ちりちりと電波――ならぬ篝火が爆ぜる夜の闇に影二つ。
 火焔に照らされた横顔はトゥスクルの名を持つ國の重要人物である。

 ハクオロ皇の寵愛を一身に受ける(と言いつつ順番制)のエルルゥ。
 カルラにより一躍萌えキャラ及びオチ役としての名を挙げたトウカ。

 矢文によって呼びつけられたトウカは、闇に紛れて納屋に来た。
 つけられぬよう背後に警戒を怠らず、この場まで。
 待ち受けていたエルルゥに突然に投げかけられた言葉は如何に――

 そしてトウカはどもった。
「そ、そそそそそ」
「もう一度言いましょう」
「それ、それそれそれ」
「あよいよいよい?」
「違いまするっ」
「分かってます」
「そ、某は、それがしはぁ〜」
「もう一度言いますから少し黙れ」
「……エルルゥ殿、少しこわい」
「トウカさん。寝てる間にその口固めてさしあげましょうか?」

 天使の「ような」微笑み。
 無論、天使の微笑みとは中身に雲泥の差がある。

「……申し訳ない。黙りまするゆえ、どうか慈悲を」
「まったく」
「……」
「じゃあ言います」

 息を吸い込んだ。
 これから話すのは重要な秘密であり、余人に漏らすわけにはいかない。
 エルルゥは真剣な眼差しで、國付きの薬師としての顔で語る。
 もはや師であるトゥスクルはいないのだから。
 もう、頼れる者は自らの知識と書物だけだから。
 失敗はできない。
 唯一度、生涯で最も危険な賭けになるかもしれない。
 それがどうした。
 そう、このままじゃ賭けることなく負けじゃないか――

 ということで、エルルゥは本気だった。
 これはもう懇願というより命令。いっそ脅迫も可だ。
 手はずは整っているため、トウカが断った場合は即、すごいことになる。

「『胸を大きくする薬』を作るのを手伝っていただけませんか」
「……ハ?」
「二度も言わせるんですか」

 目が、据わっている。

「いえ、なんでもありませぬっ」
「よろしい。ええとですね、簡単に説明すると――」
「はぁ」
「今から言う材料を取って来い」
「何故に高圧的でありましょうか!」
「いまちょっと機嫌悪いので。逆らいます?」

 トウカは昨日のことを思い出していた。
 トウカを弄んでいたカルラが、通りがかったエルルゥにひとこと。
 迷いもなく、
『あら、アルルゥに抜かれましたわね』
 神は死んだ、とトウカは思った。
 いやこの場合ハクオロが神に当たるので不敬もいいところではあるが。
 あまつさえカルラは付け加えてくれた。
『もしや殿中で一番……』ここで言葉を止め、
 考え込み、
 あごに指をやって、エルルゥの胸を目を細めて見て、
 最後にトウカに問い掛ける。
『ところであるじ様は大きいほうが好きじゃありませんの?』
 あの高笑いが、トウカの耳にまだ残っている。

 次の瞬間、世界は沸騰した。
 ちりちりちりちり、と電波――ではなく視線で肌が焦げた。
 エルルゥである。

 はっと気づいてトウカが見ると、カルラは逃げたあとだった。
 おそらく危機を察したのだろう。逃げ足の早いことだ。

 ひとり取り残されたトウカは、エルルゥに捕まった。
 逃げられるわけがなかった。
 短い人生だった。
 某は子を成す前に命果てまする、お許しくださいご先祖様――
 そんなことを思って、トウカは目を閉じた。

 自分ももっと胸が大きければ聖上にいっぱい――
 そんな妄想も加わって、トウカはにやけていた。

「あのー、トウカさん。聞いてます?」
「はっ」
「……話、聞いてませんでしたね?」
「いえそのようなことは!」
「とりあえず、悪くない取引だと思いますよ」
「へ?」
「トウカさんも今以上に胸を大きくしたい。違いますか」

 酷薄な笑みだった。

「それはその」
「そうですよね?」
「ええと」
「そうですよね?」

 肯くしかないではないか! ないではないか!
 顔で笑って心で泣いた。
 エヴェンクルガは強くあらねばならないのである。
 もののふなのである。

 ――つまりそれは、女としても魅力がそのなんというか。

 エルルゥはにこにこと微笑んだ。
 トウカが蜘蛛の巣に掛かったことを確信した笑みだった。
 カルラがトウカをからかう理由がよく分かる。
(これは、楽しいかも……)
 そんなことを思って、先を続けた。

「じゃあ行って来てください。はいこれが材料の表です」
「え」
「任せました。馬車馬のように働いてください」
「そ、それがしは!」
「ハクオロさんは喜びますねー」
「うぬ」
「ハクオロさんは子供が好きですねー」
「うぬぬ」
「トウカさん、おかーさんとか呼ばれたくないですか?」
「――それがしがおかーさん……」
「では頑張ってきてください」
「それがしがおかーさん……」

 ぱたん。戸が閉まる。
 残されたのはトウカが一人。ぽわーんと笑んでいる。

「それがしがおかーさん……!」

 次の日になると、トウカは旅だった。エルルゥの思うつぼである。
 そして苦難の日々が始まった。
 西に行けば秘薬『ばすとふる』を手に、
 東に走れば妙薬『ぱいでか』を奪い、
 北に飛べば妖草『すぴるりな』を掴み、
 南で最後の神器『きゅーいんき』を譲り受けた。

 もはや我が前に敵なし。
 トウカは鬼神の如き強さを持って、万難を討ち賊を潰し、
 道に立ちふさがる悪鬼羅刹をばったばったと切り倒しながら帰った。

 もはや豊胸(イコール子を持つ=母)への道は遠くないと思われた。
 ああ、だがしかし!

「これでよし、っと。じゃあトウカさん、先にやってあげます」
「良いのですかっ!」
「ええ、これだけ頑張ったんですもの。それくらいの報酬はあるべきです」
「エルルゥ殿……エルルゥ殿はやさしいです……」
「いえいえそんな」

 三日三晩かけて調合をした。
 絶妙に配合されたその一見おどろおどろしく濁りきったどどめ色。
 伝説の豊胸薬はここに誕生した。神器『きゅーいんき』も用意完了。

 そして、トウカは飲み下す。

 ごぎゅるぎゅるぎゅるるる。
「あぅ……あぅあぅあぅ。ご、ご不浄に失礼つかまつるっ」
「トウカさんっ」
「――っ!」

「こんなところにいたのか。ふたりして何やってたんだ?」
「あ……ハクオロさん」
「ん? これは」

 見たのは神器『きゅーいんき』

「まさか。これは豊胸用の吸引機か……」
「ええっ、ごぞんじだったんですかっ」
「まあな、……もしかしてエルルゥ」
「うっ」

 エルルゥは暗に察されて身を竦ませた。乙女心は複雑なのである。
 出来れば知られないままのが良かったと思っていた。

「でも要らないぞ?」
「へ?」
「いや、エルルゥは、その――」
「どういう」
「小さいままのが好きだな。うん」
「――!」

 絶句。

 エルルゥではなく、背後で実際に胸が大きくなったトウカが。

「そ、そうなんですか……」
「はははは」

 照れて赤くなるエルルゥとハクオロ。
 ハクオロの後ろで凍り付いているトウカの姿は透けている。

「じゃ、じゃあ今日は寝所に」
「そうだな。よし、いまから」
「今からですか。えへへっ」

 屋内に消えていく甘い空気を醸してる二名。
 誰もいなくなったところで涙するトウカ。

「も、もののふは泣きませぬ……」
「まあそういうこともありますわね。なんなら一緒に飲みませんこと?」
「……はい」

 いつの間にか来ていたカルラに誘われて、飲み明かすことに決めた。
 トウカは大きくなった胸を抱える。
 きっと同じ悩み(胸の大きさ)を持つカルラに共感せずにはいられなかった。
 深く心の刻みつけた。世の中には小さいほうが好みの男性もいるのだと。

「……それがしはおかーさんと呼ばれたかったのですがーっ!!」
「よしよし」

 その叫びは、夜によく響いた。
 尚、豊胸薬の効果は一週間で切れることをトウカは知らなかった。

 単に胸が腫れていただけだと判明するまでのあいだ、
 カルラとトウカは真実、完璧な親友のごとくだったという。


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