願いは三つ。祐一に叶えられるのは、ただ三機。
 今なら分かる。
 天使の人形は、その三度のチャンスを与えてくれていたのだ。


 そこに足を踏み入れれば、ゆったりと静かな、そして切ない旋律が聞こえてくる。
 もう、戻れない。スキップもできやしない。

 つったたつったたつたたつたたたつ――
 つたたつつたたつたつたたつつたた――

 てぃとてぃとつとたとぅととつつつととたとたと――
 ととてぃとーつとつたつつてぃとつたつとてぃとて――

 玄関口を抜けると、何かが始まったような音楽に変わった。
 楽しげに、優しげに、あたかもマーチのように、そしてレクイエムのように。

 たったらったるったらったるったったとぅるー!
 たったらったるったらったるったったとぅるー!
 たったたらーるたたーるたたるたたー!

 今ひとつ、祐一の顔をした人形が輝いて、その光を失った。
 さあ始まり始まり。ここから、スタート!


 たまたま夜の学校に来た相沢祐一は、困っていた。いやさ、困り果てていた。
「祐一君っ、その設定は罠だよっ」
 ちゃんとした意味を読みとれなかった自分が愚かしい。
「祐一君、お宝のこと、忘れてください……」
 そんな台詞に憤った自分が情けない。
「ボク、×2じゃないもんっ」
 今になって、あゆの助言を心底痛感する羽目になるなんて……さっきまで夢にも思わなかった。これは夢だろうか。いや、この湿った空気。薄暗さ。どこをとっても夜の学校以外のなんでもないし、明晰夢とも思えない。
 何故かポケットに入っていて、無意識の不安からか、祐一が握りしめた物体は自分自身、つまり相沢祐一そのものだった。これが何を意味するのか。それを祐一は、半ば本能的に理解していた。渦巻く疑問など思考の片隅に追いやって、なのに、それでも、自らの命運が風前の灯火であることを痛いほど感覚している。
 今回を含めて残り三回。すなわち、相沢祐一の余裕は、残り二機だ。

 思えば、こんな設定に投げ込まれたことからして間違いだったのだ。追憶は無遠慮に言葉を投げかけ、祐一の思考をかき乱す。動揺してはならないと言うのに。
 史上最強のトレジャーハンターだなんて、そんな称号はいらない。違うか。こんな称号だからこそ、こうして苦痛を味わっているんだ。誰だ。こんなあおり文句を作ったヤツは。祐一は深く恨まずにはいられない。

 たった数センチの段差が怖い。(――降りなければいい)
 エレベーターが恐ろしい。(――作中には出てこないとしても)
 コウモリのフンがのろわしい。(――それすらも致命となるが故に)


 史上最弱の主人公の座を手にしてしまった。
 その名も、スペランカー祐一。


 安っぽいビープ音と妙な位置に点灯するダイオードの赤い光が、無機質に祐一を追いつめる。ぴかぴか。歩く速さがこんなにも鈍い。動ける場所が狭くてしかたない。石に躓けば一巻の終わり。窪みに落ち込めば意識は闇の底。絶望は緩やかに祐一を飲み込んでいく。闇の中で目を凝らせば、今にも何かが襲いかかってきそうでめまいがする。酸素が無くなっているのだろうか。まさか。ここは夜の学校だ。しかし確かに頭上に見えるメーターは刻一刻と減り続けている。
 な、に……メーターって何だ? どうしてそんなものが。
 余裕もなく走り抜けようとするが、ジャンプもできやしない。いや、できるが恐怖で足がすくんでしまってまるで小学生が必死に飛び跳ねているような、そんなバランスの悪い飛び方しか出来ない。平坦な道でしか、動けない。
 行き止まりが、目の前を塞ぎ、今にも危機は追いかけてくる。

「魔物がくるのっ」

 ああ、そうだな舞。まさかこんなところで本当の意味を理解するなんて。コウモリはいくら倒しても復活してくる。お化けを相手にするには武器がないと。これなんだろう? お前がイメージしてしまったのは、この、逃れられない洞窟なんだろう?
 ふ、ふふふ、ふふふふふ。笑みがこぼれる。押さえきれない。だってほら、いま、BGMが変わったじゃないか。お化け――いやさ、魔物だ。魔物が来たんだ。対抗するための武器は、持っていない。不利だ。逃げるしかない。銃はどこだ!
 でも、気づけばそこは行き止まり。祐一は知っていた。それを壊すには、たったひとつの爆弾が必要だった。
 望めばそこに現れるような、都合のいいことはあり得ず。ただ魔物が迫るのだけがよく視えた。怖かった。苦しかった。どうやっても、道をふさがれて、逃げられないことだけが理解できてしまう。
 死にたくなかった。
 でも、もう、遅かった。
 相沢祐一は、魔物に触れられて、死んだ。

 一機失って復活すると、今さっき歩いてきた道に戻っていた。どうしようもなくて、少し道を戻り、脇の通路へと入ると、見回しながら一歩ずつ進んでいく。職員室に入り込むと、科学教師の机の中に爆弾が存在していた。ちょっとだけ驚いた。だが逆に納得している自分がいて祐一は驚く。不思議なことじゃないんだ。ここにはちゃんと用意されているから。
 担任の机のなかに存在していたカメラも手にして、さきほどの行き止まり――正確には、帰り道へ通じる廊下へと、向かった。たどり着くとまたBGMが変わる。ヤツがきた。魔物が、側へと近寄ってきた。危険信号を発する頭とは別に、立ち向かうことを望む自分。いつからそんな蛮勇を手にしてしまったのだろう。勝てない敵からは逃げなければ、生き残れない。そうだろう?
 祐一は爆弾をセットして、逃げた。
 三、
 壁から出来るだけ離れなければならず、けれど魔物に触られるわけにはいかなかった。
 二、
 祐一はきっちり自分五人分の距離に加えて、少し間をあけた。
 一、
 次の瞬間、衝撃が祐一の体を揺らした。吹き飛ばそうとする爆風をどうにか避ける。魔物が近寄ってくるのを感じて遁走した。階段ではなくスロープとなっている坂を、決してジャンプなどしないように気を付けながら。
 見慣れた教室には、自分以外の気配は無かった。安堵して入り込むと、空気の冷たさに緊張が和らぐ。張りつめていた空気と筋肉をほぐし、祐一は不意に思い出し、自分の机に手を伸ばす。出てきたのは何故かドル袋。中身は名雪に借りっぱなしで置き忘れていたノートだった。今回は催促されないうちに気づけて良かった。現状には相応しくも場違いな想いが祐一を支配した。
 後ろのドアを開き、周囲を確認する。危険があれば即刻逃げ出さなければならないからだ。幸い、今はどうにか抜け出せるようだった。
 コウモリの姿を視認し、カメラのフラッシュで撃退する。
 家に、帰らなければならない。すでに財宝は手にしているのだ。ここでうろうろしている暇など無い。そんな危険をあえて冒す理由はないし、何より、なぜこんなことになってしまったのか、考えなければならないのだ。
 しゅぅぅ、と音が鳴って、祐一は足を止めた。毒ガスだ。なんということだろう。吹き付けてくる臭いは昔嗅いで絶望したもの。嗅ぎ慣れた紅ショウガの芳香だ。すべてにまとわりつく紅ショウガ特有の薫りのガスが、目の前でひゅうひゅうと音を立てて吹き出している。う、ちょっと気分が悪くなりそう。
 とぎれる瞬間をねらって、祐一は逃げ出した。
 なんで!?
 その疑問に答える声は、どこにもない。

 人気の無い街を慌ただしく歩き、家路を急ぐ。けれど車道と歩道を分かつ段差にすら気を配らねばならない事実に、祐一は愕然とした。たったこれだけの衝撃で、致命的な危機に陥ることになるのだ。不意に人影が祐一を遮った。栞だ。
 現れた栞は、なにやら嫌なほほえみを浮かべている。牛乳のような飲料を差し出してきた。薬ビンに目一杯入っている白い液体。どうやら問いかけても何も答えてくれそうになかった。質問は諦めて横を通り過ぎようとすると邪魔してくる。
「栞、何を」
「祐一さんにプレゼントです」
 笑ってゐた。彼女は婉然と笑ってゐたのである。祐一は顔を背けることも出来ず、ただまんじりと視線を地面へと逸らし、反論もせず、受け取らざるを得なかった。
 せめてもの情けが必要だった。呑みたくない、と目で反抗する。が、栞は薬ビンを差し出して微笑みを続けた。受け取らないとひどいことになりますよ、と無言で圧力を掛けてくる。
 口を、開いた。
「さあどうぞ。これを一口でも飲めば三倍早くなります」
「なってどうする」
「赤くないのに三倍ですよっ」
 熱弁ふるわれても。
「しかしな、しお――」
 てい、と投げ込まれた液体。うわ、ちょっと嫌な味。でろでろどろどろっとしてて。
 って呑んじゃったよオイ!
 突然にコウモリが追いかけてきた。
「な、なんでっ」
「それじゃ、祐一さん、がんばってくださいねー」
 逃げ出さざるを得ない。あ、ホントに三倍早いや。ってこれは不利なんじゃないのか。コウモリも追いかけてくる。逃げるが速いだけでむしろ動くのが大変になった。細かい調整がきかない。どうしようもないのでゲーセンへと命からがらで侵入。でも誰もいねえー!
 祐一は気づいた。フラッシュがあれば良いんだ。ならば!
「プリク○発見! って金……財布はない、小銭は……あ、あった――」
 近くにあったコイン(1000点)を拾って入手。使って丁度真上に来たコウモリを撃退する。フンを落とされる前で助かった。
 酸素メーターはさすがに無かろう、と思ったが頭上で点滅を繰り返していた。しつこく存在しているのは、なんでやねん。近未来ちっくな酸素吸入器はどこだーっ。いや、そもそもこれは酸素じゃないのか。……寿命? やばいじゃん!?
 余裕がない。残存の余裕は一機。あと二回だけ天使人形は意味を為す。
 逃げなきゃ。
 早く、逃げなきゃ。
 なんでか分からないけど、一瞬で復活したコウモリの声が聞こえるよう。きぃきぃ鳴ってるだけなのにぃ。
(兄者ぁあああああー!)
(兄貴ッ! ワシらを一緒に連れて行ってくだせえええええ)
 二匹!? しかも名前はアドンとサムソンっ!? 熱っぽい目で見られてるし!? うわ、俺はイダテンじゃねえー! ――そんな筋肉系シューティングは知らない。知らないんだ!
 コウモリのフンが怖い。
(ワシはフンなどせんわああああ)
 ひぃぃぃ。
(……た、ただの…水…ですわい…きれいな)
 ち、ちょっと待てーっ!!!

 祐一は更に急いだ。(そんなに慌ててるとミスするようっ。あ、足下に小石がっ。祐一君、前まえーっ!)背後霊の声までが背中を押す。小石に蹴躓いて、その瞬間、意識は闇に没した。

 ミスった。

 更に一機失った。うぎゃあ。もう何も残っていない。
 余命幾ばくか。大人の階段昇るー。君はまだ死んでないー。
 逃げ回っているうちに手に入れた赤い鍵とか青い鍵とかを握りしめて、祐一は帰路を必死で急いだ。どうあがいても必ず死ぬのなら、行けるところまで行こうじゃないか。それでもこんな悟りは、できることなら開きたくはなかった。
 家に、たどり着ければ。
 エンディングは水瀬家にあるんだ。きっと。
「しかし」
 無茶だ。どんな絶望がここから始まるというのか。
 こうなってはあのジャムすら――
「呼びましたか祐一さん」
 呼んでません。
「あ、あああ、秋子さん」
 しつこいようですが、全く、これっぽっちも呼んでません。
「ふふ、お困りですか?」
 マジカル☆秋子さん。いやそんな小ネタはいらん。
「いえ、ぜんぜん」
 逃げたかった。
「お困りですね」
「そんなことは」
 やばかった。
「そんな祐一さんに甘くないジャムを」
「ですからっ」
 もはや、ここまでか。
 毒食らわば皿まで。
 あきらめの胸中は、どこか白やんだ夜のように静かだ。
「……いただきます」
「はいどうぞ」
 喜ばれた。嬉しそうだった。こんなに幸せそうな秋子さんを見ながら逝けるなら、それはそれでしかたないのかもしれなかった。
「オレンジ色の、ジャム。まさかこれは――」
 よく考えてみれば。
 あの無敵アイテムなのかもしれない。
 きっとそうだ。
 そう思いこむことで、祐一は現実を切り捨てた。ビンから出てきたものは微妙なゼリー状のオレンジ色の物体で。食べてみよう。もう、いいじゃないか。どうなったところで。
 そして祐一は無敵になった。
 もうコウモリのフンなんて怖くない。BGMが変わった。祐一はただ前に進んだ。でも足下には気を付ける。落ちると死にます。
 そうして。
 ようやく。ようやく。

 ――とうとう、たどり着いた。

 帰宅出来るというのは幸せなことだった。なんでこんなにも遠かったのか。玄関のドアをくぐり、名雪の寝息を居間に聞く。
 それはきっと、日常にこそ落とし穴があるのだということなのだろう。誰だかは知らないが、祐一にそれを教えようとしてこんな道のりを作り上げたに違いない。
 そうでなければ、どうして。
 どうして。

 帰宅してまで、落とし穴(青っぽい床)が存在しているのか!

「部屋か!? 部屋まで帰らないとゲームクリアじゃないんだなちくしょう!」
 もう、メーターもMINに近づいている。エネルギー切れを起こすまで、あと数分だ。部屋に帰れば助かるのだろうか。薬ビンといい、ジャムといい、今日はどうしてこんな状態になるのか。
 奇跡が、欲しかった。
 奇跡が。

 起きないから、奇跡って言うんですよ?

 階段を唐突に存在していたゴンドラで昇っていく。廊下ではまたコウモリがいて、逃げ出して間をはかって逃れて部屋に走り抜けて、やっとドアを開けることが出来て、その部屋には天使人形が、ぽつんと存在していて。大きくなったり、小さくなったりしていて。
 奇跡はそこにあった。ミラクルがそこに!

 手に取れば、きっと生命が――もとい、残機を増やす1UPが!

 大きさが変化する瞬間を狙うのだ。そうすれば高い確率で手に入る。
 非ランダムなんだ。きっとねらうことは出来るはずだ。
 あとは自分を信じればいい。
 メーターはもうMINに振り切れる直前で。
 それでも。
 この瞬間に手に入れば、助かるんだ。
 ふとしたきっかけで蘇ることなんてない。――1UPは自分で、手にしなければならないんだ。

 希望に満ちた笑みを浮かべ、祐一はそれを手にした。

 あ。
 タイミング間違えたーっ!?


 100点ゲット。
 その瞬間、頭上のメーターは――ぱしゅ。


 たったるったらったるったるったったぁー
 たったるたたらたーるたたらるたたーるーたたるーたるーぅー……
(ゲームオーバーのテーマ)


 To be continue?


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