少々騒がしい道。
 短く人の流れを避けて、商店街を独り往く私。
 雪の季節はすでに終わりに差し掛かっていた。
 春を待つ空気は、透き通っている。
 空はまだ蒼いけれど、朱を塗ったように染まっていく。
 真っ白な雲たちが、さらさらと散っていくように。

 とても綺麗。

 物語の終わりとは、きっとこんな感じなのだろう。
 苦悩も、問題も、悲劇も。
 あらゆる終わりは、常に空の下で。
 それが決められたことなのだろうか。
 それこそが、唯一つの確かなことかもしれない。
 終わった物語のせいで、少しばかりひねくれた私。
 悲劇が悲劇のまま終わるなんて現実を信じてはやらない。
 奇跡がただ一度で終わるなんて、絶対に思ってやらない。
 何も知らない少女のような。
 そんな純粋さなんて、どこかに置いてきてしまった。
 夢の中にいた私はもういない。
 世界は色を失ったままであった私。
 信じるべきものを、置いてきたままにいた私。
 それでも、前を見て歩こうと決めたから。

 だから私は夕焼けに目を向ける。

 空は広く。大きく。遠く。
 白く、どこまでも真っ赤に。
 吹く風に身を任せたくなるくらいの陽気。
 ささやかで、それでも大切なこの空気。

 たとえばそれは――

「こんにちは相沢さん」
「……ん? おっ、天野じゃないか」

 ――あの日の出逢いにも似ていたから。








 『Cendrillon』








 とまあ、なんだかんだと考えたところで、相沢さんが目に入ったので挨拶を交わした。
 あの子が去ってから、何故か偶然が続く。
 商店街を利用する人間だから、変ではないけれど。
 それでもやっぱり、遭遇率は高い。
 どうしてだろうか。
 意識しているつもりは無かったが、顔には出ていたらしい。
 考えていた内容も同じのようだ。
 相沢さんが近づいて来て、言葉を交わす。
「やけに良く会うな」
「ええ。でも、お互いが意図的に避け合えば多少は会う回数を減らせますよ」
 私はそんな冗談を言ってみる。
 相沢さんもちゃんと分かっているらしく、笑い返してきた。
 手にはおそらく夕飯の材料用の買い物の袋。まだ空のようだ。
 当然と言えば当然かもしれない。
 この時間、商店街にまさか散歩のためだけに来る人間はいないはず。
 なにせ別の時間帯との混み方が違う。
 夕方、しかも今は晩ご飯の用意を安く買い集めようと、奔走する主婦らの坩堝。
 好きこのんで、わざわざそんな混雑を掻き分けたいと思うというのは考えにくい。
 ならば、当然買い物を頼まれたか。それとも相沢さん自身の用事のためか。
 はてさて。
 思索に耽っていると、相沢さんのほうから話を進めた。
「で、どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞ですよ。私は夕食のお買い物です」
「ああ、それもそうか。んじゃ質問を変えよう」
 変えなくて良いです。
 なんて言ってみようかと思ったけれど、とりあえず止めておいた。
 何を聞かれるのかが、なんとなく予想がついていたこともある。
 と言うか、この状況下で聞かれることなんてそうそう無いと思う。
 相沢さんが興味津々な顔で、予想通りの質問を言った。
「何を作るんだ?」
「えっと……」
 困った。
 質問の内容は予測出来ても、答えは出てない。
 何も考えてません、とだけ言ってしまおうか。
 実際のところまだ決めていないし、見てから考えようと思っていた。
 でも、それを言ったら、相沢さんは買い物に付いてきそうな気がする。
 たぶん、それに私は押し切られてしまうだろう。
 親切と言うよりは、どちらかと言えばおせっかいと呼ばれる行為だ。
 だからと言って、それが嬉しくないかと言えばそんなことはなく。
 遠慮と好意、期待と困惑と。
 わざわざ相反している感情を抱く前に対処したい。
 何か答えるのに手っ取り早いのはないだろうか。
 と、そこまで考えたところで思いついた。
「そう言えば、相沢さんは何を買いに来たんですか?」

 話を逸らしてしまえ、と。

「俺は米と野菜だな。場所も覚えてるから数分あれば終わるし」
 失敗。
 すぐに終わってしまっては話題を逸らした意味がない。
 彼は訊いてくる。
「で、天野は?」
「あ、その……」
 思いつかないときは適当すらも思いつかない。

 ……教訓だと思った。


「ふーん。天野がメシ作ってるのか」
「ええ。まあ、趣味ですから」
 主に材料を安く買い求めることが、だけど。
 作る方は、それなりと言っておこう。
「それで相沢さん……なんで付いてくるんですか?」
「いや、こっちの用事はこれ持って帰るだけで、別に急ぎじゃないし」
 米もまだ余っているらしい。
 尽きる前に安いときに買い込むのは正解だと思うけど。
「理由になってません」
「片手空いてるから荷物持ちをしてやろうというこの優しさが分からないか?」
 中途半端な冗談である。
 だいたいにして、そんな台詞は笑いを堪えながら言わないで欲しい。
「とまあ……それは冗談としてもだ、荷物くらいは持つって」
「ですから、荷物持ちをしていただく理由は何でしょうか、と聞いています」
 ここが正念場だろう。
 遠慮してもいいだけの理由ならば、楽なのだけれど。
 こちらの気持ちと言うものも少し考えて行動してくれないだろうか。
 相沢さんにそれを求めるだけ無駄な気がしてきたので考えるのを止める。
「天野の買い物は安いときに買い溜めしそうな気がしたから」
 正論です相沢さん。
 正鵠を射たその発言に、反論は思いつかない。
 とは言え、理由としてそれを挙げられても困る。
 それは私の行動予測であって、相沢さんがわざわざ手伝う理由ではない。
 私はどうにか諦めてくれないだろうか、と口を開こうとした。
 相沢さんが何気無く言った。
「あと、お礼も兼ねて」
「何のですか」
 言いつつも、そんな風に礼を言われる思い当たりはあった。
 あの子が消えたころのことだろう。
「今、天野が思いついたことのだな」
 ……ずるいひと。
 そんなことを言われてしまったら、何も言い返せない。
「分かりました」
 こっちの様子を見ながらタイミングでも計っていたのだろう。
 少し悔しい。
 だから、ちょっぴり意地悪をしてみることにする。
「その代わり……いつもの二倍くらいお買い物をしますからね」
 相沢さんが苦笑していた。


「まだ信じていますか」
「ああ、信じてるな」
 相沢さんは思いっきりこれ以上ないくらい自信満々に深く頷いて、聞いてきた。
「で、何をだ?」
 そんな反応は予想のうちだったから、私は短く返す。
 その単語を。
「奇跡を」
「そうだなぁ……」
 相沢さんはちょっとだけ口ごもっていた。
 私の行き先は近いが、ぐるりと遠回りして話してみる。
 別に相沢さんと話している時間を増やそうと画策していたりはしない。
 単に、タイムサービスの時間丁度を目指しているだけだ。
 嘘ではない。
 好意は好意であって、恋ではない。
 少なくとも、私にはそのつもりは無いし、相沢さんにはあの子がいる。
 だから、彼は友人だ。
 数少ない、人を遠ざけていた私に出来た友人。
 ちょっとだけ前を歩いて、うーん、と唸る相沢さん。
 私はその斜め後ろを付いていく。
「それ以前の話として」
 相沢さんが言葉を短く切って、私の注意を話に戻した。
 耳を傾ける。
「真琴が帰ってきたこと、ってのは奇跡だったのかな」
 独り言のような、つぶやき。
「どういう意味ですか」
「いや、天野が前に言ってただろ? 妖狐の力を使って人間になったって」
「ええ、ものみの丘のあの子たちは、不思議な力を持っている」
 と言われています、とは続けなかった。
 それは私と相沢さん、あと……他にもいるかもしれないけれど。
 確かに出逢った人間たちがいて、そうとしか思えないことだけが証拠。
 だから、私たちが知っていれば良い。
 私にとって、それは紛れもない真実なのだから。
 悲劇を繰り返さないために、人に伝えるべきなのかもしれないけれど。
 少しばかりそんな気にはなれなかった。
 暴かれたくない幻想というやつだ。
 夢なら夢でも良い。
 そのまま騙されていることが、信じていることにも繋がると思うから。
 小さく、相沢さんが言った。
 こちらを見ないままに。
 見ている方向は、ものみの丘か。
「それが元々妖狐と呼ばれる存在にあった能力だとしたら、どうだ?」
「……ありえないことじゃないと思います」
 何匹もの妖狐が奇跡の恩恵を受けるというのも、確かにおかしな話ではある。
 だったらその能力が妖狐特有のものならどうだろう。
 ありえない話ではない。
 けれど、何が違うだろう。

 未だ、奇跡は起こっていないという――、ただそれだけのことに。

 本来与えられていた力だとすれば。
 奇跡を信じることは、してはいけないというのか。
 けれど相沢さんの目は、信じている人間の瞳。
 不思議を認めた上で、その先を待っているような。
 私のように絶望をしたりせずに、ちゃんと歩いているひと。
 この様子が虚勢だとは思えないし、思いたくもない。
「人間になったあと、必ず衰弱するっていうのがどうにも腑に落ちなくてな」
「ええと」
 自然に逆らった力。
 故に、それは許されないことなのだろう。
 だからこそ人間になってしまった子狐は、その命を削られる。
 そういうことではないのだろうか。
 そのまま相沢さんは続けた。
「狐から人間になり、そしてまた狐に戻るプロセスなんだと思う」
「……だとしたら、どうなると?」
 少女にかけられた魔法は、時間が制限されていたのです。
 そんなくだらない夢想。
 童話のような、空想。
 思い描いた物語の終わりは、いつもハッピーエンド。
 なんとなく、話が読めてきたような気がする。
 つまり、あの子が還ってくるという理屈を付けているわけだ。
 何一つとして拠り所のないままに。
 あるいは何もかも奪われたままで。
 絵空事を信じるには、支えがあったほうがいい。
 きっと、相沢さんも不安なのだろう。
 そしてそれは、私も同じで。
 語ることで、ふたりが信じられるように、と。
 慰めかも知れない。
 それでも、胸の奥が軽くなった気がした。
「つまりは、存在そのものが消えたわけじゃないから」
 私は、その先を言う。
 相沢さんが願っていることを。
「あの子たちがまた人間になる可能性もある、と言うことですか」
「ああ。そして、狐に戻ることが無ければ衰弱もしないことになる」
 方法なんて分からないし、それこそ奇跡かもしれない。
 しかし、私は頷いた。
「そうですね……可能性は、あるはずです」
「つっても、人間になるなんてのは相当に大変だったんだろうけどな」
 相沢さんは呟いた。
 自分を納得させられる理屈を探し続けていたのだろう。
 推測の上の、仮定。
 空想の中の、想像。
 単にそうであるかもしれないという、儚い希望。
 真剣に語り合う自分たちの姿が、滑稽で。
 とても、馬鹿みたいで。
「……だったら、俺は奇跡のひとつも起こしてみせるさ」
 だから、この人が諦めていないことが、とても嬉しかった。

 少しだけ思いついたことがあった。
 他愛もない、たったそれだけの思いつき。

 それを語る前に、私たちにはやることがあった。

「相沢さん、ちょっと頼まれてくださいませんか」
「なんだ?」
 少し先を歩いていた相沢さんに話しかける。
 ぐるりと遠回りしてきた分の時間は、あと数分でタイムサービスが始まることを示している。
 小さな店先の表示を確認すると、私は早足で歩き出した。
 急がなければならない。
「あそこの魚屋でお一人様三尾までの秋刀魚と、八百屋で安売りと書いてある店頭の品を各四つずつ」
 人数制限のあるものをいくつか回らないといけないから、相沢さんの存在はありがたい。
 その旨を伝え、少し多めにお金を渡し、私は来た道を引き返し始める。
 背中に掛かる声。
「天野は?」
「お肉を買ってこないといけませんから」
「分かった」
 その言葉を聞いて、歩みを早くする。
 しばらくして目的の店に着くと、私は安く買うための交渉を始めた。


 夕焼けはさざなみの如く、色を流している。
 だんだんと波にさらわれるように。
 朱と橙は、雫のように落ちてくる夜の帳に溶けていく。
 陽はどこかへと沈み、消えていった――

「……とまあ、詩人みたいな発言はさらりと流すとして」
「流さないでくれ。少し寂しい」
「真顔でそんな台詞を言わないでください。恥ずかしいです」
「容赦ないな……天野らしいが」
「褒め言葉として受け取っておきます」
 相沢さんの恥ずかしい言葉の通り、暗くなっていた。
 私は、横を歩く彼に訊いた。
「それで、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……たぶん大丈夫だろ」
 手には重たそうな袋が三つ。
 と、米袋。
 さすがに買いすぎたかもしれない。
 どうやら先ほどの発言は現実逃避だったらしい。
 ただし、袋三つには相沢さんのほうの買い物分も含まれている。
「で、天野の家ってここから遠かったっけ?」
「それほどでもないです」
「んじゃ近いのか?」
「それほどでもないです」
 困ったような顔の相沢さん。
 実はさほど遠くない。
 私は黙ったまま、歩き出した。
 慌てて追いかけてくるが、その歩みは遅い。
 おそらく、普段かかる時間の二倍くらいはかかるだろう。
 なので、私は歩みを止めた。
 まだ寒い。
 風が通り抜けると、体温は簡単に奪われる。
 春はもうすぐで、冬の終わりだというのに。
 当分の間は、厚着で過ごしていないといけないだろう。
 しばし待つと、困難と戦う勇者のような表情の相沢さんが辿り着いた。
 二倍……三倍くらいはかかるかもしれない。
 振り向いて、何度目かの質問をした。
「で、大丈夫ですか?」
「根性続く限りは」
 あ、少し弱気な発言になった。
 まあ、ダメだ、と言われても私も両手共買い物袋で塞がっている。
 気を紛らわすのも兼ねて、さっき思いついた話でもしてみようか。
 それとも、このまま黙って足を速めてみようか。
 街灯も無い道を、月影を頼りに帰っていく。
 人影もなく。
 寂しい風景。
 近くに人家のひとつもあれば、少しは違うのだろうか。
 遠くに見える明るさに向かって、私たちは黙って歩く。
 静かな空気が私たちを包み込んでいる。
 ある種、幻想的と言い換えても良いような夜の世界。
 真っ暗とうすぼんやりとした光の、狭間で。
 闇を掻き分けるように、私たちは歩いていく。
 足音だけが響き、家々は暖かそうな光を灯している。
 誘われるように。
 そして、あの子たちは来てしまったのだろう。
 ふと、見えていたはずの灯火が揺れた。
 その光景に、私は零れそうになる何かを抑えて立ち止まる。
 色褪せた世界が、ほんの少しだけ綺麗に見えた。

 静けさを壊すように、私は口を開く。
 突然のように。
 当然のように。
 立ち止まった私に追いついた相沢さんに聞こえるように、話す。
「舞踏会に行きたかった彼女は、そのままでは行けませんでした」
 下を向いて、少しうつむいたまま。
 単なる気休めだけど。
 それでも、話してみたくなったから。
 こんなもの、ただの気晴らしでしかないけれど。
「……名付け親でもある魔法使いは、灰かぶりに魔法をかけてあげました」
「天野……」
 聴く体勢になったらしい相沢さんの声。
 続ける。
「カボチャは馬車に、ハツカネズミは馬に、トカゲは従僕になりました」
 相沢さんは黙った。
 意図が掴みかねているのだろう。
 私も、思いつきと知識で話しているだけだから、都合がいい。
「汚れた服はきらびやかなドレスに早変わり、最後にガラスの靴を与えます」
「……シンデレラ、か?」
 灰かぶりはシンデレラと呼ばれる童話。
 それは相沢さんも知っているような、有名なグリム童話のお話。
 私は答えた。
「そうですね。でも、少し違います」
 肯定して、否定して、そのまま続ける。
 淡々と。
 あの子たちのことを、思い出しながら。
 表情には出さないように話す。
「お城の舞踏会は、とてもとても遠い世界。
 彼女はそこに行くことが許されてはいませんでした」
 夜の世界が落ちてくる。
 月が出ているから、光源は充分。
 誰もが知っている話を、囁くように。
「けれど、着飾った彼女は誰よりも美しかったのです」
 息を吐き出す。
 まだ白い吐息は、空へと昇ってゆく。
 私は、そのまま間を空けないように口を動かす。
「そこに向かった彼女はとても美しく、王子様の目に留まります」
「ああ、そのまま王子と踊って楽しみました、だったな」
 相沢さんが思い出すように言った。
 童話に詳しい男のひとなんて、そうそういないとは思う。
 だから、それはそれでかまわない。
「知っての通り、灰かぶりは12時に魔法が解けてしまう――」
「ああ」
「だから、その瞬間にはお城から消えていなければなりません」
「それくらいは知ってるさ」
 飽きもせず、私の話に付き合ってくれている相沢さん。
 さっきから立ち止まっているというのに、文句の一つもない。
 私は、優しく訊いた。
「……まだ気付きませんか?」
「ん? 何にだ」
「時間で解けてしまう魔法。居なくならなければならないこと」
 途端、黙り込む相沢さん。
 気付いたらしい。
 私は言った。
「ちょっとだけ、似ていますよね」
 相沢さんは答えた。
「そうだな」
 その答えに、私はとても満足だった。


「少し蘊蓄を語っても構いませんか?」
「あー、そうだな……もしかして長くなる、とか」
 手の重さを嫌そうに見てから、こっちを見た。
 その仕草に、私は止めていた足を前に出す。
「いえ……でも、そろそろ歩きながらにしましょうか」
 相沢さんの休憩も兼ねて立ち止まっていたことに気付かれないうちに。
 ゆっくりと歩き出す。
「ところでさっきのグリム童話の『シンデレラ』の話ですけど」
「そういやなんか言ってたな、違ったのか?」
「大きな意味では間違いではないですけど、細かく見ると違います」
 私の後ろを少し遅れて相沢さんが付いてくる。
 重そうだ。
「でも、灰かぶりってシンデレラだったような」
「グリム童話より前に、あの話には原型があるんですよ」
「そうなのか」
「そうなんです」
 やはり知らなかったらしい。
「ペロー童話と呼ばれる童話の中に、サンドリヨンという話があります」
 シャルル・ペローが書いたから、ペロー童話。
 簡単な話だ。
 相沢さんが細々と口の中で呟く。
「サンドリヨン、サンドリヨン……シンデリヨン……シンデレラ?」
 言ってるうちに似ている名前だと言うことに思い当たったらしい。
 本当にそこから来ているのかは、私は知らない。
「フランス語で、灰かぶりという意味だそうです」
「でも、原型って言ったよな。あの話ってシンデレラじゃないのか?」
 不思議そうに訊いてくる相沢さん。
 振り返りもせずに、私は答える。
「グリム童話のシンデレラには魔法使いなんて出てこないんですよ」
「……なにッ!?」
 大げさに驚く相沢さん。
 確かに、一般的にそんなイメージがあるけど、実際は出てこないのだ。
 最近まで、私も原型があったなんて知らなかったけれど。
「時間の制約も無かったりします」
「俺のシンデレラのイメージは間違いしか無いのか」
 相沢さんは、ちょっと落ち込んだ。
 単に、姉たちに見付からないように隠れて家に帰るだけ。
「あと、ガラスの靴も無いですよ」
「マジかっ!?」
「大マジです」
 ガラスの靴だなんて、一言も書いていない。
「……常識って当てにならないな」
「そうですね」
 何故かとても遠い目をし始めた相沢さん。
 私も童話集を読み返していて気付いたから、気持ちは解る。
「灰かぶりは、とても優しい少女なんです。
 継母や姉たちの心無い行いにも、恨むことをしないんです」
 サンドリヨンの方ですよ、と付け加える。
 相沢さんは感心したような声を出した。
「その辺はシンデレラとあまり変わらないんだな」
「……いえ」
 私は肩をすくめて否定した。
 話を読めば分かるけれど、同じ灰かぶりでもかなり違う。
「本物のグリム童話だと、話そのものが残酷ですけどね」
 残酷と呼ぶのは少し違うかもしれないけど。
 子供に読ませるためのグリム童話は、内容が歪められている。
 でも、私はそれでも良いと思う。
 夢は夢であればいい。
 真実は、とても厳しいものだから。
 知らないでいられるのなら、そのままでいたかった。
「ところで、なんでそんなことに詳しいんだ?」
「童話が好きなんです、……と言ったら信じますか」
「多少は」
 私も自分を他人の目から見たなら、多少は信じると思う。
 運動しているよりは読書のほうが好き。
 だからと言って、私は童話に詳しいというわけでもない。
 単に、読んだときに気になったから調べただけ。
 あの子たちが喜びそうな本を探していたときに、少し。
 ただそれだけのことだ。
「つらい話は嫌いです」
 童話には多い。
 教訓として、道を間違えた者を神が罰する話が。
 少しの間、沈黙がふたりを包む。
「でも」
 そう言って、少し歩く速度を落とす。
 相沢さんと並ぶ。
「私は、サンドリヨンの話は好きです」
「どうして?」
「優しさを尊いものと教えている童話だから、ということにしておきます」
 この話の教訓は、優しさがかけがえのないほどの宝物だということ。
 幸せになるべき者が、ちゃんと幸せを手に入れること。
 そして、例えご都合主義だとしても……愚か者も赦しを得ること。
 奇跡と魔法。
 如何ほどに違いがあるというのか。 
「魔法を与えるのは名付け親ですしね」
「……そうか」
 奇跡が在るのかなんて知らない。
 けど、相沢さんは信じているし、私も信じたい。
「さて、そしてこの話をした理由はもうひとつ」
「まだあるのか……」
 相沢さんは言葉の割には楽しそうだし、私は笑っていた。
 物語の終わりなんて、ハッピーエンドに決まっている。
 そこに話を持っていくのは、主人公の役目だ。
 私ではない。
「王子様はお姫様を探さないといけないんですよ。
 あの子を、ちゃんと見つけるまで物語は終わりません」
 納得したような声の相沢さん。
「それも、そうだな」
「相沢さん、真琴はきっと待っていますから」
 ものみの丘の方を見て、私は告げた。
 私のもう一人の友達の名を。
 そのまま余計なこじつけでも言ってみることにする。
「ガラスの靴は、さしずめあの仔猫でしょうね」
 小さな予感。
 きっともうすぐ帰ってくるはず。
 顔を戻して前を見ると、もうすぐ家だった。
 あともう少しの距離。

「頑張ってくださいね、王子様」
 その言葉に、相沢さんがふと何かを思い出したらしい。
 にやりと笑って、口を開いた。

「そう言えば、サンドリヨンの結末はどうなってるんだ?」
「決まってます」

 相沢さんが先を促す。
 私は軽く彼の前に出て、立ち止まった。

 そう、そんなものは決まっている。

「王子様と灰かぶりの幸せな結婚ですよ――」

 そう言って、私は微笑んだ。
 相沢さんはこらえきれないといった風に、大きく笑っていた。



Fin.


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