いつか、指差して罵られたことがある。

 ――魔女だ。その女は魔女だ。

 まあ、たしかにその通りなので反論はしなかった。
 淫靡だとか妖艶だとか、昔はよく言われたものだけれど。運命ってやつかしら。まあ、いろいろとあった昔を思い出しているときりがない。おだてに弱いのも、まあ、性分だ。
 今はどうだろう? 何百年という日々を空しく過ごしてきて、こうして突然に慌ただしい日常に巻き込まれて。まあ、だからたぶん端から見れば、最近は微熱に浮かされているように仲間連中から思われてしまうのは……仕方のないことだ。なんて、思う。
 メイフィア=ピクチャー。本名なんかではもちろんない。そもそもが絵画に宿った精霊……あるいは悪魔。その二者にさほどの違いは無いし、言ってしまえば神だとか、天使だとかも似たようなものかもしれない。単なる役割の差でしかない。
 それに、役割以上の差があったところで、どうせあたしにゃ無関係だしね。
 んー、なんか人間界来てから、妙に影響されてる気がするなぁ。
 くわえタバコで髪をかきあげる。視線の端にはなかなかの美人がいた。ちなみに、あたしはどちらかというと退廃的な空気が好きだ。といっても陽気なのも嫌いではない。さて、あの娘はどちらのタイプに当てはまる人間だろう。
 興味の視線を感じ取ったか、ゆっくりと近寄ってくる。隣りに座った。吸ってもいないのに灰皿持参だ。なかなか気が利くらしい。あたしのほうは朝からやっているせいで、手元じゃ吸い殻がこんもり満杯に盛りつけられていた。

 そこのお姉さんー、どうです? ここらの台は出てますか?

 話しかけられた。相手は明るい笑顔をこちらに向けているので、こちらは不機嫌な顔で返してみる。

 うんにゃ。ぜーんぜん。

 実際、そうだった。偶々空いた席だが、寸前までいた無精髭のおっさんは淡々と打ち続けたあと、諦めたように他の場所に移っていった。その前にいた若いあんちゃんは礼儀がなっていなかったので……暗示かけてお帰り頂いたけれど。いやいや、そういうことをするのに良心の呵責は無い。というか、いらない。当然だ。だってイカサマしてるわけじゃないもんね。
 彼女はなおも言葉を接いでくる。

 ね、あなたの名前は?

 はぐらかしてもよかったけど、なんとなく面白いことになりそうだと思って、告げてみる。目線は鉄の玉が流れるのを追い続けて、適当な口調で、仕方ないなあと言いたげに。

 ん。メイフィア。そっちは?

 うーん、と唸る。おいおいこっちが教えたんだから言うのが人情ってもんじゃないのかい。とか口に出しそうになる。いけないいけない、最近エビルがハマってる任侠映画を一緒に見てるせいか、微妙に釣られてるみたいだ。カタギ衆にゃ迷惑かけちゃなんねえぜ、みたいな感じのやつ。わりと面白いので、毎回借りてくるたびにつきあってるけど。というか、なぜエビルは恋愛映画に手を出さないのか。男いるくせに。……あー、最近良い男見ないなあ。
 彼女はにんまりと笑った。なんというか、割と黙っていれば清楚、喋っていればお姉さんタイプの……いやいや。もうちょっと観察してみよう。

 明日菜っていいます。どうぞよろしく、メイフィアさん。

 一見芯の強そうな声を聞いて確信した。ダメだ。こういう子には、あたしはすっごく弱いんだ。
 余裕ありそうに見える人間ってのは、たいていの場合、何かしらそうしなきゃならない状態にある。
 そう振る舞っていないと、今にも倒れそうな、そんな感じの。
 この子もそのタイプだろう。享楽に逃げられない、哀しいくらいに弱い子だ。

 ふうん。ここ、よく打ちにくるの? そのわりにはあんまり見た顔じゃないけど。

 あたしの問いかけにも怯まない。視線はこっちの横顔を捉えたままで離す気はないようで、興味深そうに見つめている。ありがたいことにレズっ気は無さそうだ。こっちも無い。百合の世界はなんというか、堕落したい人間向きじゃないと思うわけだ。……ああ、こっちは人間じゃなかったか。
 明日菜がじっと黙っているので、どうでもいいことをぼんやりと考えてみる。
 手は動かさない。タバコの紫煙を吸い込む。持ってきてもらった灰皿に押しつける。ふぅ、と息を吐いた。
 目を向けてあげる。明日菜は視線が合うと大人びた表情で微笑んだ。目を細める。

 もう何年もパチンコなんてやってなかったんですけどね、気が向いたから。

 遅い答えだった。そ、と相づちを打ってあげる。

 でもつまんなくて、ぐるっと店内一週したら……普段お目にかかれないくらいのすっごい美人がいたんで、つい声かけてみちゃいましたー。やっぱり迷惑でした?

 別にぃー。

 などと気のない素振りで切り返す。店に流れるテクノ系の音楽が喧しいのか、明日菜は顔をしかめた。本当に慣れていないのだろう。だとすると、匂いも気にくわないはずだけど。そんなことまで気に掛けてあげる必要はなさそうなので、また台に目を向ける。

 明日菜ちゃんさ、なんか、中島みゆきって好きそうよね?

 さすがにそれは予想外の質問だったらしい。唖然とした、というかなんというか。とにかく信じがたいものを見るような目つきでまじまじと凝視してくる。

 こら。人の顔をそんなに真剣に見ないでちょーだい。惚れるわよ。

 えっと。割と、好きですけど。……メイフェアさんって、どこの方ですか?

 話し言葉が固い。敬語には慣れているようだけど、年下相手のが気楽そうだ。
 そういうところも似てる。それなのにあたしみたいなのに話しかけてきたあたりが、なんとも哀しい。もう少し気楽に生きればいいのに。
 しかしどこの方ですか、と来たか。まあ、日本人にゃ見えまいね。金髪だし。目も色違うし。そもそも日本人離れしたナイスバディだし。……死語かな、やっぱり。若くないとは思いたくないんだけど。でも、中島みゆき好きってあたりの理由は、たぶん明日菜も同じなんじゃないかしら。

 んー。遠くのほう。まあ、近くとも言えるのよね。それよりさ、

 一端、言葉を切る。明日菜はちょこん、という表現がぴったりなたたずまいで話を聞く体勢になっている。相手によって態度を使い分けるのは、面倒だろうに。

 いろいろ疲れるようなことがあるんでしょうけど。ま、明日菜ちゃんみたいな美人なら寄っかかれる相手には不自由しないだろーから。頑張りなさいよ。美人薄命。恋せよ乙女。

 それだけ告げて、あたしは立ち上がった。いきなり帰る様子を見せたのに慌てたのか、明日菜はぽかんとした顔で座ったままあたしを見上げていた。笑いがこみ上げる。苦笑だけ表に出す。そうそう、悩みなさい。人生なんて不条理の連続なんだから。何かにぶつかるのが普通なんだから。何が正解かなんて、後になっても分からないんだから、ね。

 同類相手にはあたしも優しいわね。なんとも。
 さて、家に帰るとしますか。
 バイバイ明日菜。性格からして、付いてこないと思うけど。
 まあ。どんなに迷っても、あたしみたいな変なのに近寄らないようにしてもらいたいものだ。
 なにせ、危ないからさ。
 下手すると、人間に混じった別のもんに、食べられちゃうのよ?
 あ。

「玉、千円分残ってるの忘れてたな……」

 格好つけて出てきちゃったしなあ。
 ま、いーや。

「今日はすき焼きが食べたかったんだけど……しかたないか。麻雀でもしてくるかね」


(了)



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