなんだ、じゃあ、って」
しばらく悩むはるか。
冬弥が口を開こうとした瞬間に、ぽん、と手を叩く。
「冬弥はわがままだ」
「いや、はるかほどじゃないけどな」
「あはは」
「だから、なんでそこで笑うんだか」
「冬弥だから」
冬弥だから、その一言でなにもかもが説明出来るとでも言いたげだった。
思い出したように、はるかが動いた。背中にしょったリュックをごそごそと探る。
大きな包みが出てきた。冬弥が驚く。視線に気付いたのか、はるかが差し出してきた。
「……これあげる」
「それ、なんだ? 結構大きいけど」
「七面鳥」
「……本当に?」
「ん」
頷くはるか。
冬弥は受け取った。
包みを開こうとした彼の手に、すぐさまもう一個渡された。
一端、まだ開けていない七面鳥の包みを床に置く。
手に置かれたのは赤ワインだった。かなりの上物らしい。綺麗な色をしていた。
「これも」
「いいのか?」
「うん」
一瞬の間。
「たぶん」
「……たぶんって」
「クリスマスプレジデント」
大統領かよ。
クリスマスプレゼント、と冬弥の脳内でエンコード。
「あ、……ああ。ありがと」
「ちなみに、一万円でいい」
「金取るのかっ!?」
「大丈夫。もう冬弥の貯金から下ろしてあるから」
「そうか。……って暗証番号はどうした!?」
「ん。秘密」
「はるか……鬼かお前」
くるりと振り返って、そのままドアを開ける。
覗き込んだ冬弥の目には、まだまだ弱まらない吹雪が在り続けている。
躊躇わずさっさと出ていくはるか。本当に散歩に来ただけのような風体だった。
言葉を失っていると、彼女は振り返った。
「……良い夜を」
そのまま夜の闇に溶けるように、冬山に消えた。
風に吹かれてドアが、急激に閉まる。激しい音をたてて、小屋が軋んだ。
ふぅ、と一息。
どうやって来たのか、とか、帰りは大丈夫なのだろうか、とか色々考えたが、冬弥は思考を止めた。
意識はまだぼんやりとしたままで、夢かうつつかも判断出来ないくらいだったから。
数分そうして、彼女が出ていったドアを見つめていた。
冬弥は、ふと我に返る。
道、教えてもらえば良かった……。
もう遅かった。
「ははっ。……青年、道を訊けば良かっただろうに。間抜けだな」
いつの間にかさるぐつわを外した英二が嘲笑う。
「全く。黙って観察していたらわざわざ最後に落ち込むんだもんな。
人生もうちょっと注意深く行かなきゃだめだぜ」
「英二さん……あの。どうやって外したんですか」
「実は小学生の頃、奇術師を目指していたこともあってな」
アンタ何者だ。
「いやまあそれはともかくとして、だ。
青年……うっかりさんで身を滅ぼすとは同情するぞ」
「あの」
「なんだ?」
「下山出来ないのは英二さんも同じなんじゃあ」
気まずい沈黙数秒間。
かち、かち、と聞こえないくらい小さいはずの腕時計の音が聞こえた。
「……ハッ!?」
「気付いてなかったんですか!?」
「青年の挙動が楽しくて、ついつい見てたせいだろうな」
冬弥は、英二を見た。
――この胸の鼓動はなんだろう。この、とりあえず後先考えずに殴って笑いながら思いっきり首を絞めたくなるような感覚はなんだろう。
そういうものが、あふれ出しそうだった。
「青年の感じている感情は恋愛感情の一種だ。鎮める方法は俺が知っている。俺に任せろ」
「嫌です」
即答だった。
任せたら最後。
絞り尽くされる――ッ!!
そんな感じで。
「……つまり、恋愛感情を鎮めたくないわけだな」
ぽっ。
英二は顔を赤くして、照れた。
「よせやい」
ぞぞぞぞっ。
冬弥の背筋にそら恐ろしいものが走った。
「英二さん。なんかキャラ変わってる……っていうか、違うモノ入ってませんか?
ファスナー開けたら宇宙人が入ってるとか。
っていうか、あなたは理奈ちゃんの兄じゃないな! 正体を現せ変態!」
「そんなこと言われても、これはリアルだからなぁ」
「どこらへんが……リアルですか?」
「リアルのなかのリアル。と言えばひとつしかないじゃないか」
「まさかとは思いますが……」
「リア――」「リアルリアリティ、とか言い出さないでくださいね」
「どうす――」「どうすればいいんだ……とかもナシです」
先回りされた英二は、ちょっとだけ寂しそうだった。
「どうす――」「同じネタを二回使うのも不毛ですから止めましょう」
「繰り返しはギャグの基本じゃないか。それから不毛つっても俺はハゲてないぞ。
……そういや青年、小屋に来たときよりも少し生え際が辛くなってないか?」
「まあ苦労とか修羅場の連続でしたから……って誰のせいですか!?
というか、数時間でハゲてたまるかっ!」
「叫ぶなよ。そんなに怒鳴ってるとハゲるの早いぞ?」
「だから! 誰のせいですか! だ・れ・の!!」
「しっかし青年……」
「なんですか?」
かなり睨んでいる冬弥。
「ノリツッコミまで修得しているとはな。
どうだ? 俺と漫才コンビでも組まないか?」
「……」
「もちろんコンビ名は『浮気人生まっしぐら』で決定だ」
「英二さん。実はまだ理奈ちゃんのこと根に持ってません?」
「そんなことはないぜー」
詰め寄る冬弥。英二は逃げられなかった。
ゼロまで距離を縮めたその瞬間。
ガタンッ!! とドアが開く。ぼろっちい小屋が壊れそうな勢いだった。
ひどく寒そうな表情で慌てて小屋のなかに入るが、気温はさほど変わらないのを知って失望の色。
影はかなり怒っていた。今にも怒鳴りそうだった。
感情を抑えた声が、小さな室内に、染み渡る。
「……藤井さん。お久しぶり」
「あれ? マナちゃん……ってなんでこんなところにっ!?」
「青年……まさかうちの理奈だけでなくこんな少女にまで手を出しぐえ」
黙らせた。
正確には、柱にくくりつけられて避けられない英二の口に、もう一度。
さるぐつわ代わりのスカーフを突っ込んだ。
もがいているのを無視して、冬弥はマナに向き直る。
「やっぱり……ホントだったんだ」
「はい?」
「お姉ちゃんの恋人だった……んでしょ……?」
「ええと、お姉ちゃんって?」
「森川由綺」
名前が耳に届いて、冬弥は固まる。
色々思い出す。約一年前に家庭教師をしていた彼女。
一応ある程度は勉強を教えたが、最後の方は理奈へとかかりっきりで、家の方に顔を出さなかった。
そんな少女。観月マナが睨んでいた。
何度か、雑談に出たお姉ちゃん。それが、まさか。
由綺だったとは!
お天道さまでも知るまいに、とぽかんとした表情の冬弥に、彼女は言い募った。
「しかもしかもっ! なんで、理奈ちゃんと付き合ってるのよっ!?」
「あれ? えっと、それは関係者以外には知られてないはずなんだけどな……」
「色々聴いたのッ!」
「そう……」
叫びに困る。
言葉に詰まる。誰に、と訊けなかった。
冬弥が言うべき文章を練っていると、マナは更に詰め寄った。
「どうしてっ!? なんでなのっ!?」
その目は、お姉ちゃんを振った貴方が憎い、と言っているように冬弥には見えた。
その瞳は、恋人を捨てて別の女に乗り換えるなんて、と語っているように思えた。
とても。
とても、胸に突き刺さる。痛い。
信頼は大きいほどに、裏切られると悲しい。
だから。
――だから、とても辛くて、苦しいもの。
目を伏せてマナに言うべき言葉を探す冬弥。
静かに、こぶしを震わせて、渾身の叫びを叩き付けるマナ。
「どうして藤井さんみたいな冴えないヘタレがもてるのよっ!?」
それかよ。
「……ちょっと待てい」
「ねえっ、なんでなのよぉ……ッ!?」
見えたり思えたりしたのは全部錯覚でした。
冬弥がかなり深く傷ついていると、マナはじーっ、と縛られている男に目を向けていた。
「もう……っ、信じられないっ!」
「マナちゃん……」
「しかもッ!!」
泣きそうな顔で、怒号が響き渡った。
「藤井さんと……あの、緒方英二さんが……こんな爛れた関係だったなんてぇ……」
「違う。それは絶対に違う。頼むから待ってくれマナちゃん」
ちら、と彼の顔を上目づかいに見た。
期待する冬弥に、嗚咽混じりに声が飛んだ。
「……調教中?」
「違うわっ!」
純真な瞳で見つめ、こぶしと声を震わせていた。
「いやだよぅ。大人って汚いよぅ。変態だよぅ……」
「全部誤解だぁーっ!」
「うぅ……こうなったら私がお姉ちゃんと禁断の愛へ走ってやるーッ」
その道に行く場合は、弥生がもう先着で予約済みである。
マナはきっ、と冬弥を睨み付けるとそのままドアを出て走り去った。
何か言いたげな英二の口から、スカーフを取り出す。
「ああ、なんだか昔の理奈を見ているようだ……ああいう娘さんに罵られたいとは思わないか? なあ青年」
「もういいからアンタは寝てろロリコン!」
「ちなみに昔の理奈はそれはそれは水着のよく似合う――」
がす。
鈍い音がして、冬の山小屋に静寂が訪れた。
冬弥は、ふと気付く。
……ここまでなんで来れたんだろう、っていうか、道分かってたんじゃないのか彼女。そう思った。
勢いに圧されて、今の今まで全く思いつかなかった。自嘲気味に、冬弥は嗤った。
なんだか疲れてしまった。
もう、寒さに耐えるのも辛かった。
意識が落ちる。
目を落とした腕時計は、十一時をまわっていた。
がたん、と開くドア。
「……助け?」
冬弥が凍える体を必死に動かして、ドアに視線を向ける。
英二はそろそろ限界らしい。気絶したままぷるぷると黙って震えていた。
「ううん。助けじゃないよ、冬弥君」
「え」
にっこりとそこで笑っているのは、由綺だった。
え。
としか冬弥の頭には浮かばなかった。
何故ここで由綺が出てくるんだ、と。
……ぶるーたす、お前もか!?
「ということで、ちょっと待っててね」
「なにが、ということで、なんだ?」
「えーとね。……あ、あったあった」
冬弥の手元にある七面鳥を、持ってきたガスコンロを使って温め始める。
ガス中毒にならないかどうかが心配だった。
冬弥は手がかじかむどころか、体力尽きて身動きが取れそうにない。
「これこれ。私がはるかに頼んだんだよー」
「……食べさせてくれるのか?」
もはや床に横たわって立ち上がれそうにない冬弥が、静かに訊いた。
由綺はゆっくりと、首を振った。
横に。
「違うよー。冬弥君が大変そうだから、私が食べてるのを見て、頑張って暖まって貰おうと思って」
「そうなんだ。ありがとう――って待て由綺。いつからそんな酷いことを」
「うん? これ、ずっと前から準備してた計画なんだって。
作戦名《こうすれば彼の好意はアナタのモノ! ホワイトスノウプリンセスオペレーション!》だって言ってたから…… 冬弥君をね、理奈ちゃんから奪い返すためには、絶対にエサを与えちゃダメってことなの」
由綺はだいぶ判断力を失っているらしい。
着実に計画作成者の罠に掛かっていることに気付いてはいまい。
冬弥は思った。確信した。誰が考えたかも、明瞭に理解した。
「……ちなみに訊くけどさ」
「なぁに? 冬弥君」
「その計画を練ったひとって?」
「今日、いきなり目の前に現れたマスクを被ってコートを着込んだ変なひとがいきなりきて、このメモを手渡してくれたんだよ。えへへー。やっぱり、すごくいいひとだよねー」
「……なるほど」
――ああ、やっぱりそうか。
彼はひどく納得した。これはおそらく復讐なのだ。
由綺を傷つけたから、という理由の。
なんて回りくどくて巧妙でそれでいてダメージが大きい、策略。
これで由綺にもう一度乗り換えよう、などとは思わせないために!
凶悪な手段だった。
悪辣な奸計だった。
篠塚弥生が考えたにしては、少々懲りすぎているほどに。
だが冬弥は、
弥生が《ホワイトスノウプリンセスオペレーション!》なんて作戦名を付けたことに戦慄した。
むしろそっちに大ダメージ。想像の範疇外だ。乙女ちっく弥生さん。怖っ。
なんだかんだと言っているうちに、由綺が七面鳥を食べ始めた。
にこにこと笑いながら、ワインの栓を開ける。きゅぽんっと綺麗な響きが跳ねた。
こぽこぽとどこかから取り出したワイングラスに淹れる。
「……えっと。なになに……?
『注意事項。
こんなにも可愛らしくて綺麗で純粋で美しくビューティフルでコケティッシュでありながらそれでいて高貴で素敵でその微笑みは蜜のようにとろけていくかの如く見る者全てを魅了してやまないのでありああもうその笑顔を見せられたら天国にも昇る心持ちになることは間違いなくというかならないような下郎は皆事故という名の天災が降り注ぎ確実に天国へと連れて行かれることうけあいなほどにまぶしく光輝いているようなしかもその気配り細やかで思慮深く健気で献身的で清純で麗しき清らかさの代名詞とも言う才知溢れる『私の』由綺さんを振った人類史上最悪にして人間失格のうえに更に下衆で十把一絡げのどこにでもいるような平々凡々といった風体及び能力とやたら優柔不断でひどく回りに迷惑をかけるのが得意でそれでいてぼけっとしていてつまらないゴミ屑程度の存在意義と由綺さんの魅力を十分に分からないような貧弱な理解力しか持っていないくせにどうしようもないへたれで短くて早くて下手で犬っころみたいな行動がせいぜいで従順で貧相で暗くてなんといっても悪趣味且つ脇役になればいいのにと少なくともふたりからは思われているであろう器の小さくてうだつがあがらなくて甲斐性がなくて益体無しで気の利かない小間使いがお似合いな貧乏くさい無能男なのに更に浮気性で貧
乏なまさに性欲の権現ちっくな藤井さん(某藤田浩之互換アリ)の目の前にワイングラスを近づけて、ゆっくりと回しながら、温め終わった七面鳥を切り分けて、そのまま同じように顔に寄せてください。
絶対に食べさせないように、見せるだけ。これは絶対に守ってください。
また、七面鳥は出来ることなら全部食べるのが好ましいのですが、それでは高貴な由綺さんには辛いかもしれません。
その場合にも、決して藤井さんには与えず、雪山に投げ捨ててください。良く見えるように。
このとき一切躊躇してはいけません。愛するひとのために、という決心で下に書いた内容を叫びながらどこか遠くへと思いっきりどうぞ。
叫ぶ内容は《弥生さんラブラブっ!!》と五回くらいどうぞ。いえ別に十回でも二十回でも構いませんが……by 由綺さん萌え萌え〜私はいつも由綺さんを見守っています』
……だって」
というか、気付けよ由綺。
クリスマスイヴはそろそろ終わる。
英二はさっさと寝入っている――気絶させられたまま、ともいう――だし、冬弥は目の前で美味しそうに七面鳥をぱくぱくと食べている幸せそうな由綺に笑みを向けられた。
「……なぁ由綺。いま、幸せか?」
「うん。冬弥君と一緒にいるからね……」
由綺の純粋な笑顔。
声ももはや出ない。冬弥は、お腹がぐぅ、と鳴らして応えた。
「……あ」
「どうした?」
「ぽちー。ほらほらー。食べたい?」
「ゆ、由綺……?」
由綺が冬弥をぽち、と呼んだ。
彼はひどく驚いた表情で、彼女の笑顔を見つめた。
「ぽちっ。お手」
「……あのな。どうしたんだいったい」
「冬弥君が食べたがってたら、『ぽち』呼ばわりして下僕にしろってメモに」
「…………」
「ほらほらー。ぽち。おいしいよぉ?」
ガタンッ!!
見ると、影が小屋の入り口に立ち竦んでいた。
「ぽ……、ぽぽぽ、ぽちぃッ!?」
マナだった。
「お、お姉ちゃん……ぽち、って」
「うん、そうだよー。冬弥君のことー」
「藤井さんが……」
わなわなと震えていた。
「って帰ったんじゃなかったの? マナちゃん」
「ふ、藤井さんが……お姉ちゃんの恋人じゃなくて、
まさか、まさか……」
息を吸い込んで、悲痛な叫びが小屋を轟かせた。
「ペットだったなんてっ!?」
「ってマナちゃんそれはあり得ない誤解じゃ……」
「ほらほら、ぽち。お座り」
「いや、座ってるし。っていうか本当に犬あつかいっ!?」
「じゃあ――ちん」
「アイドルがそんなこといっちゃいけません!!」
「ぽち、ワガママだよぅ」
「つーか、ぽちじゃねえ!」
叫ぶ冬弥。
聞きやしねえ由綺&マナ。
そこに横からかかる声。
「……ぽち、いつからそんなにワイルドに」
「だーかーらー違うっての!! ん?」
「ぽちはケダモノ、っと」
「……待てはるか。なんでお前までいるんだ?」
「ん。じつは最近、写真に凝ってる」
「いや、そんなことは訊いてない」
パシャリッ!
天国から溢れそうな光が瞬いた。
「題して『下僕ぽちの血と汗と涙のアルバム』」
「どこがだっ!」
「うん。わかった。……首輪は合成でなんとかするから」
「なにがわかったんだよ!? つーか、するなぁッ!!」
「ぽち、そんなに叫んでるとハゲる」
「…………しくしく」
「ははは。青年はこのように縛りも大好きらしいぞ」
「アンタは起きてきて騒ぎを大きくさせるなぁあッッ!!」
「――僕たち、友達だよね?」
「英二さん。そーゆーネタはやめましょうよぅ……」
滂沱の涙。
だばーっ、と流れていた。
彼は思う。
まさにクルシミマス、イヴ。
そんなベッタベタな展開を自分がやられるなんて――
ちなみにそのころの弥生。と、もう一人。
「……では、ありがとうございました」
「えっと。……巧く行ったら報告お願いしますね」
「ええ、分かっています。共犯関係というのはどちらにも利益があるべきですから」
「失意の由綺ちゃんはあなたが温める。絶望に落とされた藤井君を私が癒す。
これで万事丸く収まる、と」
たとえるなら、毒リンゴを食べた白雪姫を目覚めさせる王子様役。
「――本当に、才能はあるべきところにあるものですね。脚本を作っていただき、感謝しますわ」
「ふふっ。こちらこそ」
握手をして、互いは背を向け合った。
白の舞い散る夜の街へと、溶暗していく彼女たち。
「これで由綺さんは……えへ。まさかあのメモを渡したのが私だなんて思われてはいません。ふふふ……ふふふふふふふふふ」
とても楽しそうに、そして幸せそうに妄想にふける弥生。
なにを想像しているのかは秘密である。
っていうか、アンタも気付かれないと思ってんのかい。
「横から落ち目のアイドルなんかに奪い取られたんだから、更にその横からってアリ、よね。
藤井君にツバ付けてたのは、こっちのほうが先なんだし……」
美咲も、実は裏で協力してたり。
ふたりとも、今の自分が白雪姫に出てくる女王様役を完璧にこなせるほどの人材だということに、これっぽっちも気付いていなかった。
更に、そのころの理奈。
「――くしゅんっ。風邪かしら……それとも誰か、うわさしてるとか、かな。
早く帰って来ないかなぁ……今日はふたりであったまろうって言ってたのにな……」
冬弥の状況を知らぬは彼女ばかりでしたとさ。
めでたしめでたし。
蛇足。
「ふふはははははっ!!! これで終わりか? 終わりなのかちくしょう!?
だいたい、本当に救助が来そうにないし……」
「しかし、なんだな……」
「なんですかその意味ありげな同情の眼差しは」
「ゲームセットだな、中年」
「中年は貴様だ!」
「そこに愛はあるのか?」
「ねえよ」
「さあ、果たして我らが緒方英二はここから生きて帰ることができるのか!」
「どっかの特番でやってるようなわざとらしいナレーションやめい!」
「青年、本当に即ツッコミが巧くなったなぁ」
「だ・れ・の・せ・い・で・す・か! 誰の!!」
余裕ぶって英二がプラカードを出してくる。
じゃじゃーん! と音の鳴りそうな勢いだった。
「慌てるなよ青年。実はこれはドッキリだったん――」
「あ。緒方さん……あの。じつはそれ嘘です」
言葉半ばで遮って、由綺がにこにこと英二に伝えた。
プラカードには『大 成 功!!』と書かれていた。
だが由綺が、そのうえから貼り付けられていたものを外す。
下には、言葉がひとこと。
『ど う す れ ば い い ん だ』
「……マジ? 由綺ちゃん」
「マジです」
「な、なんだって!?」
「……緒方さん、いままでの、じつは演技だったんですか?」
「ああ……まさか俺が自分からそんな変態じみたことするわけないじゃないか」
肩をすくめる緒方英二。
ほえ? と由綺が不思議そうに訊いた。
「台本には全部アドリブって」
「はっはっは……由綺ちゃん。そういうのは黙っておきたまえ。
俺はいつだって本気で取り組むんだ。知ってるだろ?」
冬弥はそんなやり取りを横目に、つぶやいた。
心底疲れたような表情と声色で。
血走った目で。
――最後の一線を越え……もとい、本気でキレた。
「だぁッ!! こうなりゃヤケだっ!
この真っ白なアルバムを赤く染めてやるぅーッ!!!」
「せせせ、青年……落ち着け。
俺は男だから……過ちをおかしちゃ嫌だよぅ」
「あうぅー。ぽ、ぽちがこわれちゃったよーっ!?」
「いやなことが、この白い雪に消されていくみたいに、さ。
ぜんぶ、ぜんぶ。嘘だったらよかったのにね、冬弥君……」
何故か最後だけ真面目な台詞の由綺だった。
メリークリスマス!! トゥ、幸せなダメ人間たち。
次の日、彼らは彰によって救出されたという。
「わんわんっ」
賢い犬、彰よ! ありがとう、ありがとう――
『救助犬彰、初経験の日』として……
はるかの撮ったその写真はのちに大事にされることになる。
そして、彰は人命救助のエキスパートとしてその生涯を捧げることになった。
何百もの人々を、その消えかかった儚い命の灯を再び救う彰。
その山はいつしか、彰山と呼ばれることになるのだ。
ありがとう彰(犬)! 我らが英雄、その名は彰(犬)!
――良かったね良かったね。
クリスマスの朝から数日後の彰(本物)の様子。
「……美咲さん……山奥の小屋で待ってるって手紙来たんだ!
早く行かなきゃ……早く行かないと! 僕のこの恋はもうすぐ叶うんだぁ!
冬弥なんかよりも僕の方が相応しいんだから……。
ははは……ああ、麗しの『僕の』美咲さんの姿が見えるよ……」
冬山で遭難中。
幻覚のおかげで、ちょっぴり幸せそうな七瀬彰であった。
完。
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