麻帆良には図書館島と呼ばれる有名な一区画がある。
 学園都市内に存在しており、その名の通り図書館がある小島である。
 この図書館の巨大さはおそらくは世界でも最大規模、図書館としては他に類を見ない広大で堅牢な建造物であるにもかかわらず、その内部に関しては未だ多くが謎に包まれている。
 麻帆良の学園関係施設を解説するパンフレットによれば、戦禍を免れるため集められた稀覯本を始めとして、増加する一方の大量の蔵書を保存するため、地下に増改築を繰り返した結果がこの状態であるとしている。
 パンフレットには――というか、紙面の中程に記載された図書館島探検部の紹介文には、その全容を知る者はいない(新入部員はいつでも募集しているぞ! キミもこの図書館迷宮に挑んでみないか! 文責:麻帆良大学工学部助教授スペランカー横井)などと煽りがついているのだが、いくらなんでも増改築の際に設計図は用意・作成しているはずである。
 世の中には建築基準法という法律が存在しているのだ。
 いや、たとえ法律が存在していなくても、増改築しようと思ったら設計図なしにできるはずがないのだ。
 まあいつも通りの麻帆良の事情というやつだと、千雨は達観している。
 いくら巨大学園都市である種の独立性、大学自治のようなものがあるといっても限度というものがあるはずだ。行政機関とも繋がってなければこんな無茶が通るはずがないのだし。
 聞くところによれば地下には無数のトラップが仕掛けられていて、本棚に仕切られた迷路のような状態に成りはてているとかなんとか。しかも階層を下がれば下がるほど罠は苛烈さを増し、遭難の危険性が跳ね上がるとまで言われているのだ。
 誰が近づくか、そんな危険な迷宮。
(どうせ一階から地下深くまですぐ行ける隠しエレベーター的なものがあるんだろ、迷宮探索的に考えて。つーことはエレベーター使うのに必要なのはブルーリボンか? やっぱりアレの関係者には何か配られてるとか、そういう仕組みだったりするのか?)
 千雨は皮肉混じりにそう考えた。
 誰も全容を把握していない地下迷宮なんて危険なだけである。学園都市である以上は、利便性より学生や住民の安全を優先するのが当然であろう。とすれば逆に考えて、全容を把握している何者かが存在している、と読み替えるべきだった。
 地下の全貌を知悉しているのが全体の責任者たる学園長なのか、問題の謎の司書だか司書長なのかは千雨には知る由も無い。しかし遭難者の話はまれに耳に入るが、行方不明や死者が出たという話はとんと聞いた覚えがない。
 論理的に考えれば、遭難者救出用のルートなり巡回警備員なりが存在しているのは明らかである。
 何が出てくるか、どこに繋がるかも分からない迷宮をそばに置いて安心できるほど人間というのは鈍感には出来ていないのだ。
 こうした理由から、千雨としては図書館島には可能な限り近づかないことに決めていた。万が一本を読みたい、借りたいときでも上の階だけで用を済ませれば済む話だ。
 地下に潜らなければ普通の巨大図書館として利用できる。品揃えというか、収められた蔵書量は桁違いに多く、日用に便利なことは確かなのである。わざわざ危険に近寄る必要なんて全くないのだった。
 まったく、これっぽっちも、ないのだった。
 なのに……どうしてこうなった。


 千雨の脳裏にはドナドナの歌がエンドレスで流れていた。もちろん脳内の配役は、千雨が仔牛役であった。
 逃げられないようにしっかり二人に挟まれて、千雨はトボトボ歩いているのだった。
 これから降りることになる地下への階段を、悲しい瞳で見ているのだった。
「千雨さん、ぼーっとしていると怪我するです」
「あ、悪い」
 後ろから夕映に注意された。
 逃げられないかな、とちらりと前を歩くのどかの背中を眺めていると、
「……?」
 視線を感じてか、振り返られた。
「あのー、なにかありましたか……?」
「なんでもない」
 のどかは首をかしげていた。その動きに合わせて揺れた前髪の奥に見えたのは、無垢な瞳だった。
 脱兎のごとく千雨が逃げ出すなんて微塵も思っていない、つぶらな瞳だった。
 千雨は物理的に動けなかったわけではない。ただ、純朴な心から逃げられなかったのだ。


 図書館探検部の装備は実に本格的であった。
 怪我をしないようにとの心得によるものか、携帯用ビームライトを取り付けた安全ヘルメットに、春にしては厚手の長袖、小さめのリュックサックの中には水筒、ロープ、伸ばすと10フィートになる棒などといった各種冒険用グッズが揃っていた。
 非常用の食料としてカロリーメイトその他もまとめてあった。リュックの底には予備の小型懐中電灯や電池、絆創膏に消毒液まで完備されている。
 装備の充実ぶりだけ並べればもはや登山家の様相を呈しているが、ここまでしなければならない図書館というのは一体何なのだろう。何がそこまで部員たちを駆り立てるのだろう。希書古書を手に取りたいというのはインドア派の欲求であり、本を読むという行為に通常求められるのはこんなアウトドアな冒険では、断じてない。そのはずである。
 千雨には全く意味が分からなかった。
 なお、そんな本格的な装備を持っているわけのない千雨(実際は持ち帰ってきたふくろの中に便利な道具は山ほど入っているのだが、そんなものを持ち出してくるわけにもいかないので)は、多少の汚れにも耐えられるようにと、上下ジャージ姿である。何も持たないのも悪いので、リュックの代わりにポーチを肩からかけて、いくつかの道具の予備を持つことになった。
 髪は後ろで軽く縛ってまとめてあるから問題ない。そう思ったのだが、狭い場所を這うこともあると説明された。前髪や横に垂らしているのが視界確保のときに邪魔になりそうだったので、借りたヘアピンで横に流して挟んでおいた。
 準備はこんなものだろう。あくまでゲスト扱いということで、二人も千雨もそれで納得している。
 装備の点検は時間こそかかったが、いっそ楽しげですらあった。
 なかでも目を引いたのは地図である。
 完全に白紙というわけではなく、ある程度の大枠は存在したのだが、そこに事細かく書き込まれた地下への経路や注意事項、罠の位置から種類、目印になる棚の番号など、どう見ても迷宮を踏破するためにはマッパーが必要であった。
 大まかな構図で描かれたものと、方眼紙に描かれた階ごとで分けられた経路図である。特に後者はメートル単位での縮尺が秀逸で、見るだけでうんざりできる広さを教えてくれたのだった。細かな文字と矢印で指し示された隠し扉やショートカットは、ここだけ丁寧で可愛らしい文字で記されている。のどかの字だろうか。
「本当はグループ単位で管理するものなので、このかさんやハルナに了解を取るべきなのですが……」
 と言いつつ夕映が見せてくれた地図には、地下一階の全体図が網羅されていた。地図の左上には初心者用! と大きく書き込んである。低階層を完全にくぐり抜けられないようでは、さらに地下に進んではいけないとサークル全体で取り決めがあるらしい。
 話が戻るが、図書館探検部は麻帆良の大学、高校、中学の合同サークルという形式を取っている。
 特に大学部所属の冒険野郎どもが提唱したことによって一挙に活動が大きくなったこともあり、探検にあたっての先導を取るのはまず大学部の先輩たちとなっているそうだ。
 これは完全な初心者(特に中等部の、好奇心旺盛な新入生を対象としている)が下手に地下部分に足を踏み入れて怪我や遭難などをしないように、最低限度の勉強をさせることが義務づけられたからであった。
 最低限の装備、食料飲料、そして地図。
 これらのうち一つでも欠けたまま地下に潜り込もうとする無謀な新参探検家が後を絶たなかったのだ。このため、過去の探検部員たちは皆で相談し、地下の浅い階層部分を練習場として設定することにしたのである。
 地下一階、及び二階は、地下への入り口さえ見つければ一般人でも入れてしまう初心者向けの場所である。
 真偽は不明ではあるが、監督する先輩からお墨付きをもらえた場合は、各自で階下へと自由に降りて良いとする許可を与えられると噂されている。
 これは隠れ見ている先達が抜き打ちで各自の技量を見て判断するとも、地下三階のどこかに存在する探検部OBが作成した深層探索許可証を入手するのが試験だとも言われており、許可するにあたっての基準や詳細はいまいち判然としない。
 高等部以上の先輩方に尋ねてもはぐらかされるばかりで、本当に許可証なるものが存在するか否かさえ詳らかになっていないのである。
 中学生のうちは地下三階まで。それより下の階には降りてはならない。これは探検部の会則に記載されている事項だった。
 地下四階以降からは盗難対策も兼ねてか、トラップが凶悪化するため、危険度が跳ね上がることが主な理由である。
 この原則を覆しうるのがくだんの許可証であると言われ、中等部に所属する部員はまずはそれを目指すことになるのです! と夕映が滔々と語った。
 なお、今回通るのは通常の地下二階へのルートである。
 これは初心者の千雨がいるからこその配慮だろう。
 
 夕映を始めとした1−Aの探検部の総合目標は、生きて帰ったものがいないという地底図書室や、大図書館という性質上どこかには存在するであろうと推測されている大司書室に辿り着くことである。
 どちらも地下十階のさらに先、最深部に存在すると噂されているが、正確な情報は集まってはいない。
(生きて帰ったやつがいないのに地底図書室があるってなんで分かるんだか……)
 と、声に出さない分別はあるのだ。
 ちなみに個人個人での目的はまた異なり、夕映の場合は地下部分にあるという自動販売機、のどかの場合は絶版となった古いファンタジー小説、このかは占いの専門書や稀覯本、ハルナの場合は血湧き肉躍る冒険そのものということである。
 一応、最後の部分は聞かなかったことにした。嘘くさいというのも理由だったが。
 一般的な探検部の新入部員は、しばらくはトラップ解除とルート確認の日々を送ることになるという。
 特に高難易度の偽装看破とトラップ回避技術が必要となる地下二階への別ルート用隠し扉、通称マーフィー先生の部屋に通い詰めるのが通例なのだと夕映は熱を帯びた口調で語るのだった。
「マーフィー先生?」
「はい、マーフィー先生の部屋です。誰が名付けたのかは明らかではないですが、そう呼ばれてるです」
「師匠か……」
「は、師匠?」
「綾瀬は知らないか。まあ、あんまりゲームやりそうじゃないしな」
 千雨は説明の仕方を若干考える。本ばかり読んでいた風の夕映に分かりやすい言葉で。
「ええと、ウィザードリィってゲームがあってだな。ゲームの内容が迷宮探索なんだよ」
「なるほど」
「で、そこの迷宮の一階で経験値を積むために延々と戦いを挑む相手の名前がマーフィーズゴーストって言うんだ。低レベルのときには大抵お世話になるから、プレイヤーからは師匠とか先生扱いされる」
 そこそこ強くなるとサンドバッグ扱いだが、1レベルで挑むとヒドイ目に遭う相手でもある。
「ウィザードリィ……日本語に直すと魔法使い……いえ、魔法ですか」
 魔法、と繰り返す夕映の表情は動かない。
「ま、誰が名付けたのかは分からないが、元ネタはそれだ。そこで頑張ってレベルを上げろってことだな」
「精進するです」
 とりあえずさらにやる気に火が付いたらしい。さりげなく握り拳を持ち上げていた。


「しっかし、完全にダンジョンだな」
 表層部分のだだっ広くて動きやすい、綺麗な図書館といった景観からすると、地下に入った途端に不思議な感じに切り替わる。
 どこか薄暗くなったのは天井が低いためか、規則正しく並んだ長い書棚に収められた本は綺麗に整頓されている。つまりここにも人の手はきちんと入っている、ということなのだろう。
「のどか、右ルートに行くです」
「うん、りょーかい」
 しっかりと番号が記されている本棚の数を確認してから、四つ目の列に進む。しばらく歩いてから右に折れると、いきなり十字路風に本棚の列が交差する部分に差し掛かる。
 と、先客がいた。
「こんにちは、吉川先輩」
「こんにちはです先輩」
 吉川先輩と呼ばれた女性は、声を掛けられて目をぱちくりさせた。大学部の学生だろう。一人だけである。見た目はクールビューティー系の美人である。背も高くて、足も細い。すらっとした体躯にきめ細やかな肌。
 知的な美女という風体なのに、どう見ても探検部の雰囲気を醸し出していた。
「ん? ああ、こんにちは可愛い後輩ども。今日は練習かな?」
「いえ、クラスメイトを招待しての探検体験ツアーをやってるです」
「……見習いが初心者連れで探検、ね。まあ浅い階層ならいいけど。中等部のうちは三階より下には降りちゃダメよ?」
「分かってるです」
 話は終わりと思いきや、先輩とやらは千雨の顔と身体に不躾な視線を向けてきた。
 見定められるような視線だった。
「私が何か?」
 千雨が不快な表情を隠さずに視線を返すと、彼女の表情は、ニコリといきなり華やかな笑顔に変じた。
 満面の笑みだった。
 急激な変わりように、探検部の後輩二名は驚いた顔を取り繕うこともできていない。この反応からすると、こうした笑顔を見せたのも初めてだったのではないかと推測された。しかも、機嫌良さそうに鼻歌混じりでこんな質問を投げかけてこられた。
「ねえ、探検部に入る気ある?」
「今のところは無いんですが」
「やっぱりかぁ。ところで迷宮探索の基本って知ってる?」
「まだ行けるは、もう危ない……とかですかね」
「それそれ。ねえ、本当に探検部に入らない? 向いてると思うんだけど」
「今のところはそのつもりはありません」
 あくまで二人の一度だけお試しで! というお願いを断り切れなかっただけなのだから。
「そっか。もったいないわねー」
 唇まで尖らせてしまった。
 初対面でいきなり拗ねられても困るのだ。
 千雨が対応に困っていると、彼女はうんうんと一人で納得したように頷く。
「まあ、興味が湧いたら入部してくれるとあたしとしては嬉しいな。あと、この子達が無茶したら止めたげて」
 じゃ、と手を挙げて、颯爽と去ってしまった。なお、一見すると軽装に見えたが、ちゃんとリュックは背負っていた。
 ただヘルメットは身につけていなかった。代わりに頭に乗っかっていたのはインディ・ジョーンズの使っていたような帽子である。もしかしたら鞭を身につけていたのかもしれないが、そこまでは目に入らなかった。
 謎の先輩であった。
「……ええと」
「千雨さん。今の先輩のことはとりあえず気にしないでほしいです」
「ゆえー。ダメだよ、ちゃんと説明しないと……」
 のどかの声は、消え入るような大きさではあったが、周囲が静かすぎるおかげでよく通った。
 言われた夕映は吉川先輩が去っていった方向をしばらく眺めていたが、千雨に向き直ると口を開いた。
「のどか……。分かりました。簡単に説明するです。吉川先輩は図書館探検部でも数少ないタイトルホルダーです」
「タイトルホルダーってなんだ?」
 当然の疑問である。
「それを説明するには……まず図書館探検部全体の目的は、この図書館島の調査であることを思い出してもらいたいです」
「それは知ってるけどな」
「調査であるからには発見をしなければなりません。探検はあくまで手段に過ぎないのです。私たちが目指すのは新発見なのです。そして部員が新たな発見をした場合――たとえば新ルートの開拓、隠された扉の情報、特定手段でのみ作動するトラップの回避方法など――月例の会合で詳らかに報告するです。もちろん強制ではないですが、大目的が調査である以上は、情報交換は当然するべきことだと認識されています」
 夕映は少し長くなりますが、と前置きして続けた。
「私たちは基本的には各グループごと手書きで地図を作成しているです。これは自分の目で確かめたものだけに価値があるという意味でもあるです。が、無数のトラップや複雑な迷路が当然のように存在する深層においては、探索にかかる手間と時間はなるべく省略しなければならないです。階層を降りるだけでも時間がかかるというのに、行動範囲が広がらないのではいつまで経っても全容解明など夢のまた夢……」
 一口、水筒に口付ける。
「というわけで月例で会合が行われていますが、これは報告会のような形になっているです。グループごとの地図の情報を集めた、探検部全体の地図というものが作成されています。このとき誰か、もしくは誰かのグループが発見したものを報告するです。そして別のグループが情報の正確さを確認したあとに、地図に書き加えられていくのです。……ここまではいいですか?」
「ああ。大体は理解した。で?」
「タイトルとは、この新発見の種類や数によって歴代の部員の記録を塗り替えたときに贈られるものです。吉川先輩の場合は隠し扉と隠し階段の発見数が、つい先日、とうとう歴代OBの記録を塗り替えたことでタイトルホルダーとなったのです!」
「それは凄いのか」
「凄いですよ」
「どれくらいだ」
「隠し扉の発見数記録更新はなんと二十年ぶりだそうです」
「おいおい、二十年も新しいのが見つからなか……って、違うか。数だから、以前の記録保持者がもし二十個隠し扉を見つけてたら、二十一個見つけないと新記録にならないわけだ。しかも後続は散々探し尽くされたあとから見つけ出すことになるから、難易度が跳ね上がることになるって寸法か」
「そうです! ここ数年の地図の拡充はほとんど吉川先輩の努力のたまものと言えるです!」
「変な人っぽかったが」
「変な人ですよ?」
「そうか」
 印象は間違っていなかったらしい。その返答もどうかと思われるが。
「今日は驚きました。吉川先輩があんな笑顔をするのは、隠されたものを見つけたときだけと聞いていましたから」
「……ふうん」
 話は終わりだった。のどかを促して、また歩き始める。ちなみに左ルートには何があるかと尋ねたら、三階へのショートカットがあると即答された。今日の目的からは外れるとのことで、練習用の罠でいっぱいな右ルートを選んだそうである。
 罠でいっぱいの道。不穏な響きに千雨は眉をひそめた。
「大丈夫です。地下一階にはトラップはほとんどありません」
 夕映の言葉に千雨はますます渋面になった。
 ほとんどない、ということは、少しはあるという意味なのだから。
「そんなことを言っているうちに、ほら、到着したです」
 指し示された先にはのどかの姿と、本棚に囲まれるようにして隠された階段が覗けた。
「ゆえー、他のグループはいないみたいだよー」
「む、それは好都合です」
「まあ……一回だけの約束だからな。ちゃんと最後まで付き合うけどよ」
 隊列は同じだ。
 のどか、千雨、夕映の順番で階段を降りていった。
 薄暗い地下二階へと、三人はゆっくりと進んでゆく。どこまで行っても必ず本棚が見える光景は、どれほど迷宮じみていたとしても、ここが図書館であることを思い出させてくれるものだった。


 しばらく多機能懐中電灯の光量を弄っていた夕映は、何かに気づいたように静かに振り返った。
 狭いなかで振り返るのは多大なる労力がいったようで、首だけがこちらを向いた形であった。
「……千雨さん。今思い出したです」
「あんまり聞きたくねーが、一応話してみろ。……何をだ?」
「このかさんのよく当たる占いによれば、今日は落下に注意! と出ていたことを」
「そうか」
「はい……」
 いしのなかにいる! というわけではないが、現状似たようなものである。身動きが取れないのは壁の隙間に挟まっているからだろうか。すっぽりはまり込んでしまったのだ。
 今いる場所は地下二階ではない。
 その下の地下三階でもない。
 おそらくは、地下六階あたりだろう。ダストシュートのごときトラップに引っかかったのだ。もう何年も昔にはしゃいでいた滑り台のような感覚で滑らかにすぅっと滑り落ちていって、かなりの距離を斜めに降下したはずであった。
 誰のせいとも言い難い。最初、のどかはトラップ自体は回避できそうだったのだ。夕映もふんばったのだ。ただ、あいだに千雨がいたおかげで、普段なら支えきれる体重がその分だけ重くなって保たなかった、というそれだけの話なのだ。
 滑り台トラップ自体もそれほどタチの悪いものではなかったようなのだ。
 ただ、運が悪かっただけなのだ。滑り落ちた先にある緩衝材。それがどう見てもスライムもどきだったので慌てて千雨が避けようとしたら、二人を巻き込んで別の罠に引っかかったのである。
 そしてその罠もシュートだった。また落ちたのだ。ハンモックというか、サーカスでたまに見かける落下防止の網。それに引っかかったあと、夕映の足が絡まってしまった。鬱血する前に千雨が慌ててポーチから取り出したハサミで網の紐を切り裂いたら、バランスが崩れてもう一度三人で落ちたのだ。
 二度あることは三度あるとは言う。言うが、これはないだろう。
 のどかは軽い。
 夕映も軽い。
 千雨は、あまり軽くなかった。
 もし原因があるとすれば、それだけだった。そんなわけで千雨は落ち込んだのだった。
 不幸中の幸いがあるとすれば、二人とはぐれなかったことだろう。
「……見てきましたー」
 のどかである。
 一人だけすぐ動けそうだったので、あまり離れないように、しかし周囲に危険な罠があるとまずいのでそれだけ確認してもらっていたのだ。夕映の首がこちらに向いた状態で、その後ろから話しかけてくるのどか。
 実に笑える情景だった。こんな時でさえなければ。
「どうだった?」
「一応、進み方自体は上の階とほとんど同じみたいです。ただちょっと真っ暗なので……」
「どんな罠があるのかは近くまで行かないと見分けられない、か」
「はい……。すみません……」
「いや、なんで宮崎が謝る必要がある?」
「私が誘わなかったら、長谷川さんはこんなことには……」
「どちらかと言うとさっきのは私のせいじゃないか?」
 認めたくないが! 認めたくはないが! 内心の葛藤は顔に出さず、慰めの言葉だけ口にする。
「でも……」
「いいから」
 この話を続けられるほうが辛かった。千雨は、自分の体重のせいで落ちたことを再確認する羽目になって気分が沈むのだ。
 実際、間が悪かったのは確かだが、最大の要因は千雨の存在そのものであったような気がしてならない。
 いらんことをした、という気分なのである。
 そこまで語ると二人が余計に気落ちしそうなので言うに言えない。この状況では心に秘めておくしかなかった。
「ところで宮崎」
「……えっと? なんでしょう」
「私らが挟まってるのは本棚だよな?」
 首が動かせないため、確認し辛いのだが、目だけ動かして分かる範囲では本棚だと思われた。
「は、はい」
「じゃあさ、これ、動かせるか?」
「本棚を……ですか」
 のどかは千雨の挟まれている壁――つまりは両隣の間隔の狭い本棚を見遣った。絶望的な表情で。
 非力なのどかでは動かすのは無理だろう。背丈よりずっと高い、本のぎっしりつまった本棚なのである。
「あ、待て。そんなパワーのいる話じゃなくてだな、本棚丸ごと動かさなくてもいいんだ。どっちかの棚から大量に本を抜いてくれればいい」
「え」
 あ、なるほど! とぽんと手を打ったのどか。
 やることを与えられて、泣きそうだった顔がようやく明るさを取り戻し始めた。さっと裏側に回って、本を引っこ抜く作業を始めた。本を床に積み上げるような作業の音が聞こえるなか、夕映が言い淀みつつも、こんな懸念を言葉にした。
「千雨さん……それでも本棚が動くとは……」
「宮崎に動かせとは言わねーよ。ある程度まで軽くしてくれれば、私がなんとかする」
 幸い、身体は挟まって動けないが、足は動く。身体を支点にすれば、本棚をずらすくらいは可能だろう。
「できそう、ですか」
「するんだよ」
 千雨は苦笑した。
「……すみません。お願いするです」
 夕映は動けないなりに、器用に頭を下げるのだった。


 結論から言うと、なんとかなった。
「さて、元に戻すか」
 三人で力を込めれば、本棚の位置をだいたいの元の場所に戻せた。三人でひいこら言いながら本を棚に詰めていった。のどかが気をつけて抜いたおかげで、順番はそのまま戻せば良い形になっていた。
「終わりました……っ」
「ふー。良い仕事したです」
 のどかと夕映が、良い表情で額の汗を拭っている。
「……さて、一仕事終えた満足感に浸っているところ悪いが……帰り道はどうする?」
 千雨が現実に引き戻した。
 二人はがっくりと膝からくずれ落ちた。
「もう少しっ、もう少しだけ浸っていたかったですー……」
「のどか。気持ちは分かりますが、まず確認を。携帯電話は通じますか?」
「ちょっと待って……圏外だぁ」
「私のもだな。いや、地下だから当然なのか?」
「地下三階あたりまでは普通に通じましたが。とにかく……救援要請も出来ない、と。……私たちは本格的に遭難しかけてるです」
「今だいたい地下六階とか七階くらいだと思うが、探検部の最下層記録はどんなもんなんだ?」
「地下十一階まで描かれた地図は見せてもらったことがあるです」
「なら前人未踏ってわけでもないわけだ。下に降りる階段は隠されてても、上に昇る階段は見えてるんじゃないか」
 経路図も無く、トラップ配置も不明ではあるが、逆に言えばそれだけなのだ。雪山で吹雪にあったわけでも、密林で猛獣に襲われたわけでもない。まっすぐに帰還を目指すだけならば、おそらくはなんとかなるはずである。
「冴えてるです千雨さん。では、とりあえず上に昇る階段を探して行くということで」
「ゆえ、どっち通ろうか」
「上か下か、という意味ですか。……千雨さんがいますから、上の方が安全かもしれません」
「あの、長谷川さん……運動は得意、ですか?」
「んー。まあ、何かが飛んできても避けられるくらいと思っておいてくれ」
「行けるよゆえ!」
「行けますね。じゃあ上で」
 ピンポイントの答えだったようだ。つまり、上ルートでは何かが飛んでくるらしい。
 本棚の上にはいくつか板がかけられている。橋代わりにしているのだろう。探検部の先人が行き来を楽にするために持ち込んだものに違いない。ということはますますもってこの周辺は探索済みの区画であると判断できる。遭難気味ではあるが、緊急度はだいぶ下がったと見て良いだろう。
 千雨は一安心して、二人の相談を見守っている。
「のどか、ロープ投げは」
「うん。よい、しょっと!」
 ひゅうん、と風斬りの音を立てて、重石のつけられたロープが本棚の上にある突起に引っかかる。
 くの字型になっている突起部分に一回転して巻き付いたのだ。二度、三度と強く引っ張って、まったく動かないことを確認したのどかがひとつ頷くと、本棚の柱部分に足をかけた。
 ロープを身体に巻き付けて固定すると、握りしめたそれを辿って本棚の柱を垂直に昇ってゆく。
 のどかは数分かけずにあっさりと昇りきった。あんな大人しくて気弱そうな人見知りの少女が、実に素早く。
「ゆえー。次は長谷川さんの方がいいかなー?」
「そうですね。じゃあ千雨さん。どうぞです」
 と言ってロープを渡された。
 ……まじまじとロープを見てしまった。何の変哲もない、普通のロープであった。
「どうしました?」
「探検部って……いや、なんでもない」
 ロープでの移動など日常茶飯事なのだろう。完全に手慣れた雰囲気が見て取れた。そしてまだ入部してから間もなくであることを考えると、どんだけ適応が早いのかと戦々恐々とせざるを得なかった。
 麻帆良の常識は奈辺にありや。というか、今や常識という概念そのものについて疑問を呈したくなることがある。
 常識なんてものがここまで儚い幻想に過ぎないと、昔の自分はまったく知らなかった。
 無知で幸せになれたとは思えない。かといって知ったことが幸福に繋がるかといえば、それにも首をかしげる。
「常識って難しいよな……」
「哲学の話ですか?」
「いや、日常の話だ」
 それだけ答えて千雨はロープを握り込んだ。


「ううう……次から次へとっ」
 五階である。階段の脇の立て札には、ちゃんと階数が表示されていた。案内板の代わりだろうか。
 ようやく一階分上に昇って希望が見えてきたところで、巨大な壁が立ちふさがった。
 壁というか、正確には扉である。
 階段を昇ると、そこは小部屋だったのだ。
 狭い部屋で、いくらかの本棚と自動販売機が設置されている。印象として近いのはデパートのエレベーター前でよく見かける空間だろうか。
 軽い休憩を取れるようにと、親切にも長い背もたれ付きのベンチまで備え付けてある。
 違うのは近くにお手洗いが見あたらない点くらいだ。
 夕映が不機嫌そうににらみつけたのは、ひとつの扉だった。見るからに古色蒼然とした、図書館の地下に取り付けられているにしては不自然すぎる頑丈そうな鉄扉である。
 非常に面倒くさそうな錠前がかかっており、鍵抜きではここを通さないという誰かの意思が感じ取れる。
 どこかに安置された鍵を取ってこい、という意味合いなのだろう。もしかしたら責任者だけがここを通れるように、一本しかない鍵を所持しているのかもしれないが。
 この扉は、誰かが無理矢理通っていったような気配はない。
 探検部員は別のルートを通ってこの階を抜けているのだ。
「で、どうする?」
 千雨が尋ねると、返事はなかった。のどかは何やら心配そうに親友の顔を覗き込んでいる。
「……ゆえ、どうしたのー?」
「……」
 押し殺したような声、ではない。
 むしろ、それどころではない、といった声が漏れただけである。
「は?」
「……も、漏るです」
 意味が理解されるまでにそう時間はいらなかった。
 ずっと我慢していたらしかった。
 緊急事態だった。
「宮崎、トイレはどこだ!?」
「え、えっと。確か……前に見た地図だと五階の端っこに……」
 見える範囲には見当たらない。すなわち扉の向こう側ということになる。またもや運がない。
「綾瀬、我慢できるか」
「なんとか……頑張るです」
「くそ。すぐに通れそうな場所は無い……か?」
 目を懲らしてはみるが、一筋縄ではいかなそうである。正面にある扉は錠前さえ破ってしまえば真っ直ぐ進めるだろう。他の仕掛けはいらないと言わんばかりの場所取りである。
「そこの本棚を見てくれ! なんか仕掛けは無いか? 何かあったら言ってくれ!」
「え、は、はいっ」
 のどかは慌てて本棚の本を引っ張ったり、ボタンは無いかと必死に探している。千雨は千雨でそれらしき突起や隠し扉などが無いかと探し回っている。
 無い。
 少なくとも、即座に見つかるほど簡単な場所にはない。
 先ほど来た階段の下、地下六階にはトイレはなかった。もしかしたら存在していたのかもしれないが、歩いてきた道のりには見当たらなかった。引き返して探すのは、今からでは時間がかかりすぎるだろう。
「綾瀬……はそれどころじゃないな。とすると」
 時間がなかった。
 夕映に、こんなところで漏らさせるわけにはいかない。何か無いか、何か無いかと千雨は周囲に目を配っている。
 目の前にある扉と錠前が恨めしかった。そこを抜ければ、目的地はすぐそばなのに。
 と、電撃に打たれたかのように、今ひとつの考えが閃いた。
 今は、一刻を争う緊急事態である。
 命の危険が無ければよいという話ではない。ことは、ひとりの女子の尊厳についての話なのだ。
 千雨は私事に拘っている暇などないと、自らの迷いを一息に振り払った。
「宮崎。バンダナ持ってないか? 無ければ大きめのハンカチでもいい」
「……え?」


 息を吸い込む。心をさざめかせる雑音を消し去って、フラットにする。
 頭には借りたハンカチをバンダナのようにして巻き付けて後ろで縛り、かけていた眼鏡は外して、懐にしまった。指先の動きを確認する。十全に動くことを確かめた指先の感覚は、いつも以上に鋭く冴え渡っている。
 ゆっくりと息を吐き出して、自分のなるべき姿を思い描く。のどかがさも不思議そうに、そんな千雨の行動を隣で眺めている。
「なあ……針金持ってないか?」
「え、針金ですか……ごめんなさいっ。ありませんっ」
 のどかは慌てた。わたわたとポケットやリュックの中身を取り出そうとしていた。
「んー……じゃあ、これでいいか」
 千雨は焦るのどかを手で制すると、前髪を留めるのに使っていたヘアピンを外して、少し歪めた。
 それから軽く皮肉っぽく笑うと、
「便所は逃げないからな。もう少しだけ待ってろ」
 と気楽な口調で夕映に告げて、忍び足で扉に近づいた。
 軽快な手つきのわりには、まずは注意深く調べることから始めた。さすがに鍵穴を覗き込んだところに矢なり硫酸が飛び出してくるほど悪質な罠は仕掛けられていなかった。
 千雨が鍵穴にヘアピンを一度突っ込んで、扉にぴたりと耳を宛てて、しばらく弄くり回していたかと思うと、もう一本ヘアピンを取り出し、今度はそのまま突き刺した。
 動かして数秒。止めて、動かしてまた数秒。微細な動きを確かめている。
 一本ずつ抜いて、いくつかの凸凹をつけて、わずかに立体にして折り曲げてからまた鍵穴に射し込んだ。
 さほど力を入れることもなく、しかしゆっくりと確実にひねる。
 カチリ。
 何かの回る音がした。
「……開いたぜ。ほれ、気をつけながらさっさと急げ」
「ありがとうございますっ!」
 叫びながら、夕映が扉を押し開ける。
 夕映のあとを追って小部屋から出ると、真横に見えたトイレに駆け込んでいく後ろ姿が見えた。のどかも続いた。
 千雨が振り返ると、すでに扉が閉まるところだった。自重のためか、傾斜でもついているのか、勝手に扉が動いたのだ。
 気づいたときには遅かった。こちら側からは入れないようになっていた。ノブ、というか、つかみ所がまるで無いのだ。つまり閉じてしまったら、粘着性のものを貼り付けて手前に引っ張るしかない。壁に見せかけてあるが、扉であるからにはその分のスペースと可動域が必要になるのだが、蝶番の部分はちょうど隠れるようになっていて、扉の長方形の輪郭部分には指を差し込む隙間もない。
「ったく、面倒な仕掛けだな」
 苦々しげに偽装された壁を見つめていると、のどかのおそるおそるといった声で問いかけられた。
「長谷川……さん、さっきのは、どうやって……?」
「ヘアピンでちょちょいとな。大したことじゃない」
 のどかの困惑気味な視線に、大きく肩をすくめる。
 完全にロックになりきっていた千雨は、にやりと笑ってこう告げた。
「泥棒じゃないぜ。間違えるなよ? 俺はトレジャーハンターだ」
「は、はい! はせがわさんはトレジャーハンターですっ!」
 こくこくと、のどかも茫洋とした表情で何度も頷いてくれた。
 それから数秒と経たずに、千雨は我を取り戻した。半ば自動的に口走ったことに気づいて一気に血の気が引いた。
「……っと、くそ、今のは忘れろ」
「え?」
「頼む忘れろ。いや忘れてください。お願いします」
 千雨は頭を抱えつつ頭を下げるという器用なんだか不気味なんだかよく分からないことをした。
 なりきっていると、その相手の性格や考え方に引っ張られることがあるのだ。今回もそれだ。上手く誤魔化せばいいものを、泥棒と思われたくない心理が働いて、咄嗟にトレジャーハンターと名乗ってしまった。
 大問題である。
 一人称が俺なのはまだ誤魔化せる範疇だろうが。
 現代においては、トレジャーハンターなんか、フィクションの中か夢追い人以外には存在しないのだ。
 いっそカリオストロの城のときの緑ジャケットのルパンになりきっていた、とか説明すべきか。いや、それだと泥棒呼ばわりをトレジャーハンターと呼べと反論するのはおかしい。
(自分のリスクと綾瀬の尊厳とを天秤に掛けて、尊厳を守ったことに後悔はない……ないが、くそ、どう誤魔化す!?)
 場所がダンジョンめいているのも深くなりきってしまったことの一因であろう。
 つまりここは、自称トレジャーハンターが好みそうな場所なのだ。地下奥深くにお宝がある、なんて聞いたらロックは間違いなく勝手に潜る。無許可で侵入しておいておいて、素知らぬ顔で大事な財宝を持ち帰ってくるぐらいはする。
 そういえばダンジョンのマッピングは大抵ロックがやっていた。手先が器用なことも、迷宮めいた場所の構造を把握するのも彼が一番上手かったからだ。誰かの屋敷に忍び込むのも、こっそり大事なものを持ち出してくるのも彼の仕業だった。思い返してもトレジャーハンターと呼ぶより泥棒と呼んだ方がしっくりくるのは薄情なのだろうか。それとも仲間をよく理解していると自負すべきなのだろうか。
「あのー? 長谷川、さん?」
 それにしてもロックの解錠技術は流石である。さすが泥棒。盗みの腕は錆び付いていない。
「……ち、ちさめさんっ」
 現実逃避し続けるわけにもいかなかった。
「ナンデショウ、宮崎サン」
「なんでカタコトなんですかーっ」
 のどかからツッコまれるくらい千雨は動揺してしまっていた。
「……こほん。あの、ちさめさん」
「な、なんだ?」
 いや〜な予感は消えてくれなかった。
 というか、こう、のどかのキラキラした眼差しが復活している気がする。
「ちさめさんは、本当にトレジャーハンター……なんですか?」
「言葉の綾だ」
「トレジャーハンターなんですね?」
「誤解だ」
「ここは確かに地下五階です。で、トレジャーハンターなんですよね?」
 誤算である。のどかの押しが意外と強い。いや、あるいは元からか。クラスメイトということで男性恐怖症の気があること、内気で奥手で消極的な性格であるとの認識を千雨は持ってはいたのだが……。所詮は外から見た印象に過ぎなかったということらしい。
 普段は大人しいけど意外とアグレッシブ、動き始めたら止まらないという若干矛盾する性質と見た。
 そうでなければ図書館探検部などという危険極まりない冒険家御用達な部活動などするはずもないのだ。
「気のせいだ」
「気のせいじゃありませんっ」
 目の奥には星が舞っているようなきらめく輝きが見え隠れしている。
 ここでようやくと言うべきか、千雨はついに理解した。
 眼前の少女、宮崎のどかの性格を。
 まさしく乙女である。
 恋に恋する、夢を夢見る、ロマンチックとファンタジックに焦がれる現代の乙女であると。
 そして、乙女はいつの時代も強いものなのだ。
 あらゆる現実を飛び越える力を持っているから、ひとたび動き始めたら止めがたいのだと。
「そういう一面もあるってことで納得してくれ。マジで黙っててくれ。……頼むから」
「はいっ。私、誰にも言いません!」
 返事は非常に明瞭だった。
 答えは力強かった。
 まったく嬉しくないのは何故だろう、と千雨は分かりきったことを考えないようにしていたのだった……。


 
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