「主任!」
「……ん? どうしたんだい」
この場所は、常時忙しさと慌ただしさに埋もれている。
来栖川エレクトロニクス中央研究所第七研究開発室HM開発課。
長い割には、その名称を覚えている人間は内部関係者だけという、少し寂しい場所。
呼ばれた白衣の人物は、長瀬源五郎。開発主任にして、研究室の責任者でもある。
メイドロボ開発の先陣を切って走り、そのまま突き抜けた男。
現在の汎用メイドロボ開発の第一人者にして、独自理論を完成させた人間。
専門分野においては、並ぶ者もいないと称される彼。
呼びかけたのは部下の一人の、とある研究員である。
「えっと、あの装置は……」
「ああ。あれは気にしなくてもいいよ」
長瀬が応える。彼の視線の先あるのは、奇妙な形状の枕。
部下数名が取り囲んだ装置は、ベッド上に置かれるべき形態をしていた。
寝台上に仰向けになっているのは、俗にHM-12型マルチと呼ばれるメイドロボ。
同一機種ではない。世間に出回っている機体のプロトタイプ、HMX-12型だった。
その頭部に敷かれている枕。
白い寝台上に載せているだけだが、どこか微妙、と思わせる色をしている。
センス不足、と今まで黙っていた研究所スタッフの一人は思った。
無論、口にはしなかったが。
「あのー。いつまでこうしていれば良いんでしょうかー」
狭い室内に、幼さを残す声が響きわたる。
女の子の声である。年の頃なら15、16ほどか。
もっと下に見られることもあるかもしれないが、それ以上には見えないだろう。
少女のような可愛らしい声を発するのは、この場に居る存在では彼女だけである。
研究所内の人間は、若い男、中年の男、若しくは中年女性ばかり。
外見で見た限り、年齢的なことを考えれば。
例えロボットであったとしても、彼女しかいないのは明らかだった。
実際の年齢としては10歳にも満たないのではあるが。
マルチは気になっていた。
不思議な枕。どう見たところで、安物にしか見えない固そうな枕。
マルチ自身も知っていることだが、横になったところで大きな意味は無い。
機械の身体には、横になる、ということに大きな意味があるわけではない。
彼女にとって、睡眠とは座ってでも出来るものだから。
夢を見ることも可能ではある。
しかし、それはプログラムされた中からランダムに抽出された記憶。
見たことのないものは、見えない。知識としてないものは、出てこない。
機械仕掛けの夢。
定められた数字合わせを、じっと組み合わせるだけの映像だ。
情報を付け加えると、電気エネルギー充電の、休止中にのみ付けられた機能。
単なる記憶の整理用のツール。マルチにとっては、夢がそれに当たる。
それでもあの枕を使うのは、きっと深淵で高尚な理由があるに違いない、と。
主任を含む、悪戯好きの多い研究所の人間たち。
未だ彼らの性格に毒されていないマルチは、ただ純粋に思っていた。
長瀬が、しばらく考えたあとに応える。
「あ。マルチは……そうだな、ちょっと目をつぶっていていいよ」
「はいっ」
元気良く返事をして、マルチは目を閉じた。
単なる節約モードであるが、それなりに予算の無い研究所としてはその方が良い。
主任の行動を息を呑んで見守る一同。
彼らの頭にあるのは、『あの枕はなんだ?』という疑問である。
我らが長瀬主任が夜なべで造り上げた、無茶な趣味の一品だったらどうしよう。
と、不安になるスタッフ責任者もいれば、好奇心だけで期待する部下もいる。
しかし、彼らは黙って待っていた。
これから何が起きるのかを知りたい。そんな研究者としての興味。
特に、この人物が何をしでかそうとしているのか。この一点に尽きる。
思いつきで行動するように見えて、実は策士であると、皆が知っていた。
一同が、固唾を呑んで見守るなか。
長瀬が動いた。
それを見たスタッフたちの間に、緊張が走る。視線の焦点は一カ所に。
彼は枕に手をやった。ベッド上のマルチに、本来は必要もないのに毛布を掛けてやる。
装置を少し弄った。誰もが沈黙を保っている室内に、騒がしい音を生みだす。
しばらく機器の調節をするための動きをして、画面にケーブルが繋がっているのを確認。
ゆっくりと振り返って、口を開いた。
「あ、画面に一番近いひと。ちょっとデータ取っておいてくれるかな?」
「……えっと、どのデータを」
慌ててモニターの側にいた男が、聞き返す。
「夢を見ているときの映像と、波長のゆらぎ、あとは……今までの夢との比較用にいくつか」
「ハイ! でも、この辺りのデータって取る必要あるんですか?」
「うん、あるよ。何のための装置だと思ってるんだい」
その言葉に、はっ、とベッドと枕とマルチに注目する全員。
皆の動きには気付かない素振りで、長瀬主任は説明を開始した。
「夢を見られるかどうか。そういう実験だよ」
「その機能はあったはずですが。記録映像の整理中に、一部を夢として創るのは」
「うんうん。それを創ったのは僕だからちゃんと覚えてるってば。それはそれ、これはこれ」
「……夢って、本物の夢ですか!? うわあ、もしかして、そのための装置ですかアレ」
「どうだろうね」
長瀬主任の素っ気ない言葉に、むしろ、一同に熱が入る。
唐突に活動を活発化させたのは、やはり興味であろう。
科学者、研究者たるもの好奇心あって然るべきだ、と。
そのような信条くらいは持っていたのか。
無言のまま、にわかに騒ぎ出しそうな周囲の人間たちに対して、長瀬は小声で言った。
「いや、そんなにやること多くないってば」
「いーえ! こんな世紀の大実験、見逃すわけにはまいりません!」
「……無理だと思うけどなぁ」
「何がですかッ!!」
仮にも主任。認めたくなくても主任。どうしようもないくらいに主任。
しかし、主任は尊敬に値する人物であることだけは真実なのだ、と。
内心では思っている助手が長瀬に詰め寄った。まさに勢いだけでの行動である。
機械は夢を見るか。
それも、プログラムによって創られた機械的、人工的な夢ではなく。
人間の脳が描き出すものと全く同じ、本物の夢。
「いや、だってその装置、リラックスして眠れるかどうかっていう実験用だし」
「……は?」
「いやー、最近のテレビって面白くてね。このくらいの波長だとリラックス。
揺れが激しいと、精神的に荒れ気味になるとかなんとか言う話が良くやってるから」
「まさか、それだけですか……主任」
「うん」
簡単な肯定の言葉。
一人の例外もなく、脱力してしまった。
ある者はため息。ある者は床にふらふらと座り込む。
この人はこういう人だからと、とっくに諦めている人間もいる。
張りつめていた空気が一気に抜けていく。
長瀬主任の思いつきと気まぐれは、半ば研究所のガス抜きになっていた。
緊張の糸の切れてしまった彼らに対し、長瀬が語りかける。
「だって、マルチの夢と言っても、実際は脳内で行ってる作業と同じだよ」
「そんなことないです! 何故か、人間の視る夢と同じにならないから期待したんです!」
「そうですよ。どうやっても再現できないプロセスを、無理に誤魔化してるだけです。
こんな複雑怪奇な夢の模型作成みたいなこと、主任くらいしか出来ないって思ってたのに」
いっそ叫んでしまえ、と遠慮無しに大声で怒鳴る部下、及びスタッフ責任者。
反応した主任の動きは、むしろ緩やかとすら言えるものだった。
「ま、とりあえず今はどうでもいいね。後で考えようか」
「……はぁ」
撃沈。完全に流されてしまったスタッフたちは、鬼気迫る表情でため息を吐いた。
かなり矛盾した感情を、どこにぶつけていいのか困っているような雰囲気。
主任を中心として、いつの間にか出来ていた円が、ばらばらと散っていく。
「んじゃ、あとはしばらく放っておこう」
「どうしてですか?」
「……いや、マルチが寝てる間のデータが欲しいだけだから」
長瀬は、もう今日はやることもないし、と続けた。
言葉を聞いた助手が大声を出す。
「おーい! 今日はもうあがって良いってさっ!」
室内から出ていく主任。
ぞろぞろと続く白衣の男女数名、勤務時間も終わりと聴いて嬉しそうだった。
モニターの前の男が一人取り残される。彼は困ったような顔で、長瀬に声をかけた。
「あのっ。主任ッ! 私はどうすれば」
「そうだったね、ごめんごめん。そのままデータ取っておいてくれるかな」
「……え?」
男が硬直した。長瀬が淡々と語りかける。
「徹夜してくれるとありがたいな」
「あのー。残業手当は……」
「もちろん」
「じゃあ!」
「出ないよ」
彼は、悲しそうな顔になった。
この上司の行動は阻めないと分かっているものの、足掻く。
一応、控えめに叫んでみた。悲痛な声。
「んな無茶苦茶な。仕事じゃないんですか!?」
「仕事じゃないね」
当然とばかりに目を細めて言う長瀬。
カツン、と硬質な音が響く。男の側に近寄って、ささやいた。
「だったらなんで私がやる羽目になってるんですかっ!?」
「君が有望だからだよ。決まっているじゃないか。
こんな重大なことを他の人には任せるわけにはいかないんだ」
二人っきりになっても、更に接近し、わざわざ小声になった。
真剣な表情で、男に向かって秘密の話をするように告げる。
研究所の薄暗さと重なって、犯罪者の会合にも見えかねない。
「そ、そうだったんですか」
「そうだよ」
長瀬は大嘘をぬけぬけと言った。
しかし、嘘を吐いているようには見えない。説得力抜群の演技である。
普通の感性を持った人間ならば、おそらく騙されてしまうほどの自然さで。
その嘘を信じてしまったらしい。哀れな研究員は嬉しそうに頷いた。
「はいっ! 頑張りますっ」
「うんうん。頑張ってくれ」
ははは、と軽く笑いながら部屋を出ていった。
寂しく一人、残された彼はデータを一晩中とり続けていた。
次の日の朝。
長瀬がやってきて、男がまとめたデータを受け取った。
「ほい。ありがとさん」
「眠いですよ……主任、それでデータの方は?」
「うん」
「……いや、うん、じゃなくて」
「ふぁあああ」
ベッドの上であくびをするマルチ。
本来、あくびなど必要ないが、おそらくどこかで覚えたのだろうと男は判断した。
研究員は、学習機能の精密さと、貪欲さの無制御を垣間見た気分になった。
長瀬主任の能力。スタッフの有能さ。最先端と呼ばれる施設。その全て。
彼は若干の畏敬と恐怖を覚えつつも、昨晩の話を切り出す。
回りには誰もいない。マルチと男と長瀬だけ。
辺りを気にする必要はないので、大きめの声で言った。
「ところで主任、私に期待ってどんなふうにですか?」
「ああ、あれ嘘」
至極当然とばかりに告げる。
刹那の間を取って、男が言葉の意味を理解した。
「……うわ、めちゃくちゃひどいですよッ!!」
「はっはっは。お偉いさんの目を誤魔化すのに慣れた僕の口の巧さを知らなかったかい?」
「知りませんよ、そんなこと」
彼が疲れた声で言う。
疲れさせた原因である長瀬主任は、静かに話しかけてきた。
「ま、そう拗ねないでくれ」
「それで、面白いデータでも?」
「期待通り、というわけじゃなかった、かな」
答えを言わないときの、長瀬主任の反応として有名なのはふたつ。
一つ目は、口車に乗せて、相手の思考を別の方向にずらしてしまうこと。
二つ目は、地味に話を逸らしつつ、決して口を滑らさずに黙っていること。
どちらでもなかった。
彼の様相を例えるのなら。
――生徒が、教師の出した問題のミスを指摘し、完璧な答案を出してきた。
その答えを見て、教師が苦し紛れに吐くべき台詞を探している――
そんな様子。
予想外の状態が起きたらしい。長瀬が困っていた。
そして、そのような長瀬を見たことがない男はもっと困っていた。
……上層部には、厄介なたぬき親父と嫌がられても、
何も気にせずに、いつも笑っているこのひとが驚いている!
冷や汗を垂らしながら男が訊いた。
下手な台詞を言った場合のことを、心底恐れながら。
「ど、どういう意味ですか?」
「んー。ちょっとマルチに質問してみようか」
言って、マルチを呼ぶ。
すぐに気付いてベッドから降りて、そのままふたりの元に走り寄ってくる。
「わっ、なんですか」
「いつも通りの夢は見られたかな?」
ちょっとだけやわらかい口調で、長瀬が質問した。
マルチがうーん、と考え込む。
しばらくして、ぽつり、と答えた。
「えっとですね。なんか不思議な夢を見ました」
「不思議っていうと、どんな風にか詳しく言ってみようか」
「鐘の音が響いている場所で、白い壁に囲まれた建物のなかでした。
真っ白なハトさんもいっぱい飛んでて、赤い絨毯にわたしは乗っていて。
何故か、綺麗な格好をしたわたしと、もうひとり……
男の人がどこかで一緒に歩いてるんです。
まわりに大勢のひとがいて、お祝いみたいなことを言ってくれてたりして。
その顔がなんか知っているひとたちの顔で、すっごく驚きました」
「……うん。映像通りだね。今日はもういいから、学校に行って来なさい」
「はいっ」
にこにこと笑いながら、元気いっぱいな返事。
パタパタと足音をさせて、そのまま学校へ向かうマルチ。
研究所前のバスが来るまで、まだ時間がある。余裕を持たせたのは親心か。
長瀬がつぶやく。
「驚いたな」
「どっ、どうしたんですか主任! 熱でも」
「……なかなか失礼だねぇ」
驚いても顔に出さないと評判だった彼の上司は、画面を指し示した。
そこにあるのは、何の変哲も無い行動のデータと映像記録。
「ほら。君はデータを取っていたんだろうけど、映像は見てないのかな?」
「いえ、見ましたよ。
特にいつも違うところは無かったので、気になりませんでしたけど。
……あれ? だとすると、なんかおかしいッスね。さっきの」
「うん。すぐに気付くよ」
長瀬が振り向いて、落ち着いた動きで画面を操作する。
いつも通りの記憶の整頓。順々に流れていく映像場面。強調部分。
様々な画像が早送りのように、振り分けられていく。
「いつも通りです……よねぇ……あれー?」
「さっきのマルチの言葉を聞いていただろう」
数秒沈黙。
ぽん、と男が手を叩く。
「あ、確かに!」
そのまま責めるような目つきで、上司に聞こえるようにつぶやく。
「……主任、マルチを騙しましたね」
彼の言葉を受け流して、長瀬が続けた。
長瀬は手元に目をやって、はい、と男に渡す。
「あと、データ。取るだけで比較してないのかな」
「は、はい……とりあえず朝まで取るので精一杯でしたから」
「見てみるといい。あの枕が出すのと同じ波線になるはずだけどね」
「ああっ。そのための実験だったんですか。ってことはやっぱり夢を」
言いかけた彼の言葉を手で押さえる。
呆れたように長瀬が告げた。
「違うってば。せいぜい人間と同じくらいの脳波になるだけ。
とりあえずあの枕には、そんなに深い意味はないよ」
「でも、実際にマルチは夢を――人間と同じように夢を見ました」
「不思議だねぇ」
「主任、調べたほうが良いと思います。本物の世紀の発見になります」
充分に間を取った。
長瀬は、空気を挟んで一歩下がる。
そのまま背後の机に手を載せ、寄りかかった。息を吐き出す。
彼は、マルチの出ていったドアの方向を見ながら口を開いた。
「……機械は夢を見るか、命題だね」
「マルチは見ました。少なくとも、あり得ないはずの不可思議な現象を」
夢の中では、記憶に無い映像は想像でも見られない。
少なくとも、マルチが普段見ていた夢はそういうものだった。
男が力を込めて言った言葉に、長瀬がいつもより重い口調で話す。
「いや、僕が言っているのはそっちじゃない。将来の夢の方だよ」
「……はい?」
困ったように疑問を呈そうとして、言葉に詰まる男。
長瀬が続ける。
「マルチは……あの娘は、幸せになってもらいたいんだがねぇ」
「主任、話が繋がってません」
うーん、と唸る。
講義をするように、熱のこもらない口調で説明し始めた。
「調べるとなると、このまま分解、精密検査、データの再現するだろう?」
「ええ。一研究員にはその先は解りませんが。
だいたいにして、そんな深い部分に関わったことないですし」
男は肩をすくめる。拗ねている声色。
「それで廃棄処分だろうね。何事も、一番最初のモノは残れないものさ」
「そう、なんですか?」
「うん。資料扱いになる。僕としては、非常に不満だ」
娘だと思っているからね、と長瀬がつぶやいた。
彼は静かに告げる。
「メイドロボは、人間の幸せのために生きて、人間の幸せのために死ぬ。
機械っていうのはそういうものだけれども、夢すら奪われるのは……ね」
「どっちの夢ですか? 将来……それとも寝ているときの?」
「両方だよ」
はぁ、とため息ひとつ。
男が黙り込む。長瀬は、研究所を見回してつぶやく。
にっこり、と悪巧みしたときの顔が、彼の視界に入った。
研究所員が何度も苦労させられたときの、とても困る主任の笑顔。
それを見て、男も覚悟を決めた。
「不思議だねえ……」
「……いや、全くです」
「僕らはどうやら夢を見ていたようだ」
「主任は寝過ぎです。私は寝てないからですけど」
ふたりして、マルチが夢を見たことは黙っていようと目配せをする。
はっはっは、と中途半端に笑い合った。苦笑気味ではあったが。
「あ、君は知っているかな。マルチが恋心に似た感情を持っているのを」
「は……? えっ、えっとあのその、そんなことが……ありえるんですか?」
「まあ、感情という名称で呼ぶんだけど。
あれは、成長過程での変化への耐性と能力向上による、自己意志の発現だね。
外部刺激に因って発生する、反射に似た情動行為。難しく言うとこんな感じ」
「つまり、マルチは学習機能を持っているから意志を、果てには感情も出来た、と?」
「感情なんてプログラムで出来るものじゃないんだよ。
まず外部から与えられたものに反応、それから創られるんだから」
「えっと……からっぽから生み出せるものじゃない、と」
「そういうこと。飲み込みが早いね」
講義における優秀な生徒の解答に、嬉しくなったのか、長瀬は小さく笑った。
男は簡単に頭の中で整理している。数分間の思考で区切りをつけた。
「……あ。人間と同じなんですか?」
ヒトもまた、外からの刺激に反応して感情を生み出す。
学ぶたびに複雑になっていく。マルチの学習機能とも、さほど差は無い。
長瀬主任は、開発者の貌で続きを口に出した。
「だからセリオも同じだけどね。まあ、あの娘は学習機能に頼らない分成長が遅いけど」
感情は、認識と自己判断の課程上で生まれただけで、意図的ではなかった。
技術で可能になった、などとは口が裂けても説明出来ない現象。
つまりメイドロボの感情は、プログラムで制御されているものではない、と。
長瀬の言葉に、男は困り果てた顔になる。信じられない、と。
「って、それこそ……そんな夢みたいなことが」
「あるもんだねえ。
僕もここまで可愛い娘と思えるようになるとは考えてなかったけど。
あ……当然、ふたりともだよ?」
「長瀬主任、私、かなり呆れたんですが」
「奇遇だね。僕もだよ」
苦笑。
男が寂しそうに訊いた。
「でも、いつかは永久睡眠することになります。それは」
「永い一夜の夢になるはず。その後は起こしてあげるつもりだよ」
勿論、会社の目を誤魔化すつもりだろう。長瀬は簡単に言ったが。
目覚めた後、自分たちが関わるわけにも行かない。
あくまで実験機。誰か、任せられる者がいなければならない。
真剣に男は悩んだが、長瀬は飄々とうそぶいた。
「娘を預けられるような人間はいる。彼にするかは試してから決めるけどね」
実は切れ者と下っ端の間でも評判な上司、ぽつりと本音を漏らす。
彼は疑問を投げかけた。
「ところで主任……いつからそんなに格好良くなったんですか」
「さあ、いつだろうね。……親の気分ってのが何となく分かった辺りかな」
そのうち格好悪くなっていくものさ、と長瀬が言った。
どうしてですか、と彼は聞いた。
けれど、長瀬は答えずに質問で返した。
「ところで、さっきマルチが言った夢。
叶えてやりたいけど、叶えたくない。こんな気分にならないかい?」
「はい? えっと、どんな夢でしたっけ」
「ちゃんと思い出してみれば分かるよ」
それだけ告げて、長瀬は用事がある、と言って去っていった。
黙ったまま、誰もいない室内で内容を思い返していた。
ぶつぶつと独り言をつぶやく。
「白いハト……赤い絨毯……鐘の音……?」
彼には全く縁の無いものばかりだったが、ふと気付いた。
「ああ……なるほど」
誰もいない研究室に、独りつぶやく声が響く。
「女の子の夢、ってやつですか……」
End.
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