ふとした瞬間に思い出すのは、酒場でよく流れていたジョニー・C・バッド。軽快で明るいメロディの曲だった。
 演奏してるグループはたいてい流しか何かで、場所によって楽器も腕前もてんでバラバラだったが、千雨の記憶に残ったのはその曲名の方だった。
 なにしろジョニー・C・バッドである。
 こちら側には、ジョニー・B・グッドという曲がある。軽快で楽しい曲、というイメージは同じだ。
 特徴的なイントロで、一度聞けば忘れられない。チャック・ベリーによる演奏を生で見たことはないが、散々カバーされているので千雨でも知っているロックの有名曲だ。
 特に千雨の印象に残っているのは、金曜ロードショーで見た映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出て来る一場面である。主役のマーティーがこれを演奏するシーンだ。未来の曲をやっているというのは分かったが、当時は……といっても今とそれほど変わらないが、千雨はまだ幼かった。曲名も知らず、マーティーのやった曲も聞いたことがある、程度だった。
 そのときは意味が分からなかったが、ネットで解説を見て初めて理解した。マーティーが演奏しているジョニー・B・グッドを電話越しに聞いたことで、本来の曲の持ち主であるチャック・ベリーが思いついた、という意図だったと。
 俗に言うタイムパラドックスそのものだ。
 時間移動という経過を挟んで生まれる、どちらが先か有耶無耶になる瞬間。
 始まりと終わりが入れ変わり、答えが宙ぶらりんになる問題。
 千雨はあの映画自体は嫌いではなかった。むしろ好きと言っても良い。フィクションの中から出てこないのであれば、ファンタジーもSFも最上の娯楽であることは間違いないのだから。
 ただ、監督としては、ちょっとした小ネタのつもりだったのかもしれない。
 それはとてもひどい話だった。どちらにせよ、未来から過去に戻ってきた人間も、それによって引き起こされた影響も、すべて運命に既に組み込まれていると言っているに等しい。
 そんな馬鹿な話はない。
 過去を変えようという意思も、過去を変えまいとする意思も、単なる既定路線でしかないなんて。
 だってそうだろう?
 あれを認めてしまったら、未来に意味なんて無いってことになる。
 あれを認めないのなら、過去に価値なんて無いってことになる。
 どっちにしても、ふざけた話だった。


 すっかり失った子供らしさの有無とは無関係に、長谷川千雨はまだ小学生である。元から子供らしくはなかったという話もあるかもしれないが、とにかく教科書を詰めた赤いランドセルを背負っての登校である。
 同級生からは一日ぶり、千雨自身は一年ぶりとなるのだ。
 意外と似合うのは、千雨がそう振る舞っているからでもあった。
 巨大な学園都市である以上は、区画によっていくつかの校舎があり、千雨が通っている校舎のは麻帆良の中心から外れた場所にあった。
 奥まった位置にある麻帆良学園女子中等部や高等部、それらに隣接している聖ウルスラ女子高等学校などとは異なり、千雨の通う初等部はそこまで大人数の学校ではない。
 とはいえ都市自体の規模が規模なため、あくまで周辺住民の子女が通うための入口的な扱いとなっている。近所にある初等部を卒業すると、ほぼ全員が巨大な中等部へと集められることになるわけだ。そこで通学の問題が出て来るため、中等部では寮生活が基本となってくるのだが。
 なんにせよ、通勤通学ラッシュのとんでもない人の奔流は嫌が応にも目に入るのだった。
 伊達眼鏡をかけたままの千雨は、当たり前の顔をして教室に向かった。
「……千雨ちゃん!」
 声を掛けられた。
 いったい誰だろうと首をかしげていると、声の主は元気よく立ちふさがってくれた。
「三条か。おはよう」
「おはようっ! ……って、千雨ちゃん、昨日はどうしたのっ!? あれ? 今挨拶してくれた? あれ?」
「挨拶くらいするだろ。ひとをなんだと思ってるんだ」
「だって! ……じゃなくて、昨日どうして休んだの? 今まで休んだことがなくて、皆勤賞も狙えたのにっ」
 同級生の三条こずえである。
 心配してくれたらしい。そんなに親しかった覚えはない。というか事務的な会話しかした覚えがないのだが。千雨の不思議そうな視線を受けて、ぷんぷん、と口で言って怒りを表している。
 席だって離れているし、彼女に対して、何かしてあげたことだってない。
「ちょっとな」
「ちょっとじゃないよ! 先生も連絡が無いって心配してたのにっ! ……私も心配したのに」
「そりゃ悪かった」
 素直に謝ると、こずえは目を丸くしてパクパクと口を開いたり閉じたりした。
「千雨ちゃん、ちょっと変わった?」
「どういう意味だ」
「だって」
「……まあ、とりあえずランドセル置かしてくれ。そろそろ先生来るだろうし」
「あ、ごめん」
 あっさり引き下がったこずえは自分も席に戻った。しかし視線は千雨に向いていた。唇が尖っていたのは、その奇妙な変化に納得が行っていないのが原因だろう。
 千雨はどうしたものかと軽く息を吐き出した。
 以前ほど人見知りするわけではない。今掛けている伊達眼鏡だって以前の自分に「なりきる」ための小道具だった。
 三条こずえの反応は以前の自分なら煩わしいと避けていたたぐいのものだった。遠ざけるしか術を持たなかった頃ならば。
 どうでもいいと思っていた教室のなかが、少しだけ色づいて見えた。
 一人でも、自分のことを気にしてくれたのだと思うと、頬が緩むのを抑えるのが大変だった。


 以前、千雨の伊達眼鏡は壁だった。透明なレンズ越しに世界を隔てること。誰だって他人と関わるときには仮面を付けている。自分がどう思われたいか、自分をどう感じて欲しいか、それを意図的に操作するための人格という仮面。
 同じものを見ているのに、一方は当然と語り、もう一方は不可解と語る。そこに生まれる断絶が千雨の性格に多大なる影響を及ぼしたのは間違いない。
 摩耗した千雨は、自分を守る必要があった。
 ありえないことを、ありえると口にするのは構わない。嘘を吐くことは容易い。方便を用いることだって気にしない。
 だが、ありえないことを、ありえると感じることはできない。自分の感性を騙すということは、自分を裏切ると言うことだ。自分の感情、記憶、生き方、すべてひっくるめた在り方を、他者に譲ってねじ曲げるということだ。
 そんなことはできない。
 そうして千雨はすれ違いに苦しんだ。
 嘘つき呼ばわりの果てに、自分を守るために、口を噤むことで対処した。
 有り体に言えば、千雨は他人が怖かったのだ。同じものを見て、自分が赤と感じるものを、他の皆が青と感じる。理解出来ないのではなく、理解した結果が全く異なるという世界。これが一人二人なら気にしなかっただろう。
 だが、圧倒的多数のなかの少数、異物は千雨の方だった。いつも間違っているのは自分だと思わされる。しかし、どうしても自分が間違っているとは思えなかった。だから、こんなに辛いことはなかった。
 分かってもらえないことが辛くて、怖くて、悲しかった。
 だが、自分は分かろうとしただろうか?
 彼らがどうしてそう考えるにいたったのかを。いつでも千雨とは異なる答えを出す彼らが、本当に自分の意思でその答えを口にしているのかどうかを。


 理屈はさておき、もう結果は分かっている。
 麻帆良には異常を当然と思わせる何かがあることは、間違いなかった。
 楓が去ったあと、色々と考えた。いくつか試してもみた。それゆえに千雨は仕掛けについて見当が付いていた。街全体を覆い尽くしている広域結界。おそらくは侵入者対策で、あの巨大な樹、世界樹の魔力を利用していると考えられる。そこに意図的か付随してかは知らないが、ある種の認識を阻害する術式を混在させているのだろう。
 日本の歴史のなかにあんな世界樹が存在したという記録はない。樹齢が何年だかは知らないが、あんなものの存在を通常の手段で隠しきれるはずもないのだ。
 つまり、この地は初めからそういう力が働いている、ということになる。
 もしかしたら、人が住み着く前からかもしれない。戦前どころか江戸時代、あるいはその前からの可能性もあった。学園の創立は明治中期、およそ百年近く前と聞いたことがある。学園都市を作るにあたってあの樹に気づかないわけがない。とすればあれが何なのか、創設者その他は理解していたと考える方が自然である。
 付け加えるに、それを隠そうとしてる組織もまた、一定規模以上の大きさのものが存在しているはずだ。自動的なもので情報を遮断しきれるはずがない。明らかに人工的な隠蔽も行われている。しかし、都市すべてを監視し尽くすのはいくらなんでも無理があるだろうし、そんな煩雑な真似をする理由は思いつかない。
 広域をカバーするには、怪しまれない人員がいい。学園都市である以上は、教師や生徒、事務員や職員、商店街にもそういった役割の人間がいるかもしれない。少なくとも何十人、多ければ数百人規模の組織と見るべきだ。万人単位が暮らす麻帆良である。あるいは数千人いるということもあり得ないわけではない。
 その組織の構成員が、意図的に悪事を働いているとはさすがに考えにくい。
 むしろ善意に近いのかも知れない。何らかの要因でこの地に異常が現れやすく、それを秘匿して対処しているとすれば、その行為自体には結果としての正当性が存在する。手段の部分は実態を把握しなければ何ともいえないが、問題が起きても一般人への被害が無く、あくまで闇から闇に消し去っているというのであれば、それ自体では憤る理由たり得ない。
 怒る筋合いはない。同類同士で勝手にやってくれ。それが千雨のスタンスだ。
 それは当然ながら無関係の一般人に一切の被害がないのであれば、の話である。
 被害なら、あった。
 千雨は理不尽に苦しんだのだ。
 自分が苛まれた孤独が、誰かの行為による無自覚な結果だったとしたら。
 仮定した彼らが本当にいるとして、彼らには無力な少女を苦しめていた自覚はなかったのだろう。そこまで悪辣な人間がこの地に犇めいているとは思いたくなかった。
 だが、受けた苦痛を、何の理由もなく容易く許せるほど千雨は寛大ではない。
 理由如何だ。たとえば世界の危機に対する対応として。たとえば無数にいる弱者の救済のため。そうした行動のために受けた被害であったとしたら、被害者として納得は行かないが、一応の理解はしてやろう。千雨はそう思っている。責任者の顔を一発張るくらいで、溜飲を下げることもやぶさかではない。
 だが、そうでなかった場合。
 この地にいるであろう数十から数百名の組織、その彼らの都合のみが理由だったとしたら。
 万が一それだけが理由だとしたら、千雨は意趣返しを躊躇うつもりはなかった。
 そう、意趣返しである。受けた被害の分だけ、反撃をする。それだけだ。それ以上のことはしないし、するつもりもない。理不尽な目に遭わされたからといって、それ以上のことを仕掛けるのはやはり間違っているのだと知っている。
 それをしたら相手と同じになってしまうではないか。
 千雨はものまね師の弟子だが、馬鹿の「ものまね」をするつもりはないのだ。
 心の痛みが肉体の痛みに劣るなどとは決して思うべきではないが、千雨は物理的に傷つけられたわけでも、近しい人を殺されたわけでもない。
 不思議を当然と受け入れられなかったから、人と同じように振る舞えなかった。だから、もしかしたら得られた穏やかな時間を失っただけ。もしかしたら得られた友人が遠ざかっていっただけ。本来過ごせていたはずの当たり前の人生を、ほんの少しだけねじ曲げられてしまっただけ。
 大したことではないと笑い飛ばすにはいささか重いけれど、取り返しがつかないのは過ぎ去った時間と若干ひねた性格くらいなものだ。
 恨み辛みは、自分のこれからと引き替えにするほど大事なことではなかった。


 というわけで休み時間にぼんやりと頬に手を突いて、眠たげに黒板を眺めていた。
「千雨ちゃーんっ」
「……またか」
 子供は風の子、とはよくいったものだ。
 しかし、休み時間になるたびに千雨の席に飛び込んでくるこずえのはしゃぎっぷりに千雨は辟易し始めていた。
 主観的には一年前、客観的には二日前までそれほど会話もしていなかった相手が、こうも執拗に話しかけてくるとなると、違和感は否めなかった。
「三条」
「こずえ」
「ん?」
「こずえでいいよ?」
「……三条、さっきから何の用だ?」
 仕方ないかーとこずえは頬を膨らませつつ、ふっ、と笑った。
「用ってほどのことでもないよっ。ただ千雨ちゃんと仲良くしたいだけ!」
「やっぱり妙だな」
「ギクッ」
「正直に言え。何を考えてる?」
 こずえは口ごもった。しばらく出すべき言葉に迷っていたようだが、観念したように口を開いた。
「一昨日、見ちゃったの」
「何をだ」
 こずえが小声になったので、顔を近づける。周囲からは特に気にされている様子もなく、聞き耳を立てられている素振りも見受けられなかった。だがこずえが何をしゃべり出すか分からなかったため、ひそひそ話の体裁を取った。
 一昨日というと、異世界に飛ばされた日であり、帰還した日であり、超と楓と出逢った日でもある。
 何か致命的な場面を見られていたのかもしれない。
 たとえば、楓と戦っているところとか。いや人払いの仕掛けを作っていてくれたはずだ。とすると超の時か。いや、次元を渡った場面を遠くから目撃されていたとしたら。
 顔色が悪くなった千雨に済まなそうな表情で、こずえが頭を下げる。
「ごめんね、そんなに気にしてたなんて思わなくて」
「何を見た?」
 声はかすれていたかもしれない。
「千雨ちゃんが、……を買ってたのを」
 こずえの声がさらに小さくなった。大事な部分が聞き取れなかった。買ってた? 何を? 千雨の記憶にはそんな場面は存在していなかった。何を見たというのだろう。
 怪訝そうな千雨の表情に、こずえは繰り返した。
「……だから、千雨ちゃんが! ビブリオンのステッキを買ってたのを見たのっ!」
 ビブリオン。
 一瞬意味が分からなかった。少し経ってから理解出来た。ビブリオンのステッキ。千雨にしてみれば一年も前の話だから、すっかり記憶から消え失せていたのだ。
 買った。確かに買った覚えがある。
 ホームページを立ち上げてネットアイドルでもやるかと一念発起して、真っ先に選んだコスプレの衣装がそれだった。
 ビブリオンの衣装はセーラー服を多少改造すればいいと考えて、小道具は玩具会社が原寸大のステッキを販売していて、それらを買い込んだ帰り道で、千雨はあえなく異世界に飛ばされたのだった。
 魔法少女ビブリオン。
 MHK第二で日曜日の朝8時30分から放送している魔法少女モノのアニメである。まだ始まってからそれほど経っていないが、意外に良く出来たストーリー展開とキャラのおかげで、人気が高くなりつつある作品だった。
「それで、ビブリオン好きなんだって思って、話しかけようと思ってたら……昨日いきなり休んじゃうし、連絡も無いって先生が言うし、もしかしてあたしが見たことに気づいて、何か気にしてたら悪いかなって思って、それで!」
「あー、なるほど。自分のせいだって思ったのか」
「……うん」
 こずえは少し俯いて、頷いた。
「千雨ちゃん、そういうの、すごく気にするでしょ」
「……さあな」
「ほら、そうやって自分はさも無関係ですよ、みたいな顔して! あたし知ってるんだよ、千雨ちゃんがひとの話をきちんと聞くってこと。どんな馬鹿話でも、どうでもいい話でも、ちゃんと聞いてからその顔するでしょ。何にも言わないけど、千雨ちゃんいつも何か考えてる。色々考えて、それで誰にも何にも話さないで自分の中で結論つけて済まそうとする。違うっ!?」
 バン、と机を叩いて顔を近づけてきた。
 ずっと見ていてくれたのなら、鬱憤が溜まっていてもおかしくない。
 以前の千雨の対応は、こずえの言うとおりのものだった。呆れて、諦めて、斜に構えて、そうやって周囲を遠ざけるために距離を取っていた。たとえ千雨にとってそうするしか自分を、自分の心を守る術がなかったのだとしても、だ。
 つまり、こずえは心配してくれていたのだ。そういう千雨を。
 もしかしたら昨日、ちゃんと登校していたらこの心優しい同級生の気持ちは分からなかったかもしれない。こずえだってあえて千雨に声をかけることをしなかったかもしれない。
 ほんの少しのずれが、何かを動かすこともあるのだ。
 良いことも、悪いことも。
「三条」
「こずえだってば」
「あんたは、よく見てる。正直、そこまで見られてるとは思ってなかった」
「え、千雨、ちゃん?」
「とりあえず、気にすんな。さっきの話だけどな。買ったのをすっかり忘れてたくらいだし」
「へ? でもっ」
「ああ、ビブリオンは好きだぜ」
「だよねっ!?」
 声が一気に明るくなった。こずえは同好の士を捜していたのだろう。それまでの千雨の他者を寄せ付けない態度に対して思うところが山ほどあったところに、ビブリオンの話題で盛り上がれる相手と知って、不干渉をすっぱり止めたのだ。
「やっぱルーランルージュだろ」
「ピンクチューリップ最高だよねっ」
「……あん?」
「へ?」
 目をぱちくり。二度、三度。視線が絡み合う。三条こずえ、じぃっと千雨の瞳を覗き込んでくる。
「あのお子様主人公Aが好きなのか?」
「泣き虫敵幹部が好みなの?」
 魔法少女ビブリオンには主人公が二人いる。ビブリオピンクチューリップと、その相方であるビブリオレッドローズである。ピンクチューリップは子供っぽく、レッドローズは少し年上の余裕がある、とキャラ付けされている。
 つまり馬鹿っぽいのである。
 それに比べて敵幹部はどうかといえば、いわゆる悪の女幹部の立ち位置にビブリオルーランルージュが存在している。泣き虫で引っ込み思案で照れ屋で恥ずかしがり屋というなんで敵役なのかよく分からない萌えキャラである。まあおそらくビブリオと名前に付いている以上、いつか寝返って主人公側に付くキャラなのだろうと推測されているが、今のところ謝ったり逃げたりするばかりでその気配はない。
 そう、ルーランルージュは、まさに萌えキャラなのである。完璧にあざとい存在なのである。狙い澄ましたそのキャラクターの造形にこそ千雨は惹かれたのであった。
 しばらくその世界から遠ざかっていたとはいえ、千雨のオタ気質は拭いきれるものではなかった。
「……三条」
「千雨ちゃん」
「あとでたっぷりルーランルージュの良さを教え込んでやる。時間空けとけ!」
「ピンクチューリップの可愛らしさが分からないなんて、……可哀想な千雨ちゃん」
 魔法少女ビブリオン。
 ビブリオの名前を冠することから分かる通り、本を愛する少女たちが、本を奪ったり隠したり書き換えようとしたりする悪の組織と戦う物語である。
 周囲に本が積んである場所で戦うピンクチューリップが《ビブリオ・アクアラプソディー!》とか大量の水を放射する魔法を使っているとか、突っ込みどころは山ほどあるのだが、そこは魔法少女モノの宿命というやつである。
 戦闘中は本は水に濡れず、炎で燃えないのだ。
「……世界の本を守るため」
 千雨がぼそりと呟くと、
「戦え、魔法少女ビブリオン!」
 とオープニングのナレーションをこずえが叫んだ。ノリが良いクラスメイトだった。
「……あー、三条。ビブリオンが好きなのは分かったが、授業、始まってるぞ」
「へ? あ、先生っ! 休み時間終わってる!? 千雨ちゃん、なんで言ってくれなかったの!?」
「特に理由はないな。あえて言うなら」
「言うなら?」
「三条がからかうと面白そうだったから、かな」
 むきーっ! と怒りながら自分の席へと駆け込むこずえを横目に、千雨は窓の外に視線を向けた。
 よく晴れた青空に、うっすらとした雲がかかり、その隙間から少しずつ光が零れ漏れてきていた。


 
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