しばらくして、夕映がトイレから戻ってきた。すっきりした表情をしている。
「千雨さん、ありがとうございました。その、本当に……助かったです」
「気にすんな」
 というやり取りを、キラキラして眼差しののどかから見つめられている。
 まずい傾向であった。
 前髪に隠れているはずの、のどかの表情が、いやにはっきり目に見えるようだった。
 千雨は日頃は普通の女子中学生のふりをしているが、実は凄腕のトレジャーハンターである、と信じ切っている顔であった。ライトノベルでよくある話のように、実は凄まじい力を持っているが普段はさりげなく隠している、みたいな。
 言葉にしてしまえば陳腐極まりない。
 中二病患者によくある、いわゆる痛い設定である。
 いや、鍵開けを実際にしてしまった以上、もはや設定という言葉ではごまかせないのだが。
 ひとつありがたいのは、のどかの性格からすると他人に喋ることはなさそうだ、という点である。この数時間ほどの道程でおおまかな人となりは知れた。
 しかも当人は千雨を隠れたトレジャーハンターと認識しているから、わざわざ声高に暴き立てるような真似はしまい。ことあるごとにちらちらと視線を送ってくることを除けば、最悪の事態はなんとか免れたと言って良い。
 たとえ喧伝されたところで、見られたのは解錠技術のみである。言い繕う手段はそれなりにある。
 楓あたりに口裏を合わせてもらって、忍者の技を教えてもらったことにでもしようか。
 頭の中でそんな皮算用していると、夕映がまっすぐに見つめてきた。少し複雑な表情をしている。
「ところで、先ほど開けた鍵についてについてなのですが」
「……気にすんな」
 と、繰り返しておいた。
 夕映も見ていたのだ。のどかだけではなかったのだ。
 当然のことなのだが、すっかり頭から抜け落ちていた。
 これまでのことから分かる通り、夕映は物怖じしない。のどかより追及の手はきつそうだった。あちらほど乙女の思考回路をしていないだろうから、その分だけ対応はしやすいのだが、かといって油断はできない。
 のどかとは別の意味で怖い相手だった。
 好奇心ひとつでどこまでも駆け回りそうな、そういう気配が夕映の表情には見え隠れしているからだ。
「……あ、いえ、あの手の技術を持っていることについては深く聞かないです」
 ありがたかった。
 先ほど千雨がいきなり鍵開けを選択しなかったことを思い出したようで、ついでに今の反応から解錠技術を持っている事実そのものを隠したいのだとすぐさま承知してくれた。
 その手の技術は持っていると知られるだけで面倒ごとの種になる。
 先ほどは夕映の尊厳を守るためにやむを得ず使ったのだ。その相手から追求されるのはあまり嬉しいことではない。
 夕映は安心してください、と小さく笑んだ。あまり動きのない表情ではあったが、それは確かに笑顔だった。
 そんな不義理なことはしません、とも付け加えて。
「そうではなく、あの扉はどこに?」
「そこの壁がそうだ。隠し扉になってやがった」
 と指し示す。しばらくあのベンチで休んでいようと思ったのだが、千雨の思惑は外れてしまった。
 しばらく壁を眺めていた夕映は首をひねり、またぞろ難しい顔をしている。
「やはりヘンです」
「ヘンというか、まずこの図書館島そのものが凄まじく奇妙極まりない場所だが」
「あ、いえ、そういう意味ではなく」
「分かってる。……一方通行だってことだろ? 昇るときだけの道で、しかも鍵付きの扉でふさがってる」
「はい、隠し扉であることを考慮に入れても……これは奇妙と言わざるを得ません」
 鍵を開けて抜けてしまった以上、もはやどうでもいい疑問ではあるのだが、奇妙であることは事実である。
 夕映の抱いた違和感については、千雨にも理解出来た。
 その答えにも多少は予想が付いていた。
「もともと一方通行なんだ。本来なら鍵をかける必要なんてない。それをわざわざするってことは?」
「あっ、このルートを使って欲しくない誰かがいるです……!」
「こんな地下迷宮でも図書館には変わりない。管理者くらいはいるだろ」
「つまり……かの伝説の司書。誰も見たことのない大司書長。図書館島の地下を徘徊する謎の怪人……っ!」
「案外、普通に雇われているだけの司書かもしれねーけどな」
 欠片も信じていない言葉を吐いて、千雨は肩をすくめた。
 探検前に夕映が口にした情報によれば、白いローブを着ていて、なんとなく美形の若い男性というのが部内での認識らしい。
 明確で詳細な目撃情報には、場合によっては賞金を出すと息巻いている報道部と兼部している探検部員もいるそうだ。謎のベールに包まれた人物の正体を詳らかにする、というのは確かに上手く行けば大スクープだろう。
 問題は、今までニアミス気味に遭遇した部員たちは、誰一人きちんとした似顔絵を描けなかった、という点にある。
 誰もがみな口を揃えて、あれは若い男性だった。美形だった。うさんくさかった。白いローブを着ていた。そうした情報が目撃情報として吐き出されるわけだが、いざ具体的な人物像となるとまともに絵にならなくなるのである。
 見たはずなのに記憶に残らない顔なんて、下手な怪談話よりよっぽど不気味なのだが、それを怖がられている様子はない。
 こうなってくると、アレ関係なのだろうと千雨には想像が付いた。
 地下図書館にはこれだけの本が収められているというのに、普通の司書の姿はいっさい無い。
 そのわりに整理整頓されすぎているきらいがある。
 人目のない時間帯に、学園の担当者が大勢で本の整理をしていると考えられなくもない。
 が、もっと整合性のある理由を千雨はすでに知っている。
 これまで考えたことから、地下の全容を把握している管理者は存在する。それはほぼ確定している。
 それがくだんの人物と同一なのか、一人なのか大勢なのかについてもはっきりしないが、その可能性は非常に高い。
「どうする綾瀬。ここで待ってたら、そこの扉からひょっこり顔を出すかもしれねーぞ?」
 苦笑混じりにそんな提案をしてみた。
 いや、本当にそんな人物に出てこられても対応に困るのだが。
 壁に偽装された扉に目を遣っていた夕映は、視線を千雨に戻し、長々と息を吐き出した。
「興味が無いと言えば嘘になるです」
 夕映も千雨と同じような苦笑を浮かべた。
「ですが、今日は千雨さんの探検体験ツアーということで同行をお願いしました。ちょっとトラブルはありましたが……まずは千雨さんを無事に地上へと帰すのが先決です。いいですか、のどかも」
「うん……。それでいいと思うよー」
「ではっ、地上目指して出発するです!」
 隊列は最初と同じように。意気込みはむしろ最初より威勢良く。
 のどか、千雨、夕映という順番で、三人はゆっくりと歩き出すのだった。


 のどかが五階の地図を見せてもらったことがある、というのはかなりのアドバンテージになった。さすがに設置されたトラップの場所まで事細かに記憶していたわけではないにしろ、どの方向に四階に昇る階段があるか、その直線ルートが分かっているので楽だった。
「ゆえー、罠があるよ」
「千雨さん。ストップです。のどか、大回りしたほうがいいですか?」
「三時方向に発射台……通るときに赤外線を遮ると、矢が飛んでくる……みたい」
「矢の向きは固定ですか?」
「うん、横に飛んでいくかたち。一回限りの使い捨てみたい」
「発射させましょう」
 夕映の言葉にのどかが頷いて、自分の10フィート棒に手鏡を取り付ける。手際よく、セロテープでくるくると取って部分を巻き付けて。
 うっすらと見えていた赤い光線に、伸ばした棒の先、手鏡の部分を差し込んだ。
 ひゅん、と風切り音ひとつ。
 一本の矢が、真っ直ぐに本棚の隙間から撃ち出され、一瞬で逆側の本棚の隙間へと吸い込まれていった。
「右良し、左良し……おっけーだよー」
「では先へ進むです」
「マジもんの罠だな。いくら鏃も付けない、先も丸めてあるからって、さすがに危なくないか?」
 呆れた声で千雨はぼやいた。ここまでに出くわした罠は、いきなりのシュートトラップ二連続、その後は鍵のかかった扉だけである。通常ルートとは随分と外れた道ばかり進んできた千雨にしてみれば、これが初の危険なトラップであった。
 鏃が無くても矢であることに変わりはない。十分な速度があった。矢の先端は削り取られてあったから、刺さりこそしないだろうが、あの勢いでは当たればかなり痛いし怪我もする。当たり所が悪ければ、最悪、あるいは死に至ることもあるだろう。
「盗掘避けだそうですから」
 罠があるのは当然、と言いたげな夕映の言葉に、千雨は肩をすくめた。
「もしかして、下はもっとヤバイのか?」
「坂道には気をつけろ、大岩が上から転がってくる。……これが下層の心得だそうです」
「私はもう、図書館って言葉の意味が分からねーよ」
「……一応、貴重な本を盗もうとすると罠が発動する仕掛けになっているです。だから本当は、こうして道を進むだけならそこまで極端に危険な仕掛けはないはずなのですが……」
 千雨が鼻を鳴らすと、夕映はこの場所を擁護するようなことを口にした。
 言われてみればその通りだ。あらゆる道にいちいち罠が仕掛けてあっては、おちおち本を探すことも出来やしない。どんなに迷宮じみていようが、トラップだらけであろうが、ここはそれでも図書館なのだ。
 本を探し、本を読み、本を借りるために作られた、静謐で厳粛な場所。数多の古き書物で形成された知識の宝庫なのだ。
「じゃあ、さっきのは?」
「今通り抜けている一角が、貴重本を集めた本棚の列なのではないかと」
「……別のルートを通ればいいんじゃないのか」
「迷った挙げ句にもっと危険な場所に入り込むことを憂慮すれば、この道をさっさと抜けるのが安全策だと思われるです。幸い、この道順はおおよそではありますが分かっているので」
 一応安全だけど迷いそうな未知のルートと、危険なのは一応分かっているけど迷わずに帰れそうなルート。
 どちらが正解と言い切れないのが難しいところである。
 のどかが道の先を確認して、安全確保しているその後ろ姿を眺めながら、千雨は周囲の様子に目を光らせていた。


 千雨はさっと近づいて、前を行くのどかの肩を叩いた。
「ゆえ、なにー……あれ、ちさめさん?」
「あっちから誰か来るんだが」
 人の気配があったのだ。指し示した方向は本棚で視界が遮られている。しかし間を置かず足音が聞こえてきた。
 様子を窺うと数人のグループである。ほぼ間違いなく探検部の部員であろう。
「千雨さん。のどか。身を潜めるです」
 夕映がコの字状になっている本棚の中を指し示した。
 進行方向からすると、ちょうど向こうのグループから見えない位置である。指示して夕映はさっと身を隠した。
 のどかは首をかしげつつも、それに従った。促されて千雨も続くが、何故こんな風に隠れる必要があるのか意図が掴めなかった。
 物音を立てないように本棚に囲まれたその内側に張り付く。三人で鼻先を突きつけ合わせている状態だ。数人分の足音が近づいてきて、そして通り過ぎて離れてゆく。
 周囲に注意を払ってはいるのだろうが、わざわざ奥まった本棚の裏側にまで警戒するわけもない。
 顔も見えないままに、その誰かたちは五階へと下りる道へ進んでいった。
「普通に声を掛ければいいんじゃないか?」
「いえ。そうも行かないです」
 充分に離れた頃合いを見計らって、声を潜めて尋ねると、答えはさらに小声だった。
「トラップに引っかかって落ちたのは不慮の事故だろ? あの人たちが先輩なら、上に連れて行ってもらえば……」
「いえ、それではダメなのです」
 夕映は淡々と語る。
「いいですか千雨さん。私たちは落とし穴トラップに連続で引っかかって、下まで滑り落ちました。しかしここまで昇ってきてしまったのです。幸か不幸か、ここはもう四階です。さして親しくもない先輩相手では、中等部の生徒が会則を破ってちょっと潜り込んだ、と見られるのが関の山なのです」
「いや、落ちてきたルートをそのまま説明すれば――」
「千雨さん」
 夕映は首を振った。
「あの扉の鍵を開けてしまったことをどう説明するですか」
「……それか」
 この場所に隠れたのはそのためだったのだと、夕映の言葉でようやく気がついた。
 地下六階から五階に昇る階段そのものは別段隠されていたわけではない。
 ただ鍵がかけられていたから探検部員の使うルートとしては除外されていたに過ぎなかった。
 つまり、通れない場所として知られてはいた、ということである。
 落ちてきた場所と戻ってきた道のりを正直に説明すると、どうしてもそこの説明で引っかかる。虚偽を交えて語るのはリスクが高い。かといって、鍵開けの件については隠しておきたい、という千雨の意思は夕映ものどかも理解してくれていた。
 だからこそ、彼らと顔を合わせるわけにはいかないのであった。
「……悪いな」
「いえ。こちらこそ感謝してるです」


 こそこそと内緒話を終えたあと、ゆっくりと顔を出す。
 相手から見えない位置である以上、こちらからも見えないのだ。もう足音は完全に遠ざかって聞こえないのは確かめたのだが、それでも十全に配慮して夕映がほんの少し顔だけ出した。
 そのまま硬直した。
「……どうした」
「すみません。しくじりました」
「は?」
 のどかと千雨は顔を見合わせた。夕映は顔を出したまま動かない。
 このままの体勢でいても埒があかない。千雨も夕映の肩越しに首を出してみて――
「――こんばんは」
 挨拶された。
 のどかが、その声にびくっと身体を震わせた。夕映は無表情のまま冷や汗をだらだらかき始めている。
 千雨にも見覚えのある顔だった。
 さっき出くわした人物だった。
「ここにいたらダメじゃない。もう中等部の生徒は寮に帰る時間よ」
 そこには満面の笑みを浮かべる吉川先輩の姿があった。


 悪戯を見つけられた悪ガキのごとく、すごすごと吉川先輩の前に並ばされた。
「あたしね、隠してあるものを見つけるのが好きなの」
 とのご高説を賜った。
「そりゃたいへん結構なご趣味で」
「ありがとう。良い趣味でしょ?」
「ソウデスネ」
 簡単に受け流されてしまった。千雨は投げやりに笑った。何事も、ままならないものである。
「ああ、大丈夫よ。別に頭ごなしに叱るつもりはないから」
「じゃあスルーしてくれても良かったんですが」
「それはそれ。これはこれよ」
「あ、さいですか」
 千雨は肩をすくめた。夕映とのどかは萎縮しきっていて、何故か応対が千雨の役割になっていた。
 図書館探検部の部員ではない千雨にとっては親しく話すのも微妙、かといってあまりぞんざいに扱える相手でもなく、夕映とのどかの様子を見るになんとかお咎めを受けるのを最小限にしておく必要がありそうで、それなりの言葉を選ぶのに頭を使う羽目になった。
「だから怒るつもりはないってば」
「理由は聞いても?」
「だって、あのルートから三階にはまっすぐ降りられないもの。あたしを通り越していった感じでもない。だから事故でしょ?」
「まあそうなんですが」
「遭難です?」
「……近いものはありました」
「ツッコんでよ」
 やりづれー!
 千雨は目の前の大学部生の対処に非常に困っていた。相当な人物であるのは分かってはいたが、想像よりずっと面倒くさい。
「ほら、顔を上げなさい二人とも」
「……は、はい……」
 のどかはこわごわと、夕映は困惑した顔を隠しもせず、言われたままに顔を上げた。
「後輩ども! そんな暗い顔をして図書館探検ができるかーっ!!」
 叫ばれた。
「は、はいっ!」
「はいです!」
 背筋を伸ばしてピンとさせられた。二人とも驚いてビシッと敬礼までしている。
「ま、会則で禁止されているところまで降りちゃったのは事故だから仕方ない。仕方ないけど、後輩A!」
「えっと、私が後輩Aですかー……」
「そして後輩B!」
「流れ的にはBが私みたいです」
「ついでに期待の新人バンダナ少女C!」
 そういえば、あれから元の格好に戻していなかった。千雨の顔が盛大に引きつった。
「私は期待の新人じゃないです」
「またまた」
「期待の新人じゃないです」
「またまたー」
「違います」
「……ホントに?」
「本当に」
「ホントのホントに?」
「本当です」
「ところで帰宅部だったりする?」
「です」
「なら図書館探検部に入る気はない?」
「ありません。って、さっき会ったときにも言いましたよね?」
「今日の冒険、楽しく……なかった?」
 畳みかけるような問いかけの連発の最後がこれだ。実にタチが悪い。
 真横で夕映とのどかが固唾を飲んで見守っているところでそういう質問を投げかけてくるのだ。明らかに意地の悪い問いかけである。
「そういう答えを制限するような訊き方はずるいと思いますが」
「あら、そうかしら? どんな状況でも答えそのものは一緒じゃない。正直に言ってくれればいいのよ」
 探検部のタイトルホルダーは伊達ではないのだ。
 一筋縄ではいかない相手だった。
「それなりに面白かったことは認めますが、探検部に入る気はありません」
「……だってさ。良かったわね。この子たぶん押しに弱いから、何度も頼み込めば一緒に探検してくれるわよ?」
 と吉川先輩は、可愛い後輩たちに向けてそんな言葉で伝えた。
「お節介だったかしら」
「いえ。あんまり素直ではないと思われる千雨さんからその言葉を引き出せたなら僥倖です。望みは繋がったです」
「ありがとうございますー」
「いえいえ。後輩思いな先輩としてはこのくらいはしてあげないと」
 いえーい、と三人でハイタッチなんかしてやがる。
 千雨は半眼気味に三人を見据えた。
 というかにらみつけた。
 で? という言葉が声にしなくても滲み出てくる、そんな冷めた視線だった。
「はい、調子に乗りすぎました。ごめんね」
「……はぁ」
 すぐさま謝られた。やりづらい相手だった。本当に。


 一応、不作為であることは理解して貰っている相手である。鍵開けの部分は省いて、おおまかに落ちたところから今までの流れを説明すると、吉川先輩は目を瞑って考え込んでしまった。
 ぶつぶつと呟いている内容からすると、シュート型トラップについての不見識を悔やんでいるらしかった。
 その間に、千雨はバンダナ代わりにしていたハンカチを外した。
「宮崎、これ、ありがとよ。洗って返すから。明日で良いか?」
「あ、どういたしまして。急がなくても大丈夫ですー」
「そうか。悪いな」
「いえー」
 ほがらかな会話だった。気分の落ち着いた千雨は、いつもの伊達眼鏡をかけて、普段通りの自分を意識する。
 しばらくすると、吉川先輩は突然復活した。
「……さて、後輩A。後輩B。後輩C」
「待て、誰がCだ、誰が」
 敬語を使うのが馬鹿らしくなってきたので、千雨の口調は荒くなっていた。
「期待の新人からランクアップしたのよ」
「いや、勝手に部員にするなよ」
「部員名簿には名前を載せておくから、あとで入部届を書いておいてね」
「マジで止めろ!」
「……冗談よ」
 ちっ、という舌打ちまで聞こえた。
「冗談に聞こえねーよ!」
「えーと、千雨ちゃんだっけ? 名前は、長谷川千雨ちゃん。合ってるわよね?」
「そうだが、なんで名前を確認するんだ?」
「うふふ」
「うふふじゃねーよ!」
「でへへ」
「いや、可愛くねーぞ! 欲望がだだ漏れな笑いだぞそれは!」
「ま、冗談はさておき。後輩ども!」
 千雨から視線を外して、のどかと夕映の二人に目を向ける吉川先輩。
「おめでとう。新発見よ」
 首をかしげるのどか。考え込む夕映。
 そんな二人に、明るい声で告げる探検部タイトルホルダー。
「あなたたちは新ルートを開拓したわ。地下二階から地下六階まで降りるショートカットを!」
 そこでようやく理解したか、二人は顔を見合わせて、目をぱちくりと瞬かせた。
「なるほど、そういう考え方ですか」
「いいのかなー……」
「あんまり良くない気はするです。ですが、吉川先輩がそう認めてくれる、ということですね?」
 ですよね、と重ねて確認する夕映に、彼女は深い笑みを浮かべて首肯してくれた。
 どちらかと言えば祝福ムードを醸し出している部員二名に優しい眼差しを贈りつつ、吉川先輩は話を続けた。
「これから上に戻るのよね?」
「そのつもりですが」
「もしかしたら、戻る道のどこかで深層探索許可証を見つけちゃうかもしれないから……アレ、持っていってもいいけど、しばらくは使っちゃダメよ。そうね、まずは三階までの地図をきっちり完成させなさい。この件を含めて、部長には話を通しておいてあげるから」
 意味が浸透するまでに時間が必要だった。
 夕映がびっくりした顔で、飛び上がった。
「許可証が近くにあるですか!?」
「それはお楽しみってことで」
「なら頑張って探すです!」
 そんな夕映のはしゃぎっぷりを、のどかが嬉しそうに見守っていた。
 探検部同士の会話だからと、千雨は少し離れた位置から、このやり取りを静かに眺めていた。
 場所はさておき、まさに中学生の青春だなあと、二人の喜ぶ姿をどこか眩しく見つめるのだった。


 で、話に出てきた深層探索許可証を発見した。
 吉川先輩と別れたあと、三階の階段近くで、それはあっさりと見つかった。
 隠されているわけでもなければ、見つかりにくい位置に置かれているわけでもなかった。
 それそのものはA6サイズという小ささではあったが、非常に分かりやすく許可証置き場として一区画設けられていたのである。
 そして深層探索許可証には、以下の文言が記載されていた。

 譲渡・売買禁止。
 これを所持する者、図書館島地下四階以降への立ち入りを許可する。
 これを入手した場合、必ず入手した場所と時期を速やかに部長に報告すること。
 部長印無きものは無効。

「……は?」
 夕映が硬直した。千雨は笑った。のどかは、困ったように夕映の顔色を窺っている。
「なるほど。なかなか皮肉の効いた許可証のようです」
 硬直が解けた夕映が、怒りに打ち震えている。薄っぺらいその紙を握りしめて、低い天井をにらみつけている。
 のどかは、へ? とその怒りの理由が分からないでいるようだ。
「地下四階以降に降りるために必要なのに、地下四階に行かないと手に入らない。中等部の生徒がこの許可証を持っているということは、すなわち会則を破ったという証拠になる、ということです」
 つまり、と夕映は早口気味に続けた。
「自力で入手しなければ無意味なのに、自分で手に入れたら使えない許可証なのです」
「まあ、しばらくは我慢しろってことだな」
 あるいは規則に囚われてたら冒険なんて出来ない、というメッセージかもしれないが。
 千雨の言葉に、夕映は肩を落とした。
「ままならないものです」
「で、でも、吉川先輩が言ってたよー。しばらくは使っちゃダメって」
 のどかの言葉に、夕映の瞳に、再び闘志が燃えだした。
「……言ってましたね。地下三階までの地図を完成させろ、とも。ふ、ふふふふふふ。そういうことですか」
「ゆえー?」
「のどか! ハルナとこのかさんを誘って、明日は地図作りに専念するです!」
「ええーっ」
「千雨さん!」
「な、なんだ」
 急に勢い込んで名前を呼ばれて、少しびっくりしてしまった。夕映が詰め寄ってくる。
「……千雨さんにも事情があるです。だから、探検部に入ってほしいとは言いません」
 真剣な表情で、しかしどこか楽しそうに、夕映が言う。
「ですが、また……一緒に探検しませんか」
「わ、私も、また一緒に探検したいです……っ」
 のどかも加わって、千雨をまっすぐ見てくる。その返答を待っている。
 千雨はかすかな照れくささを頬をかくことで誤魔化して、わずかばかり視線を逸らして、
「まあ、そのうちな。今日は……その……わりと楽しかったよ」
 それだけ告げて、千雨はもう見えていた地下三階への階段に、ひとりでさっさと向かう。

 後ろの方で、小声でこんな会話が交わされているのが、千雨の耳に入ってしまう。
「のどか、千雨さん、耳まで赤くなってました」
「うんー。ちさめさんって……いいひとだねー」
「照れ屋なのでしょう。普段とギャップはありますが、素敵な人となりでした」
「このかさんともすぐ仲良くなれそうー」
「しかしハルナとは微妙に相性が悪そうです。こっちの紹介は後にしましょう」
「あはは……」
 千雨は聞こえなかったふりをして、階段をいささか足早に駆け上がるのだった。


 
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