四月の終わり頃。ようやく中等部特有の空気にも慣れてきた頃のことであった。
 長い廊下の窓から射し込む光にはどこか暖色の気配がある。これも春の色ということだろう。窓の外に覗く景色には青々とした緑が溢れ、もう少し先にあるはずの夏の入り口を今から想起させてくれる。
 遠くから吹き抜けてくる風は、冷たさにはほど遠いが、かといって暑いとも呼べない穏やかさだった。
 春が終わるには、まだわずかに早い。
 ハチミツ色にも見える日だまりに知らず一歩を踏み入れれば、風に紛れて、大きな声で誰かに呼ばれた気がした。
「ちっさめちゃーん! 久しぶり!」
「ん? ああ、三条か」
 誰何の声を挙げるまでもない。小学六年生のときのクラスメイト、三条こずえである。
 意識して会おうと思っていない限りは、なかなか偶然に出くわすことは少ない。
 麻帆良本校の敷地はだだっ広いし、女子中等部はほぼ全寮制の学校である。千数百人、場合によっては二千人超の人数が寮生活を送るのだ。当然女子寮そのものも相応の規模なのだった。
 で、違うクラス且つ違う部活になると、動く時間帯そのものがずれてくる。
 知人と遭遇する機会が一挙に減少するのは仕方のないことと言えた。寮は住宅地の近くに建設されているため、中等部の校舎すぐそばにあるわけではないのだった。
「千雨ちゃんはもう部活、決めた?」
「私は帰宅部だが」
 一拍おいて、こずえが無念そうに叫んだ。
「……えええーっ! なんでっ」
「なんで、と言われても」
「千雨ちゃんなら我らがラクロス部にいざ青春の火を灯してくれると信じてたのに!」
「ラクロス部ねえ」
 テレビで見たことがある、くらいなものだ。千雨としては特に興味がない分野ではあった。文化系クラブならともかく、運動部については頼まれても入るのは遠慮したいところである。
「桜子ちゃんもいるよ?」
「桜子……んー。ああ、椎名か。桜子大明神とか呼んで柿崎が拝んでたな」
「そうなの。桜子ちゃんは大明神にしてラッキー魔王。その運の良さはかのラッキーマンにも匹敵するとちまたでも評判でね、桜子ちゃんにあやかろうとして挑んでいったものたちは数知れず。かくゆう私もそのひとりだ!」
「胸張って言うことか」
 苦笑して流しておいてやった。
「そういやあいつらチアリーディング部にも入るとか言ってたな」
「ふっふっふ。チア部には掛け持ちが多いのだよ、知らなかったのかね明智君! いや千雨君!」
 こずえはそう声を挙げると、ハハハハハと怪人二十面相風に高笑いを始めるのだった。
「じゃ、私は帰るから」
 こずえから縋るように腕に抱きつかれた。
「スルーはやーめーてー!」
「スルーされたくなかったらもう少し声のトーンを落とせ。ヘンに注目されてるだろ」
「ふふふ、見せつけてやろうじゃないか」
「……」
 千雨はさっと背を向けた。
 無言だった。
 一切振り返ることもなく本気で歩き去っていこうとしたところを、こずえに必死に引き留められた。
「ごめん」
「分かればいいんだ」
 しゅんと落ち込んでしまった。肩を落として申し訳なさそうにしている。
 ふわふわでサラサラな髪が風に靡いて、千雨の鼻先でふわりと揺れる。三条こずえは黙っていれば美人、という印象なのだ。発言が若干子供っぽいわりに、見た目は意外に大人びている。
 黙ってにっこりと笑っていれば、放って置いても男が拠ってくるだろう。
「で、何の用なんだ?」
「えっとね……最近すっかり大人っぽくなったよね、千雨ちゃん」
 返答に困ったので、どうとでも取れる笑い顔を作っておく。こずえは真剣な表情になって口を開いた。
「で、そんな千雨ちゃんに相談があるの」
「金の相談には乗れないな」
「そんなんじゃないよ!」
 茶化すと、意外に強い口調でこずえが否定してきた。シリアスな悩みらしかった。
 ついてくるよう目で促して、千雨は人通りの少ない方へとこずえを先導した。すでに下校時間だ。廊下から校舎の玄関へと出て行って、そのまま階段を降りて木陰まで歩いて行く。こずえは大人しくついてきた。
「で、なんだ」
「あの、ね」
 こずえは顔を赤らめている。指先を絡めたり離したりを繰り返しつつ、少しうつむいた。
「なんとなく分かったが、一応聞くから早く喋ってくれ」
「その、す、好きなひとが出来たんだ」
 こずえは顔を真っ赤にして、ちゃんと声にした。
 千雨は天を仰いだ。
 よりにもよって、という感想だった。
「……なんで私にそれを相談しようなんて考えたんだ?」


 要領を得ないこずえの話を統合すると、主にこの三点が理由であった。
 一、なんか急に大人びた。もしかしてもしかして恋しちゃってる!?
 二、相談するとちゃんと考えてくれて、真面目に答えてくれそう。
 三、千雨ちゃん口は堅そう。ひとの悪口とかも言わなそう。
 実に適当な根拠であった。
 恋愛。
 なんとも今の千雨には縁遠い言葉であった。もちろんそういうことに興味がないわけではないのだが、普通の中学生を前にして今更まともに恋なんか出来るのか、という疑問は残る。
 あの世界における仲間内の異性だけでも、受けた印象が鮮烈すぎるのだ。
 国王陛下から、王弟にして修行僧風の格闘家、自称トレジャーハンターに無口な暗殺者、モンスター研究家のご老人に、顔も見えない性別すら謎の師匠、さらには機械音痴のヒゲ侍、ついでにさすらいのギャンブラーまでよりどりみどりである。
 千雨は彼らのことをそういう目で見たことはただの一度として無かったわけだが、それでもひとを見る目に関しては相当に影響を受けているのは間違いない。
 太陽を直視してしまったあと、しばらく眩しさで周囲の色を正確に感じ取れなくなるのと同じだ。
 比較対象が悪すぎるとも言う。
 仲間を除外しても、あの世界の人々には眩しいひとが多かった。なにしろ崩壊した世界を目の当たりにして、それでも快闊に生きている人間が多かったのだ。
 いつか、サウスフィガロの町で出逢ったあの少年は元気だろうか。真っ直ぐに前を見つめていた、あの少年は。
「たとえ裁きの光で100回町が壊されても、101回直してやる!」
 そう気を吐いていた彼は、たぶん千雨よりひとつか二つ上くらいの年齢だったはずだ。
 特別な力なんか持ってなくても、彼のように立ち上がることが出来るのだ。あの姿を見て、千雨は心打たれたことがある。どこにでもいる少年だった。彼は決して美少年なんかじゃなかった。着ているものは見窄らしくて、何度も繕ったようにボロボロだった。
 ただ、目はまっすぐに前を見据えていた。過去ではなく、未来へと視線を向けていた。
 彼だけではない。
 出逢った多くの人々が、瓦礫の塔を憎々しげに見つめながらも、時に狂人によって振るわれる裁きの光に恐怖をしつつも、日々を懸命に生きようとしていた。
 格好良い、なんて言葉にすると、ひどく安っぽい表現になってしまうのが悔やまれた。
 胸の奥に抱いた感情は間違っても恋心ではなかった。
 千雨はあの世界に足を踏み入れるまで、一度もそれを感じたことが無かった。
 たぶん、尊敬と呼ぶのが一番近いのだろう。憧憬と言い換えても良い。
 彼らは眩しかった。世界が暗いからこそ際だった光かもしれないけれど、その輝きは好ましいものだった。


 一番目に関しては反応することを放棄したのだが、友人に相談されたら真面目に考えるに吝かではない。
 実際、千雨は押しつけられるのは嫌いだが、正面から頼られるのはそんなにイヤではないのだ。そのくせ当てにされるとちょっと困る、という難儀な性格をしている。いくらか口は回るようにはなったが、人付き合いが得意になったわけでもない。
 ついでに口が堅いかと言われれば、そうかもしれないと我が身を振り返る千雨であった。
 ひとが秘密にしていることをベラベラと喋るのは好きではない。無論、別に友人が少ないからその手の話をする機会が全くないというわけではない。断じてない。
 ともあれ千雨としては困る話ではあった。こと恋愛に関しては、ひとに相談出来るほどの経験は無いのだ。ちなみに某女好き国王陛下の普段の素行を脇から見ていたのは決して経験とは呼ばない。
「あー、なんだ、正直ほとんど力にはなれないが」
「いいの。聞いてくれるだけでも」
 こずえは恋する乙女の顔で言った。上気する顔、朱に染まる頬、潤んだ瞳。さっきからその傾向はあったが、顔を近づけられると完全に熱に浮かされている。
「昨日、たまたま会った男のひとなんだけど……」
 そこから先は延々のろけ話であった。
 橋を越えた先、図書館島で同じラクロス部の部員と一緒に走り込みしている途中、こずえは盛大に転んだらしいのだ。
 すわ捻挫したかと、痛がっているこずえがうぉおおおと可愛くないうめき声を上げていたところ、横から「大丈夫ですか、お嬢さん」とにこやかに手を差し出してくれた男性がいたのだという。
 目深にかぶったフードの中の顔は美形。服装は何やら暑苦しそうな白いローブを着込んでいて、声はビブリオンによく出てくる図書館のうさんくさい謎の司書そっくりだったらしい。
 で、足の様子を見るためと称して「ちょっと失礼」と足首のあたりに触れられたそうだ。
 そしてその若くて静かで少し色っぽい声に聞き惚れていると、いつの間にか足の痛みが治まっていたのだという。「大丈夫そうですね、ですがしばらくそちらの木陰で休まれたほうが良いでしょう」と隅っこに植えられた木を指し示した。
 こずえがその木の方に視線を向けると、気づけば男は姿を消していたのだと。
 話だけ聞けば親切な若い男性だ。穿った見方をすれば、女子中学生の足に触りたかっただけの変態の可能性もあったのだ。一応善意の人物だったようなので、顔には出さなかったが、こずえに何事もなくて千雨はほっとしていた。
「あのとき私はきっと恋に落ちたんだと思う」
 こずえは真顔で言った。
「……は?」
 いや待て。ちょっと短絡過ぎないか。そうツッコミたくなるのを抑えて、こずえに理由を尋ねた。
「だって痛みも忘れるくらいなんだよ!? これはもう恋以外の何物でもないんじゃないかなっ!!」
 うわ、マジだこいつ。千雨は自分の顔が軽く引きつったのを自覚した。


 さて、どうしよう。
 千雨は迷っていた。こずえの恋は応援してやりたいと思わなくもないような気がしないでもないのだが、相手が非常にうさんくさい。純真な想いを向ける相手が日中からローブ姿で、声がうさんくさくて、最低でも二十歳以上と考えられる男性で、足首の様子を見てもらったら痛みが消えていた、となればアレ関係の可能性が高い。
 気づかれないように癒しまでしてくれた、となれば、やっていること自体は真っ当に感じられるのだが、妙に引っかかるのだ。
 特にうさんくさい謎の司書みたいな声、とはこずえ自身の感想である。
 いくらなんでも恋心を抱いた相手をうさんくさい呼ばわりはないだろう。
 ならば、それは恋ではないのではないだろうか。
 あるいは、ほのかな恋心でも庇いきれないくらい心底うさんくさい人物である可能性もある。前者なら笑い話だが、後者だと危険だ。
 世の中、見るからにうさんくさい人間というのは案外存在しているものなのだ。得てしてそういう人物は自分がうさんくさいと思われていても全く気にすることもなく、ただ自分の興味を優先して周囲を顧みないことが多い。
 うさんくさい、というのはそれだけで評価としてマイナスである。声や表情といったものは本人の意図によってそれなりに作れるが、滲み出る雰囲気というのは案外誤魔化しづらいものだからだ。
 そんな明々白々にうさんくさい何者かに、微妙にアホ可愛いこずえを差し出して良いのか。
 いや良くない。
 というわけで千雨はきっぱりと結論を告げた。
「三条。ぜんぶ夢だったんだ。諦めろ」
「なんでやねんっ!」
 なぜか関西弁でのツッコミが返ってきてしまった。


 叶うならばこずえのような良い子にはそういううさんくさい人物との付き合いは控えてもらいたい、という千雨の親心にも似た親切心は理解されなかった。
 言葉が足りなかったのかもしれない。しかしアレ関係のことは口に出したくもない。
「千雨ちゃん、どうしてそんなことを言うの……?」
 こずえの顔はすでに泣きそうだった。
 千雨としては割と本気での助言というか、忠告だったつもりなのだが、こずえにはそう思われなかったらしい。
「せっかく勇気を出して相談したのに……!」
「すまん。でもな三条」
「……はっ。まさか千雨ちゃん」
 わなわなとこずえの唇が小刻みに震えている。恐るべき秘密に気づいてしまったかのように。
 いきなりの変化に千雨がかけるべき言葉に迷っていると、こずえは胸の前で両の手を握りこんで叫んだ。
「あのひと、千雨ちゃんの恋人なのっ!?」
「待て」
 いくらなんでも短絡過ぎる。
「……さっきからの難しい顔も……私に諦めろって言ったことも……そうか、そういうことだったんだねっ!?」
「待て待て待て待て!」
「年上の恋人……小学六年生の頃からそっと愛を育んだ日々……」
「小六と付き合う若い男性……って明らかにロリコンじゃねぇか! いくら好きでもありえねーよ!」
「分かった。分かったよ千雨ちゃん」
「分かってねええええ! そもそも前提からして勘違いだっつーのッ!」
 叫ぶと、こずえは目尻に光るものを見せて、にこりと笑んだ。
 諦めと寂しさの混じった、とても可憐な微笑みだった。
 それは少女が大人の階段をひとつ昇った証拠。小さな恋心の静かな終焉を思わせた。
 が、こずえはそこで止まらなかった。
「二人は図書館島の地下、その奥深くに隠された秘密の部屋で人目を忍んであんなことやこんなことをっ!?」
 最悪である。
 特にその妄想の主人公が暫定ロリコンローブ男と千雨という組み合わせな時点で、筆舌に尽くしがたい光景である。
 こずえの口調が熱っぽく、しかも語りに入っているためより一層情景がありありと思い浮かぶのだった。
「おい、戻ってこい三条! お前の妄想は明らかにヤバイ方向に向かってるぞ!」
「あのひとはきっと、かの図書館島の地下を闊歩する謎の怪人……外に出ることも許されず、わずかな出会いを求めてこの島を訪れる幼い少女にささやかなふれあいを求めているの……あどけない少女の無垢な笑顔……それだけが彼の望み……」
「いきなり乱歩あたりが書きそうな設定になったな。というか外に出てたんだろうが! それと、綺麗な描写をしてもそいつがロリコンって部分は変わらないんだな……」
 このままでは千雨は明智役ではなく、被害者の少女役にされてしまう。
 いいかげんツッコミに疲労困憊してきた千雨は、こずえの鼻を摘んだ。手っ取り早く止める手段であった。
「うー」
「いいかげんにしろ」
「……千雨ちゃん、いぢめる?」
「いぢめない。……お仕置きはする」
「あう」
 こずえはうめいた。黙っていれば可愛いのに、とよく形容されるのが常の彼女なのであった。


 なお、後日謎の司書についてクラス内にいる図書館探検部員に尋ねてみたところ、以下のような返答があった。
「なっ。噂では聞いていたですが、まさか本当に存在するのですかっ! 図書館島に潜むという謎の司書が! むむむ、これはこんなところで遊んでいる場合ではなくなりました。のどか! それに……」
「え、なにー?」
「ハルナはどこに?」
「えっと、あ、今日は漫画研究会の方に顔を出してくるって……」
「ではこのかさんは!」
「このかさんは学園長に呼ばれて……」
「む。二人だけで調べるには難しいと思われるです。口惜しいですが、後日調べることにするです」
「それで何の話……?」
 のどかが首をかしげている。前髪で隠れた目が、困惑したように千雨を見ている。
 と、目が合った瞬間に、さっと目を逸らされた。しかも申し訳なさそうにされた。
 何かこう、釈然としない気分に苛まれた。特に文句があるわけではないのだが。こう、微妙に。
「千雨さんのご友人が謎の司書を目撃したそうなのです」
「いや、そうと決まったわけじゃあ……」
 確定情報ではない。千雨が付け加えようとすると、夕映は音を立てて勢い良く立ち上がった。
「怪人とも大司書長とも目される、探しているときには見つからないくせに、探していないときに限ってしゃしゃり出てくると評判のあの謎の司書が初めて図書館島の地上部分で目撃されたですよ! これはまさに図書館島に鎮座まします神のお導きと言うべき他ないです!」
「図書館島の神ねえ」
 千雨は呆れている。
「ちなみに図書館島の神と怪人と謎の司書と大司書長は全部同一人物ではないか、との説が巷では有力です」
「お導きって言うのか、それは。あと巷ってどこだ」
「有力なのです」
「ノリだけで喋ってないか、おい」
「ここは千雨さん。図書館島での冒険としゃれ込むのはいかがでしょう」
「は?」
 いや待て。
 いやいやいや。待て待てまて。
 どうしてそうなる!?
 千雨は動揺を一瞬で収めると、論理の飛躍を見せた哲学マニアを強く見据えた。
 本気で睨んでいるわけではない。が、わりあい眼光は鋭くなった。
 しかしそんな千雨の静かな抗議の視線にもめげず、夕映はフフフフフと表情はそのままに謎の笑い声を挙げるのだった。
「お試し探検ツアー実地中なのです。もちろん千雨さんがあまり身体を動かすことが好きでないことは知っているです。しかし休み時間中に色々な本を読んでいたのを私はしかと承知しているです。たとえば広瀬正の『マイナス・ゼロ』!」
「わ、SFだあっ」
 夕映がいきなり言い出したことに、今の今までなぜか隣で右往左往していたのどかが急に目を輝かせ始めた。
 まずい。相当な本好きだ。それも同好の士を捜し求めている、貪欲なタイプの乱読派の危険性が高い。
 筒井康隆あたりならともかく、このタイトルと作者名だけでジャンル内容まで即座に出てくる読書家だ。この手の本読みは、近くにいる他人が自分の好きな本を読んでいる姿だけで幸せになれるという恐ろしいスキルを持っていたりするので注意が必要である。
 特に友人が本を読み出すと、どこからともなく視界の隅に入ってきて、なんとなくそわそわしてどんな本かなあ、どんな感想かなあと延々好奇心いっぱいな視線を向けてきて、しかもそこには一切の悪意がないということがままある。
 無碍にも出来ず、かといってはまり込んでしまえば抜けがたい泥沼のような関係……!
 大人しくて可愛らしい宮崎のどかのような文学少女系統の相手ときゃっきゃうふふとかやるのは自分には無理だ! と千雨は脳裏に過ぎった想像に目眩を感じている。絶対に濃い。こいつらの話は間違いなく濃い。恋じゃなくて濃いだ。ああもう!
 いくらなんでも想像力がたくましすぎるのだが、夕映が畳みかけるように千雨の読書遍歴を晒し挙げた。
「さらには山尾悠子の『夢の棲む街/遠近法』に、ボルヘスの『伝奇集』まで!」
「ファンタジーに興味が……!」
 のどかの目がキラキラしている。やばい。これはやばい。何がやばいと具体的には言えないがとにかくやばい。
 下手な対応をすると、思いっきり巻き込まれる感じがする。
 図書館探検部の活動には参加するつもりは毛頭無い。早く逃げなければ!
「長谷川さん……!」
 ただ名前を呼ばれただけなのに、千雨は焦っていた。
 軽い気持ちで謎の司書のことを聞いただけなのに、なんでこんな必死な気分になるのかさっぱり分からなかった。
 なんかこう、のどかから向けられる視線の中とか、前髪の奥に隠された妙に明るい瞳の輝きに、凄まじい期待感の光線が溢れていて、じわじわと漏れ出ているのが分かる。
 なぜか一歩を踏み出して距離を縮め、なけなしの勇気を振り絞ったような表情で、のどかはそっと口を開く。
「わ、私たちと一緒に図書館探検……やりませんか!」

 千雨は再び天を仰いだ。視線の先には天井しかなかった。
 天井にいくつも並んだ蛍光灯がどこか空しく、白々とした光をじりじりと放ち続けている。
 そして千雨はそろそろと息を吐き、決して声には出さずこう思うのだ。

 どうしてこうなった!?


 
前へ / SS置き場へ / 次へ


inserted by FC2 system