とりあえず話が長くなりそうなため、当初の予定通り場所を移すことにした。
 まともに説明らしい説明はしていないが、おおまかなところは把握したのだろう。和美も同行することになった。見えないが、エヴァによれば一応さよもちゃんと付いて来ているらしい。とはいえ学校周辺からそう遠くまで離れられないようなのだが。
 やはり、地縛霊なりの制限はあるということか。
 和美の認識では、エヴァは幽霊を見ることのできるクラスメイト、といったところだろう。千雨が観察した限り、和美の表情からはそんな風に読み取れた。エヴァに大いに怖いところがあるとは理解したようだが、そのために恐怖に打ち震えたり、脱兎のごとく逃げたりすることはないようだった。
 喉元過ぎた熱さを忘れることに決めたのか、あるいは危険に対する感度がすでに鈍ってきているのか。
 先の一件でエヴァが見せた顔は、いつか千雨を試したときに覗かせたものと似ていた。
 鋭い刃のような、心を切り裂くような、そうした視線。
 あのとき千雨は笑って返した。
 だが、あの視線は、ただの女子中学生に過ぎない和美にとって、ああも真正面から耐えられるようなものだっただろうか。
 少し考えてみる。
 麻帆良の中に充満している、非常識を常識の範疇として捉えやすいという誘導が無効になったわけではない。
 ならばエヴァに対して脅威と思う認識は、今この瞬間にも大幅に減じられているのではなかろうか。千雨にはそれがどれだけの威力を発揮しているのか、正確に掴む手段がないのだ。他人が自分の認識を理解できないように、自分の認識もまた他人には理解しきれない。
 どこまでの非常識が、どこまでの常識として吸収されてしまうのか。
 命の危機に対する警戒と、擦り傷に対する注意とを混同していたら、これほど危険なことはない。
 歩きながら千雨がそんな違和感に思い悩んでいると、視線に気がついて和美がこちらを向いた。
「ん? なに?」
「大丈夫か?」
「あー、エヴァちゃんが怖くないかってこと? ま、大丈夫でしょ」
 後ろ手の会話は聞こえているだろうに、エヴァは振り返らなかった。階段を降りて、廊下を当たり前の速度で歩いて行く。
「平気なのか?」
「まぁね。千雨ちゃんもいるし」
「どういう意味だ?」
 必要であれば、エヴァの行動を制止するつもりではあったが、同じように必要なら、止めないことも考えていた。
 何かの際、和美を庇うかどうかは状況によるのだ。しかし、和美の言葉は別の意味だった。
「んー。なんていうかさ、エヴァちゃんが本気でヤバイ相手なら、千雨ちゃんは絶対に近寄らないでしょ?」
「……かもな」
「友達の友達はみんな友達とまでは言わないけどねー。類友ってヤツっぽいし、ならそこまで深刻になる必要もないかなぁって」
 エヴァが立ち止まった。
 今度は振り返った。というか、会話に割り込んできた。
「類は友を呼ぶか。言ってみろ朝倉和美、私と千雨のどこが類なんだ」
「わりと素直になれない。本心を理屈で隠しがち。理不尽が嫌い。かといって世の中が公平だとは思ってない。プライドが高いから、同情されるのも好きじゃない。けど必要ならあっさりプライドを放棄して実利に走る。だからリアリストに見えるけど、案外ロマンチックに憧れてる。で、口ではなんだかんだ言っても根っこのところではお人好し。……こんなところかな」
 千雨は口を噤んだ。
 エヴァは……何も言わずに、さっさと歩き出した。無言である。
「へいへーい、エヴァちゃん、どうよ。なにか反論あったりする?」
「……千雨はお人好しかもしれんが、私は違うぞ」
「またまたご冗談を」
「何の証拠があってそんな風に思う?」
「結果論だけどね。私がいま無事だし」
「……ん?」
「さっき、私ってホントにヤバかったでしょ? 天国か地獄か、そんな感じの岐路に立ってた自覚はあるよ。何をどうされるんだかはさっぱり分からないんだけどね、カンが囁くんだ。お前は見逃されたぞって。知らないままヤクザの事務所に潜り込んじゃって、しかも見つかったのに無かったことにしてもらった。それくらいの窮地だったっぽいなって」
「私をヤクザ扱いは気にくわないが、まあ概ねそんなところだな」
「だよねえ。で、歩いてるあいだに私は運が良かったのかって考えてたんだ。気まぐれで見逃してもらったのかって」
 エヴァは無言だった。
 和美が何を口にするのかを、聞き届ける姿勢だった。
「でも、それは違う。運なんかじゃない。エヴァちゃんは気まぐれだって言うかもしれないけど、同じ状況なら何度でも同じように行動するんじゃないかな」
「で?」
「……だから、お人好し。違う?」
「違うな。貴様を見逃してやったのは、単に利用価値があると思ったからだ」
「あ、やっぱり見逃してくれたんだ」
 カマをかけられたことに気づいていなかったらしい。エヴァが凄い顔をした。さすがに和美はもう怯まなかったが。
「さっき言われた内容だけだと確証が無かったからね。言質を取らせてもらったよ」
 と、にっこり。
 エヴァは何か口にしようとして、止めた。言えば言うほど不利になることに気がついたらしかった。口で負けたのを抗えない暴力で切り返すのはスマートではないし、エヴァの流儀でもない。
 そもそも移動中に言い争う内容ではなかった。ふん、と鼻で笑って、エヴァは足を速めた。


 秘密の話をするならエヴァのログハウスが一番適しているのだろうが、さよの行動範囲より外だということで諦めた。動ける距離に関してはエヴァよりもずっと狭いらしかった。近くにあるMUGGYというコンビニが遠出の限度だということである。
 結局、再び茶道部の部室に赴くことになった。
 道中でエヴァが聞き出した話は千雨たちも強制的に聞かされた。さよの日頃の生活は、なんとも言えない寂しいものであった。
「夜中はコンビニで時間潰して、場合によっては漫画の立ち読み、ねぇ」
「読んでるひとの後ろから覗き込んでるかー。まぁ、自分でめくれないっていうか、めくったらマズイもんねぇ」
「日中は授業受けて、誰もいないときはペンを回して遊んでると」
 幽霊という自覚を持ちながら、生前の意識を保ったままであるというエヴァの話は正しかった。
 話を聞く限りでは、気弱でドジな娘以外の何物でもない。
「というかお前ら、こいつが幽霊のくせに夜の学校を怖がってるって事実にツッコまんか!」
「さよちゃんが特別恐がりなだけでしょ?」
「お前もお前だ! いちいち卑屈に謝るな! すみませんすみませんとこめつきバッタみたいに頭を下げんでもいい!」
 怒られて萎縮している姿が目に映るようだった。実際には何も見えないが。


 というわけで茶室である。すでに窓の外はわずかに暗くなっている。
「いいのかなぁ。こんな時間まで残ってると怒られるんじゃないの?」
「気にするな、朝倉和美。それとも話を聞かずに帰るのか? 私はそれでも構わんが……」
 すでに巻き込む気満々なのを千雨は知っている。単なる交渉の手管である。和美も弁えているようで、しかし下手にそこを突くとエヴァが意地になって、さよ関連の話から本当に閉め出されかねないこともこの短時間で把握したらしかった。
「はいはい、最後までお付き合いいたしますよ、お嬢様」
 話しながらエヴァは薄茶の用意をしていた。千雨と二人きりだった先ほどと異なり、色々な手順を省いてさっと四人分を立てた。
「予定外の客だからな。茶菓子は無いが我慢しろよ」
「もてなしの心は?」
「客として振る舞ったら考えてやる」
 本来は部活が休みの日だから、茶菓子の予備は無かったようである。千雨に出してくれた分は自分で取り寄せたものだったのだろう。飲めないと知りつつさよの分まで茶碗を置いたのは、そうしないとエヴァ自身が気持ち悪かったからに違いない。適当に済ますところと、きっちりするところが綺麗に別れているのだ。
 あとは歓談の時間であった。
 さよの語る話をほとんど聞き終えたころには、時刻はすっかり夜である。
「話をまとめると……別に成仏したいわけじゃなくて、友達が欲しいと」
「そうなるな」
「それってさ、エヴァちゃんでいいんじゃないの? 見えるし」
「……私にも都合があってな」
「見栄?」
「違う」
「じゃあ、なんで」
「私は相坂さよを成仏させるために話しかけた。友達になるためではない」
 と和美に対して口にした瞬間、エヴァは煩そうに顔をしかめた。
 さよが何か色々と話しかけているらしい。が、千雨たちにはその内容が分からない。しばらく面倒くさそうに黙って聞いていたが、エヴァはその方向をぎろりとにらみつけた。
「ああ。そうだ。相坂さよ。貴様がここにいると、私の目的にとって邪魔だからだ」
 口を挟むべきなのだろうか。
 千雨は困惑した。エヴァの事情を知っているだけに、任せておいたほうが良いんじゃないかと迷ったのである。
 和美は目を瞬かせた。エヴァの振る舞いから性格は掴めたかもしれないが、今エヴァがどんな境遇に置かれているかについては全く知らないはずである。
 たとえ多少の情報があったとしても、前提が分からない和美では決してたどり着けないだろう。
 さよとエヴァのあいだで、どんな会話が交わされているのか。
 エヴァの返答から、千雨よりもずっと確度の低い推測のみで組み立てているはずである。
「何か勘違いしていたようだな。相坂さよ。別に貴様のためではない。私は私のために貴様を成仏させようとしているんだ。友達? 知るか、せいぜい無駄な努力を続けるがいい。私は貴様を救うつもりなんぞ……これっぽっちもないのでな」
 堂に入った悪役ぶりである。睨め付ける視線は冷たく、さよを消滅させても何の痛痒も覚えないと言いたげだ。
 本心が違うことを知っている千雨の前でこれだけ悪ぶれるのだから、よほど強固な仮面なのだろう。相坂さよが傷ついた顔をして、顔を背けたと思われる瞬間があった。
 エヴァの視線がわずかにぶれたのだ。表情は変わっていない。だが、千雨には一瞬躊躇ったのが分かった。
 親交を深めるうちに気づいたことなのだが、エヴァはひとの嫌がる姿、痛がっている姿を見て喜ぶ素振りをよく見せる。
 が、それは弱くとも決して諦めないものが傷つきながらも必死に立ち上がろうとする姿であったり、強者として振る舞っている者がめためたに打ちのめされる姿を好んでいる。
 何かを手に入れようとする者が、困難に立ち向かい傷つくのは、至極当たり前のことだからだ。
 何かを手に入れた者が、失わないためにひたすらに進み続けることも、同様である。
 しかし、持たざる者が、力なき弱者が、ただむなしく嬲られている姿を見るのは嫌いらしいのである。
 なかなか歪んだ趣味だが、女子供を殺さないというルールはそこに起因しているのだろう。
 好みではないことをしているというのに、傍目にはそれを微塵も感じさせない手腕には恐れ入る。

 ここまでさよとの会話を黙って聞いていた和美が、すっくと立ち上がった。エヴァは座ったままである。
 見下ろされてもまったく動ぜず、口の端を上げた。
「なにか言いたいことでもあるのか、朝倉和美」
「エヴァちゃんさ、ひどくない?」
「どこがだ?」
「……さよちゃんの友達になってあげるくらい、いいじゃない」
「ほう。大した発言だな。友達になってあげるくらい、か。……貴様いったい何様のつもりだ?」
 そんなつもりはなかったのだろうが、言葉尻を捕まえられて、和美は一瞬ひるんだ。
「ちょっ……そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味だ。相坂さよがひとりぼっちで可哀想だから、わざわざ私が友達になってやるんだろう? それとも友達になることなんてこれ以上ないほどどうでもいいことだから、それくらいは当然やるべきだと?」
 押しつけがましいものか、くだらない義務感か。
 どちらにせよ、そんなもので友達になってもらって嬉しいわけもない。
 和美の意図は違うものだったのだろうが、不用意な発言をしたのが運の尽きだ。さよ相手のそれとは随分と異なり、和美を言葉でいたぶる分には純粋に楽しそうである。
 さもありなん。
 たぶん和美はすぐには思い至らないだろうが、こうしてねちねちと虐めるのは、エヴァなりに認めたがゆえの結果である。
 端的に言ってしまえば、エヴァから目を付けられたのである。
 とはいえ、くくくと嫌な笑い方をして、さらに答えを引き出そうとするエヴァの姿は、まさしくひとを弄ぶ魔女のそれだった。
 そして、さよがこの場にいて、目の前でこんな話をされている。それを全員が理解しているからこそ悪辣だった。
 一瞬、エヴァが頬をぴくりと動かした。
 何か言われたか、さよが和美を庇う位置にでも移動したか。
「ふん、麗しい友情だな。これまで自分の存在に気づかなかったクラスメイトをわざわざ庇うとは。話すことも出来ず、自分のことが見えもしない。それで友達になれると言い張るつもりか?」
 さよが何と答えたのか、千雨には聞こえずとも理解出来た。
 和美も同じだったのだろう。エヴァが浩然たる態度で嘲笑を向けるのを、一歩前に出て遮った。
「バ、バカにすんな! 見えないくらい、話が出来ないくらいで、友達になれないなんて誰が決めた! エヴァちゃんが仲良くする気が無いってのは分かったよ。だったら、私がさよちゃんと友達になる。なってみせる!」
「ほう。ならば意思の疎通はどうする? その場に相坂さよがいればなんとかなるかもしれんな。だがひとたび見失ったら仕舞いだ。どこにいるかも分からぬまま、空気に向かって延々話し続けるのか?」
「なんとかするよ」
「どうやって?」
「……それは」
 にやにやと、しかし的確に追い詰めていくエヴァ。
 気分は悪の組織の大幹部である。似合いすぎていて千雨はなんだかなあ、という気分を隠せなかった。
「朝倉和美。ひとつ、ヒントをやろう」
「……なに?」
「そいつの未練を解消してみろ。少なくとも地縛霊ではなくなる。地縛霊とは、名のごとくその土地に縛られる霊だ。縛られているから行動や存在にも制限がかかる。その制限から解き放たれれば……もしかしたら貴様にも見えやすくはなるかもしれんな」
 一瞬、和美がエヴァをきつく睨んだ。
「さっき、さよちゃんのこと成仏させるって言ってたよね。……普通、未練を解消したら成仏しちゃうんじゃないの?」
「かもしれんな。成仏しても、しなくとも構わん。相坂さよがあの場所から動けるようになれば、私の目的とは合致するのでな」
「なら!」
「成仏しないよう手を貸して欲しいとでも言うつもりか? 貴様が言ったんだ、相坂さよと友達になってみせると。見えなくとも話が出来なくとも、友達になれると大言を吐いたんだ。なぜ私がそれにわざわざ協力しなければならない」
 言葉に詰まった和美を見やり、忘れるなよ、とエヴァは呵呵と笑う。
「なのに真っ先に私の助けを求めるのか? うん? どうなんだ朝倉和美」
 エヴァの含み笑いが多分に混じった発言を耳にして、和美はゆっくりと頷き返した。
 少しの間が空いた。返答の言葉に迷っていた。
 やがて、ぽつりと口にした。
「助けてくれると、思ってる」
「ほう。そう思う理由を聞こうか」
 ひとつ息を飲み込んで、それから和美はエヴァを見つめた。
「こうやって困ったとき、当然のように助けてくれると思ってたら、きっと……エヴァちゃんは何もしてくれないんでしょ? それはなんとなく分かった。でも今の私に支払える対価なんて無い。そもそもエヴァちゃんがいま何を求めてるのかも知らないしね」
 和美は静かな口調で語り出した。ひとつずつ、自分の言葉の意味を確かめるように。
「……だけどこれは、エヴァちゃんがそれを望んでない場合」
「ふむ」
 先を促すと、和美はちらりと千雨を見た。
「エヴァちゃんが本当はさよちゃんを助けたいけど、立場上これが出来ないっていうなら話が違ってくる。だいたいさ、さっきからおかしいんだよね。エヴァちゃんの雰囲気とか口調とかはそれっぽいし、悪人っぽく振る舞ってる姿にまったく違和感ないけど、いや違和感無いって時点で変なんだけど、今の流れが本当に悪意ありきなら――私に対して、それからさよちゃんに対して、わざわざそんな風に言って聞かせて見せる必要なんて何にもないんだもん。もっと簡単な手段が山ほどありそうだし、私みたいな小娘ごとき、やろうと思えばもっと上手く騙せるんでしょ?」
 大げさなため息をついて、さらに続けた。
「で、そんなあからさまなコトやってんのに、ツッコミ担当千雨ちゃんが全然口出してないってあたりが……わざとらしいっつーか、露骨にヒント出しまくってるっていうか。ねえ」
 苦笑されてしまった。
「エヴァちゃんさ、悪役ぶるのは慣れてるんだろーけど、過程とか表面じゃなくて、結果だけ拾ってけば……なんも分かんないままでも結構掴めることがあるよ。それがマスメディアの本質だからさ。こりゃ誘導してるなーってのは、私、特に敏感なんだよね」
「ご託はいらん。どういう結論になったかだけ聞いてやる」
「エヴァちゃんは話す他には何もしない。というか、するわけにはいかない。だから私が勝手に動け。違う?」
「朝倉和美。そこで同意を求めるなよ」
 和美が勝ち誇ったように笑い、入れ替わるようにエヴァが肩をすくめた。
「ま、どう受け取ろうとお前の勝手だ。好きにすればいいさ」
「しつもーん! 千雨ちゃんは借りていいの?」
「本人に聞け」
「だってさ」
「いいぜ。つーか、回りくどすぎるだろお前ら」
「誰のせいだ、誰の」
「少なくとも私じゃねーな。朝倉のせいだろ」
「えー、ひどいよ千雨ちゃーん。私と千雨ちゃんの仲じゃない」
「そこ。妙な印象操作すんな」
 何とも言えない空気のなか、なんとはなしに真横でさよが会話の飛び方に混乱して右往左往している様子が思い浮かんだ。気配も姿も声も見えないくせに、そういった雰囲気だけが伝わるというのも不思議なものである。たったいま盛大に首をかしげており、和美とエヴァのややこしい話の趨勢の行方がどうなったのかについて、うんうん唸って思い悩んでいるところだろう。
 あるいは、まだよく分かっていないのかもしれない。
 突然三人でかもし出し始めた和気藹々とした空気を受けて、目が点になっているっぽかった。
 エヴァが虚空を見据える視線は、そこはかとなくアホの子を見るようなものとして捉えられた。


 外に出ると、真っ暗である。夕方あたりまで部活動をしていた生徒たちも、とうに帰途に就いている時刻だった。
「さてと、さよちゃん、まだ、そばにいるんだよね?」
 帰り道の途中、和美が不意に口を開いた。知覚できないから、独り言のように告げるしかない。
 エヴァは片付けがあるとして茶室にひとり残った。しばらくすれば、茶々丸が迎えに来るのだろう。
 さよの返事は聞こえない。しているのかもしれないが、和美にも千雨にも認識出来ずにいる。
「まあ、とりあえず合図だけでも決めておこうか。ポルターガイスト的なことは頑張れば出来るって話だし」
 その言葉の後、周囲に転がっていた小枝が不自然に吹き飛んだ。返事のつもりなのだろう。
 エヴァの講釈が正しければ、さよは自力でポルターガイストを引き起こしていると考えられるのだが、あるべき魔力の動きが千雨には把握しきれなかった。連発は出来ないみたいだから、魔力を生命力のように、つまりは気として使っているのかもしれない。
「もう少し細かい制御とか出来る?」
 一端立ち止まって、和美が注文を付けた。
 頑張っているのだろう。凄まじく不自然な動きをして、小枝が地味に動いた。一センチ前に転がったのだ。
「右、左、斜め前に動かせる?」
 小枝は右にずれた。次に左に転がった。息切れでもしているような間が空いて、斜め前にちゃんと進んだ。
「オッケー……これならいける!」
「どうするつもりだ?」
「千雨ちゃん、こういうときには定番のやり方があるでしょ」
 思いつかなかった。怪訝そうにしていると、和美はにんまりと笑んだ。
「こっくりさん方式。この場合は、さよさん?」
 和美の提案にひどく納得した。
 細かく動かせるのであれば、机の上にでもひらがなの表を作って文章を指し示してもらえれば済む。
 多少のタイムラグはあるにせよ、双方向の会話は成立する。
「教室でやるのか?」
「うーん。こっちからは見えないからね。場所とタイミングを決めておくしかないんだけど、別のが寄って来ちゃったらアウトなんだよねえ。区別が付かないわけだし。ただ、さよちゃんにはこっちの声が聞こえてるってのが……せめてもの救いだけど」
 一応、エヴァがあれこれ説明してくれた。世の中には雑霊というものがあるらしい。さよみたいに明確な意思を保っているわけではないが、それでも生前のように振る舞うので、なまじ見えてしまうと人間くさい幽霊にしか思えないのだという。さらにそうした雑霊にもいくつか種類があって、ひとを害する悪霊も希に存在しているのだそうだ。千雨の理解では、恨み辛みによって発生したコンピュータウイルスみたいなものである。
 生きているものに害を為して、恨み辛み、そして憎しみを連鎖させて感染させてゆく。そういったものであると。
 こういう手合いに出くわしたら駆除するしかない。幸い、麻帆良では悪霊はおろか雑霊も滅多に見かけないという話なのだが。
 少し考えれば、悪霊が出てこない理由は簡単に分かる。この地で恨み辛みに凝り固まって死ぬ人間がどれだけいるかという話である。いないわけではないのだろうが、基本的に脳天気な地域住民の習性にプラスして、悪意から発生する事故事件の量が余所の地域とは桁違いに少ないのである。
 多少の喧嘩はあっても、それが殺人事件にまで発展した話はこの何年ものあいだ一度として聞いた覚えがない。
 意識誘導の結果だと考えると釈然としないものは残るが、かといって犯罪の温床になるような土地でないことは喜ばしいことではある。
 おおらかな性格の多い土地の特色と、死者が出る場合は病や事故によるものが大半のため、悪霊として現世にこびり付く理由が少ないのであった。
「じゃあ、時間を決めておこうか。スマートに会話出来る手段が確保出来れば簡単なんだけどね」
「手段、手段か」
 ぱっと何か思いつきそうなのだが、あと一歩が届かない。喉に骨が引っかかっているような感覚である。
 うーんと唸ってみるも、出てこないものは出てこない。
 再び歩き出してしばらくすると、あらぬ方角からやって来た茶々丸とすれ違った。
「こんばんは、千雨さん、朝倉さん」
「よう。エヴァの迎えか」
「はい、マスターはまだ部室の方にいらっしゃいますか?」
「いるはずだ。っていうか、連絡して確かめたりすれば済む話だろ」
「マスターはあまり携帯電話が好きではないようでして」
 挨拶を返すと、茶々丸はぺこりと一礼して先ほどの茶室へと歩き出した。
「……あ」
 後ろ姿を見送っているうちに、千雨は思いついた。
「どったの千雨ちゃん。何か思いついた?」
「……少し待て」
 電話帳から超の番号を探す。
 メールは結構な頻度でやり取りしているが、あまり電話を掛けた覚えがない。良い機会だ。
 どの程度なのかは分からないが、そちらの方面に理解があるのは間違いない。
「長谷川だ。いま時間良いか?」
『大丈夫ヨ。そちらから掛けてくるとは珍しいネ』
「ちょっと頼みがあってな」
『ほう、それは嬉しいナ。千雨サンが私を頼ってくれるとは……明日あたり良いことあるカナ?』
「あるといいな。で、頼みなんだが――」
 不思議そうにしている和美の視線を受け流し、千雨は事情を説明した。無論、エヴァにかけられた登校地獄に関わる部分は省いたが。



『――ふむ。相坂さよサンか』
 超にしては珍しく、面白がっている雰囲気が半分、もう半分は……不審がっている感触だろうか。
 今の今まで、さよについて本当に知らなかったらしい。電話口でこそ向こうの様子は見えなかったが、まずさよの実在そのものへの懐疑から始まって、これまで気がつかなかった理由、知らない間にマズイ何かを見られていないかという不安が垣間見えた。
 有り体に言えば、ちょっと動揺していたのである。
 会話や相づちのさなかにその動揺は引っ込んだが、さよという要因が超にとって想定外であったのは間違いないようだ。
 千雨も気づかなかったのだ。
 切っ掛けがなければ、知識としては様々なものを持っている超でも、認識に至らなかったのは不思議なことではない。
 むしろ、さよという存在が本当にいたのか、という驚きに彩られていた。
 エヴァがアクションを起こさなければ、本来であれば、誰にも知られずに永遠に見過ごされていた問題だったのかもしれない。
 ついでにさよがいかなる存在であるか、エヴァからの解説を含めた現状認識の確認と、千雨の要望の実行性のフローチャートについても言及された。
「視認性はこの際後回しでいいんだ。意思疎通さえ出来れば」
『なら朝倉の案は悪くないと思うヨ。それをもう少しスマートにすれば良いと』
「なんとかなりそうか」
『幽霊を吹き飛ばすなら簡単ネ。材料さえあれば三時間くらいで作れるヨ。コミュニケーションツールの場合は……どの程度のものが欲しいかに寄るナ』
「どの程度っていうと?」
『原始的な仕掛けで良ければ一時間で充分。スムーズに対話出来るレベルにするには、さよサンの状態を把握しないとなんとも言えぬナ。霊視メガネ的なモノも作れないことはないが、こっちはほとんど期待できないと思てもらいたい』
「前半は分かるが、後半はなんでだ」
『エヴァンジェリンにしか知覚できないステルス幽霊を、特別な目もなく見つけるのは至難の業だヨ。よほど波長が合えば別だけどネ。理由としては……寝ている子供を運ぶのと、起きている子供を運ぶのとでは、体重は変わらないのに、感じる重さが違う。それと同じと言えば分かるカナ?』
「重さの部分を見えやすさに置き換えればいいってことか」
『そうなるネ。本来、魂なんて誰にも見えないものだヨ。それが見えるエヴァンジェリンの方が特殊と言える。にしてもエヴァンジェリンが手を出さないにせよ、自分の益にならないことに口を出したのはどういうことネ。対価もなく動く性格ではなかったハズ……千雨サンは彼女と親しいようだが、心変わりの理由は分かるカナ?』
「あいつも色々複雑なんだよ。素直じゃないし、すぐ意地になるから、あんまりツッコんでやるな。つーか絡繰の関係で超も繋がりはあるんだろ?」
『確かにエヴァンジェリンには茶々丸を生み出すために協力してもらたが、相応の対価は支払たヨ。というか、あのエヴァンジェリン相手に、千雨サンはよくもまあそういう対応が取れるナ。怖いモノ知らずというか何というか』
「あれこれ律儀なだけだと思うが。そんなに怖いか?」
 超にそこまで言わせるとは、闇の福音なるネームバリューはそこまで重いのかと眉をひそめた。
 しばらく絶句された。呆れられたのかも知れない。
『わずかな勇気が道を拓くとは言うが……千雨サン』
「なんだよ、その反応」
『なんでもないヨ。常識人ぶってる友人の非常識さを嘆いていただけネ』
 電話越しながら、超の苦笑が見えるようだった。
『電話くれたのが私がちょうど研究室にいるタイミングで良かたナ。間に合えば、明日の登校時に持ていくヨ』
「すまん。助かる。……こっちから頼んでおいてなんだが、無理するなよ」
『友人から頼りにされるのは、最後まで蚊帳の外に置かれるより嬉しいものだヨ。千雨サンは違うのカナ?』
 口調から、超が満面の笑みを浮かべているのが分かった。


 いくつか仕様について注文を聞いてくれるとのことなので、あれこれ話した。最低限は和美ないし千雨と意思疎通が出来ること。上を見ればキリが無い。
 電話の設定を変えて、周囲にも声が聞こえるようにしておく。
 隣にいる和美と、イエスノーくらいの返答なら出来そうなさよとを会話に参加させて、色々と話し合ってみた。
「机の上に置ける大きさに出来るか」
『千雨サンの意図は分かるヨ。ならカバーストーリーが必要になるナ。昼間朝倉と柿崎サンが話していたものと整合性がとれるのが最善だが……』
「長年病院に入院してるって設定でどうだ? あまり近いと委員長がお見舞いに行くって言い出しかねんが」
『悪くないナ。海外か地方か、どちらにしても動かせない特殊な病気という名目にすべきネ。場所の名前も言わず、病名に触れられたくないように振る舞えば、あやかサンの性格だと触れないでくれるだろうナ』
「二人とも何の話してんの?」
「意思疎通出来るようになるなら、相坂を幽霊扱いするより、病人が遠方から通信してるみたいなノリにした方が良いだろ」
『我がクラスの皆は大半気にしないだろうが、それでも幽霊と教えるのは……ネ』
 机の上の機械に文字が映るなり、スピーカーを通して合成音声が出てくるなり。
 ベースはこっくりさんの方式だが、科学の産物という印象を通すと、幽霊が操っているという部分は隠蔽できる。
 よりあからさまな茶々丸が黙認されているのだ。
 実態が違うとしても、傍目には機械仕掛けの通信箱である。
 事情により学校に通えない生徒が、それでも授業を受け、クラスメイトと親しく会話をすることができる。
 六十年近く、さよの席を残していた麻帆良の女子中等部である。これが認められない理由はあるまい。
「え、アリなのそれ?」
「あのクラスの面々なら超の特殊な技術で超遠方と双方向通信出来るようになりました、で納得するんじゃね?」
「あー。ホントにあっさり納得しそう。でもさ、高畑先生とかはどーすんの?」
 千雨とて人となりを深く知っているわけではないが、基本的には善良であると判断出来る相手である。
 先刻のエヴァの評を鑑みれば、深刻に心配するほどのことではない。
「そういう設定にしとけば、教師陣からは却下はされないだろ。相坂の席を残してる時点で学園長あたりが上手く計らってるはずだし。そもそも学園長って昔はここの生徒だったみたいだしな。以前は男女別学じゃなかったようだし、もしかしてクラスメイトだったとか」
「うわ、ありそう。……さよちゃんの話を聞きに行ったときの態度はそれが理由かな?」
「ありがちな展開としては、初恋の相手とか」
「や、やめてよ千雨ちゃん! 想像しちゃったじゃん!」
「相坂。学園長の名前……えっと、近衛近右衛門って名前に聞き覚えはあるか」
 地面に簡易なマルバツを書いておいた。そこに枝が転がっていった。バツ。違うのか、忘れてしまったのか。
 どちらかと言えば後者のような気はするが、それを確かめる術は今のところなかった。
「これで学園長の初恋だったりしたら、切ないなんてもんじゃないね」
「聞かない方が良いだろうな」
『ご老人の昔の恋の行方はさておき、まずはその方向性で良いカナ。使ってみて足りない機能、欲しい機能があるようなら、後で追加出来るように考えるヨ』
 これから取りかかるという超の言葉に千雨は感謝の言葉を告げた。和美とさよもそれに倣った。後者は言葉こそ聞こえなかったが、枝で必死にありがとうございますと地面に書こうとして苦心している様子が目の前で展開されていた。
 さよの努力を伝えると、超は笑ってどういたしましてと応えた。
『フフフ。まだ見ぬクラスメイトにも頼られてしまては、もう頑張るしかないナ!』
 張り切っているのが分かる声だった。電話を切るまで続けた応答は、どことなく楽しげであった。
 一通りの確認を済ませると、その日は解散となった。

 
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