岩場の隅に花が見えた。あたしは遠くの砂煙から目を離さず、静かに声を漏らした。
「珍しいこともあるもんねえ」
 水のない場所だというのに成長して生き続ける植物にあたしは軽く感嘆の念を覚え、それ以上に罵倒したくなった。
 草の向こうから、わらわらと狩人アリたちが集まってきた。……巨大アリの群れに襲われている最中だったんだけど。
 もしやあたしはアリに好かれる体質なのかと、ちょっと落ち込む。いやいや落ち込んでいる場合じゃないのだが。
 この前のアシッドアントの団体さんとかの例もあるし。
 特殊な生態系というにはちと奇形。奇妙な創造の形態。進化の裏道に入ってしまったらしいのだ。世界にはヘンな生き物たちが巣くっている。
 崩壊前なら――遺伝子異常とか、生物兵器とか、そんな概念で呼ばれていたのだろう。けれどいまはこれが当たり前。砂漠に蠢くのは既知の怪物か、未知の化け物か。結局いるのはモンスターたちだ。そう、目の前のアリの軍隊のように。
 でも、あるいはだからこそ、これは日常の一コマ。
 ハンターたちは危険なそいつらを駆逐し、誰かの安全を作り出すことを生業とする。もちろん倒せないなら死ぬだけだが。
 砂漠を抜けていくのはモンスターと遭遇する可能性を考慮せねばならない。一般人でも通り抜けるのは可能だ。ただ敵と戦うことはできないのだから、そういう場合は護衛を雇うものだし、そもそも他の街へ移動する人間はさほど多くない。
 しかし、この場合。
 つまりは数十匹の狩人アリの編隊に囲まれた少女というのが存在していた場合。ハンターとしてとるべき行動はどれが正しいのか。
「……ま、考えるまでもないか」
 あたしは規則正しく少女へと進むアリの列を観察し、狙いを定める。カチリ、カチリ、カチリ。歯車のような音が鳴る。
 設定完了。サイトを合わせたまま、指は引き金に。
 数日前にテスト済みの照準だ。信頼して、あたしはトリガーを引いた。
「ファイア!」
 一斉掃射。ダダダダダダダ、と地面に穴を穿っていく。外殻を削りながらぐるりと一巡したころには、触角を震わせている甲殻の軍隊が向きを変えていた。鉄の塊が自分たちに危害を加えるものだと察したのだろう。知能レベルは昆虫の癖に動物並だった。整然と、同時に動きを変えた。
 アリって群体生物だったっけか。知識に不安を覚えながらも、あたしは視界に黒だか茶色だかの群れを確認する。少女はぽかんと戦車とアリの集団を見比べていた。
 さっきまで泣いていたのだが、いまの炸裂音に驚いたのか、目を丸くしたまま黙ってあたしのほうを見ている。
 アリは眼前の空間に真っ直ぐ殺到した。危険の察知よりも、敵の排除が優先命令になっているらしい。軍隊アリと呼ぶに相応しい動きだった。
 あたしは引き寄せることにした。ぎりぎりまで待つのだ。数十匹が迷いなく一度に狙っているこの状況下、いくら鉄で出来ている戦車といえども、噛まれ続けたら壊れもするし、体当たりされれば衝撃は伝わるから安心はできない。
 アリの先頭の数匹が射程距離圏内に入った瞬間、虎の子の冷凍弾を範囲に三発撃ち込んだ。
 一発目は素早かった一匹目の後ろ足だけを凍らせ、続く五匹までの全身を氷結させて固まった。
 続く二発目はかるく横にずらして範囲を広げる。液体窒素の詰まった弾は、後ろから飛び出した二匹の体内で弾けて体液ごと周りへと飛び散らせた。見ていると間接部分が動かないようだ。
 一種の壁の役割をしてくれているうちに三発目が後方の集団を絡め取った。砂漠の黄色に染められるように、氷は黄土色に輝いている。すぐに溶け出し始めるということはないはずだ。
 安堵して残りの十匹ほどに牽制射撃を仕掛けた。仲間達の失敗から学んだのか、反射的に後退したアリは無表情ながら動揺しているように思える。
 進化。彼らが与えられたのは限界以上の不自然な巨大化と、脳か何かの思考器官発達による知能上昇。
 しかし、ままあるように。努力無く手に入れた力は必ず歪むものだ。アリたちは知能の入手によって、恐怖という理性の結果まで飲み込んだようだ。
 誰かが声もなくささやく。愚かなままなら、悲しさなど感じなかったのに、と。世界は皮肉を忘れていないらしい。アリが退却していく。これ以上いたずらに手を出すことの危険を知ったのだ。
「……違うっ」
 退却ではない。態勢を立て直しに計っただけ。
 その向かう先には、小さな影が怯えている。身動きひとつせず立ちすくんでいる。悪意ではなく、敵への攻撃性という本能で狙うもの。
「あの子がいる場所が危ない、か」
 あたしは戦車を走らせながら有効な手段を考え出す。機銃連射による威嚇を続けながら最短距離を突っ切っていく。草むらの奥からわらわらとはい出てくるアリの増援は、少女に近い。
 やばいかもしんない。
 思ったが声には出している余裕がない。足場の悪さに激しく揺れる戦車の中からスコープを覗き込み瞬間的に判断真っ直ぐ狙いを付けるのは一団の指揮役の少し硬そうな狩人アリの鼻先へ直線で砲台を回さず車体をずらして狙いを補正カチリという音と車軸の傾きが視界の角度を変える気にしないそのまま手を伸ばし主砲の固い引き金を思いっきり引くガチンッ。
 一撃。
 主砲発射までにはコンマ数秒のタイムラグ。刹那が過ぎ横転防止用の自動修正がかかる。すぐ横の土塊の盛り上がりに、バランスを崩しそうになる。着弾の衝撃がまず音、それから遅れて爆風としてあたしの戦車まで届いてきた。何も見えないが、威力は親父さんのお墨付きだ。当たってれば周囲一帯ごと吹き飛ばしてくれているはず。
 砂埃で悪くなった視界をどうにかする前に少女の姿を探す。いまので一緒に被害に遭っていたら目も当てられない。あたしはかなり慌てていた。
「よし無事っ」
 確認した瞬間に視界の隅にアリ四匹を捉える。自動照準、ATMよりミサイル弾発射。
 スリー、
 ツー、
 ワン、
 オーヴァー! 
 射出。ヒュゥゥゥゥ、という気持ちよさを醸し出しているであろう弾頭の風切り音は戦車の中まで届かない。直撃してくれよ、と思いを込めて車体を旋回、後ろから回り込んでいた巨大アリ二匹とリーダー格っぽいアシッドアントにもう一発ミサイル弾。
「うあ……奮発し過ぎかも」
 財布の中身に気分を巡らしている余裕ができていることに、あたしははたと気づいた。よしこのまま油断せず行こう。
 ワンテンポ遅れた爆風。一匹はまだ生きている。焦げて煙を体中から吹き出しながらあたしに向かって突撃してくるあたりに遺憾の意を唱えたいと思います。ガチン。
 主砲で後ろの砂山ごと吹き飛ばす。牽制になっただろうか。掃射を続けて巨大アリの接近を妨げつつ、少女へとあたしは戦車で近づく。そのまま動かないでいてくれれば、なんとかなる。
「っと」
 背後に気配を感じた。と言いたいところだが、接敵を知らせるビープ音のおかげだ。副砲を後方に旋回、しばらく待っていると間合いにアリが入る。
 そのままラインを固めて、一撃では倒せなかったもう一方のアシッドアントを射程の軸に集める。足場が脆くなっていたのか砂の道がぼこりと凹んだ。
 足止めに処方箋を。プレゼント代わりに副砲を十秒間撃ちっぱなしにして、少女の横に戦車を付ける。三時方向に主砲を向け用意を整え、派手な一発を演出する。
 三十秒ほど稼げればオッケイ。先日餞別としてもらってきた手榴弾三個をポケットに入れ、主砲のトリガーを引き絞る。ガチン。
 視界が煙りに埋まった。黄色の息苦しい空間に、細かい熱砂の粉が吹き荒れる。
「っと、お嬢ちゃん動かないでねっ」
 五秒で外に出て、焼け付くような太陽の下、砂の路を走り抜ける。距離はそう長くない。ただ時間があまりに短いから急ぐのだ。
「……お姉ちゃんは、だれ?」
 声が出せるだけでも感心に値した。呆然と泣きわめいている状態はとうに抜け出し終わっている。これなら手間をかけずに救助できそうだった。
「あたしはね、」
 煙が、薄くなっていく。まだ晴れないがそろそろアリは感覚で距離と位置を掴めるようになっているだろう。巨大アリならなんとかなりそうだが、アシッドアント相手には分が悪い。人間では、だが。
 見えた。毒々しい緑の体液が体から吹き出ている。昆虫に感情は無かった、と思うのだがどうやら極めて険悪な雰囲気らしく、憎悪に燃える眼差しをその複眼で目一杯表現してくれている。
 あたしはゆっくりと手榴弾のピンを抜いて一秒待ってから、腕に力を入れてアリの大きな目に向けて投げつけた。間を空けずにもう一個投げつけて、最後の一個を左手に持つ。
 当たったか。それとも外れたか。当たったところで致命傷にはなってくれなさそうだな、と冷静に考えた。横で爆発に驚いて固まっている少女を脇に抱え、戦車へと走り出した。予定してたのは五秒過ぎている。
 ほえ、と不思議そうにあたしの顔を見上げているのを視線で感じた。あたしは少女の顔も見ずに答えた。
 にっこりと微笑んで。彼女の不安を吹き飛ばせるように。
「よぉし、お姫様を助ける騎士ってことにしておこっか」
 右側に抱えたままの少女をなんとか背中に持ち変えた。左手に持っている最後の手榴弾のピンは口で外し、空中を漂っている砂のカーテンに向けて思いっきり投げつけた。おまけだ。
「しっかり掴まっててよっ!」
「う、うんっ」
 声が聞こえうなずいたのを背中の感触で確かめてから、あたしは一気に戦車の上部へと駆け上った。出入り口は小さいが、一応三人くらいまでなら入れる。多少狭いのはこの際我慢してもらうことにしよう。
「はい一名様、ご案内っと」
「へ」
「さあ、とっと中に入ってちょーだいな。おねーさんがアリの群れを蹴散らしてあげるから」
「えと、お姉ちゃん……」
「まっかせなさい! これでも案外名の知れたハンターなんだから」
 嘘だ。かんっぺきに無名だ。ま、この子を安心させるための方便というやつである。それに黙っていれば有名無名なんてバレやしない。
 それに、今は多少の無茶苦茶をしても、この子を無事に家まで送り届けるのが最優先事項、っと。
 少女は口のなかで噛み締めるようにつぶやいた。繰り返している。
「ハンター……」
「そ。まあそこで見てなさいって」
「う、うん」
 一秒で副砲の設定を変更。ボタンひとつで切り替えの効く機能ってのは重宝する。とにかく兵装というのは使い勝手の良さが全てだと思う。
 がちゃ、と頭上斜め右あたりで音が鳴った。ためらわず一声で引き金を引いた。カチ。
「ファイアッ!」
 雷撃のような高速連射が、未だ舞い続ける砂の世界を削っていった。
「……よし、もう少しで隊列も崩せる」
 独り言を漏らして、手早くセンサー類に目を遣る。オールグリーン。かちゃかちゃと小さなレバーを動かす。倍率を低くして広範囲を見えるようにしたスコープを覗き込み、アリの動きに注意する。あたしは息を一度吐き出して、隣の彼女に明るく聞いた。
「ね、あなたの名前は?」
 じぃっとあたしのやっていることを見続けていたらしい。少女は最初自分に向けられた問いと思わなかったか、意味を取るのに時間が掛かったようだ。慌てて答えた。
「わたし……レベッカ」
「そっか。レベッカね、うん、覚えた」
 呟きながら片手で積んである弾薬の確認。横にあるガラクタじゃどうしようもない。弾の数はあまり多くない。特殊砲弾は五種類各一発ずつか。
「あまり盤上の戦いは好きくないんだけどね、たまには頭使わないといけないかぁ」
「え?」
「ね、レベッカはチェスとか頭使うゲームとか得意?」
「すこしは」
 おずおずと答えが帰ってきた。
「じゃあ問題よ。大量にいる雑魚を一匹ずつ倒していくのと、どこにいるのか分からないクイーンをひたすら捜すの、どっちが楽?」
「……えっと、たぶんどっちも同じくらい大変じゃないかなって」
「じゃあ、そういう場合はどうすればいいかしら」
「別のところで少し待てばいいと思う」
 意外、でもない。あたしの目算と同じものが見えているらしく、なんだか嬉しい。どうやら作戦は決まりのようだ。おびき寄せの策を考える。
「オッケイ。レベッカを絶対にここから助けてあげる。だから、あたしを信じて」
「……うん」
 レベッカの返事に満足したあたしの目の前で、ざしゅ、と地面が突然に穿孔された。油断はしていなかったが、砂の中に潜んでいたのがいたらしい。
 退避しつつ、反転。少数のアリの群れに突撃する。主砲の方向は定めていない。機銃で狙いを付けているだけで、これで倒せる算段は無い。
「ま、あのひとほど綺麗にやれるとは思ってないけど――」
 興奮状態に陥っているアシッドアント一個師団。さっきからやけに統制が取れすぎている。綺麗に先行隊と後方支援で別れている以上、大将格がいるはずだった。
 ウォンテッドモンスター。クイーンではなく、キングの方だ。アダムアント。そう呼ばれる、機甲特殊進化の最果てに位置するアリがどっかから命令しているはずだ。
 狙うは一匹。引きずり出せばあとは烏合、もとい蟻合の衆。命令系統はそう複雑に絡んではいまい。
「なんとか、しなくちゃね」
 挑発というか、おびき寄せのために刹那の間隔を開けながら副砲連射、親父さんに頼んで、基本的な威力は押さえ気味にしてもらっているが、それでも充分他製品に比べれば凶悪だった。
 弾ける甲殻の隙間から緑色の酸が垂れた。しゅぅしゅぅと白い煙を立てて砂を溶かしていく。あまり近寄って欲しくないなぁ。
「レベッカ、ちょっとスコープ覗いててっ」
「へ?」
 ええと、と考え込んで一秒たたないうちに発言内容を理解してくれたらしい。やはり頭が回る子だ。
 あたしはぱっと役割を任せて戦車の運転に集中する。モニタで地形はだいたい読みとれるが、敵の詳細な位置関係だけは知りたい。猫の手も借りたい、という前時代の諺を思い出しつつ。
 混乱しつつも慌てて移動してスコープの前に座ったレベッカ。マニュアル操作の戦車の揺れにお尻を痛めているかもしれないが、とりあえず我慢してもらうとして、
「いま前方見てるから。んでそのレバーを動かすたび、時計回りに視界が回ってくからよろしくねっ」
 叫んでさっさと説明終わり。焦った声やうわわわ、という悲鳴が聞こえてくるような気がするが無視。聞こえない聞こえない。
 さすがに手が足りないから、なんとか頑張ってもらうしかないのだ。スマートに助けるくらいのベテランじゃないあたしの精一杯、ということである。
「お姉ちゃん、前から大きなアリがこっち向かってくるっ」
「了解」
「わわわっ!?」
 転身して、砂に広い轍を付けて回る。ぐるりと一週したころには他の隊と合流したアリさん十数匹のお出ましである。
 まだか。
「あのさ、レベッカ。そんなかに形違うヤツいない?」
「……どんな風なの?」
「そうねえ、たしか羽つきだったよーな」
「たぶんあの集団の一番後ろにいるのがそうだと思う」
「お。なかなか早かったねえ」
 あたしはおちゃらけた口調でレベッカに話を向けてみた。少しばかり冷や汗かいているかもしれないが、一応隠しているつもりだ。
 一方レベッカのほうは恐怖を克服してしまったのか、かなり冷静だ。むしろ無理矢理押さえ込んでいるうちに別の感情に動かされてるように見えていた。
「……お姉ちゃん」
 だが、不安な声だった。とうとう堰を切ってしまったか、感情を止めておく限界量を超えたらしい。震える声。それは泣きそうな、年相応の少女の声だ。レベッカは怯えている。ここでようやく、死の恐怖が顕現してしまったのだ。
 世界は常に危険にさらされているとしても。誰しもが肌で感じ取った死の匂いには、決して慣れることはない。それは、慣れてはいけないものだ。
 人間は、その恐怖を絶望と呼ぶのだから。
「お姉ちゃん、あれを、倒せるの?」
 哀れなほどに人間は弱い。素手では怪物の一匹にも抗しえない。世界はどうしようもなく厳しくて、悲しいほどに強い。人間がここで生きることは、渇きでひび割れた薄氷の上を歩くことに等しい。
 レベッカは涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。ここで終わりと思ってしまうほどに、怪物は恐怖そのものの姿をしていた。
 遺伝子異常、奇妙な進化形態、機械化されたモノ共。崩壊による世界の変化は、人間を排除するために在るようだった。アリの巨大化などは顕著な例だ。あんな遺伝子異常は本来例外であって、普遍化するはずがない。
 また、水が無くても生きていける半生物半機械など、あり得ない生態系なのだ。それでも存在していることに疑問を感じはしないだろうか。
 とすればこれらは皆、世界の意思ということになる。人間を消して、はるか原始の時代に戻そうとでもいうのか。崩壊の原因を創った、業を背負った人間。あたしもまた、人間なのだ。
 だからどうした。
 くだらない。そんなこと、どうでもいい。
 あたしもレベッカも、今を生きている。
 過去は今と未来のための道になるのであって、決して足枷になってはならない。あたしは前に歩くための足を、戦うための力を持っている。
「レベッカ、信じてくれるっていったよね?」
「……お姉ちゃん」
「約束。あたしを信じて、泣かずに見てなさいな」
 考えて。
 少しの時間、必死にレベッカは考えて。それからゆっくりと首を縦に振る。しっかりとあたしを見つめて笑いかける、そんな可愛い顔があった。
「うんっ」
 すぅ、と息を吸い込んで。
 あたしは眼前に迫ってきたアリたちの足音を聞く気分で戦車を前に進ませた。砂漠の戦場でモンスターに囲まれるのは何も初めてじゃないのだ。これでもいつかの最高のハンターの動きを、ちゃんと目に焼き付けていた。少しくらい真似したところで文句はあるまい。
 というか、あのタイミングが自分に出来るのかどうかの方が不安だ。
「じゃ、行くわよ」
 あたしは集中してアリの向かってくる進路を計算した。すれ違うことにはならない。アリは全部が全部あたしの戦車へと狙いを定めているのだ。
 だから引き寄せる。ぎりぎりまで引きつけてから全力で一方向に誘導する。アリが体当たりを仕掛けてきた。車内がひどく揺れた。装甲が一部砕けたのを確認。舌打ち一回だけで、あたしはすぐに苛つきを振り払う。
 あと少し。射程範囲に九割方が引っかかるまで。
 入った。
「爆裂弾発射、続けてナパーム弾を後方に射出。副砲掃射後に特殊砲弾三発連続発射!」
 トリガーを引いた。
 砂と煙と爆炎で暗く曇った視界を、今度は勘で主砲を撃ち抜く。ナパーム弾の影響で、焦げきった砂上の盤面は黒に染まっている。
 チェックメイトまではまだ一手残っていた。アダムアント相手にはまだ足りない。
 機銃を乱射してアリの死骸を砕きつつ、砂に隠れたらしき蟻の王を倒すために狙いを定めた。アシッドアントの緑の体液が弾け飛んだおかげで、戦車の駆動部分が軋んだ音を出している。
 きぃ、と鉄の重たい感触に触れる想いで、あたしは引き金に指をかけた。がちりと固いトリガーを引く瞬間を待つ。
 それまでは、ゆっくりで。
 それからが、早い。
 右手はトリガーを引く体勢のまま。副砲連射で砂を巻き上げ、ペダルで戦車の動きを変則にする。砂の弾ける鈍い音。アダムアントの頭部がぎょろりとこちらを向いた気がする。
 ガチンガチンガチンッ。位置を予測して主砲三連射してさらに接近していく。流れを構成して、格闘戦でもやっているような心持ちで副砲の射層を固定、ほぼ密接距離までそのまま撃ち続けて横を通り抜ける。手負いのアダムアントが背後から特攻してくる前に機銃の設定変更、広範囲への放射状乱射して牽制、主砲旋回連打。直撃させているうちに再度接近、徹底的に撃ち尽くして創ったチャンスを形にするためには、甲殻部分の薄い胴体と頭部の狭間に存在する、その首筋を吹き飛ばす。
 精密に狙いを付け、攻撃の瞬間を待つ。
「お姉ちゃん、横っ!?」
「むぅっ、……っと、わぁっ」
 トリガーから手を離し、一端、針路を逸れる。レベッカの声に助けられたが、突然アシッドアントの生き残りが出てきたらしい。副砲を向け五秒間の集中砲火でとどめを刺す。
「やっぱ綺麗には行かないかぁ。なんとかタイミングを合わせないと」
「……あ」
「ん? どしたのレベッカ、なんか思いついたみたいな顔して」
「う、うん」
 ぽつりとレベッカが単語をこぼした。あたしはにんまりと笑って、彼女の頭を片手で撫でた。
「それ、やってみましょ!」
 信じるのは自分の射撃の腕と、親父さんの傑作と、助けた少女の意見の三つ。
 さっきと同じようにタイミングを待つ。さすがに完璧な技術なんて持っていないから、多少せこい手を使うのはアリだと思う。いや冗談を言ってるわけじゃないけど。
「グッド」
 成功。
 副砲をひたすらアダムアントの顔面に当て続けているうちに、突撃してきた。怒りに我を忘れているらしく、さきほどのような駆け引きはいらなかった。
「あたしね、狙いを定める度に微妙に角度を変えて逃げるなんて無駄に知能を持ってるアリって、だいっ嫌いなの」
「……お姉ちゃん、ふつう、そんなアリが好きなひとはいないと思う」
「それもそーだね」
 くすくすと笑うレベッカ。あたしは気楽にトリガーに手をかけた。レベッカが覗き込んでいた鏡面利用のスコープに映る影を叫ぶ。
「来たっ!」
 主砲を前方に向け、待った。
 あたしは小さくつばを飲み込み、緊張なんてしてないふうを装い、手に握りしめた冷や汗を拭うこともせず、胸の激しくなっている鼓動を必死に押さえ、前を見つめた。
 あたしを見つめるレベッカの視線を感じる。
 真っ直ぐに前を見たまま、息を吸い込んだ。微笑んで、トリガーにある指を静かに引き絞る。ガチン。
 アダムアントの首に直撃したはずだった。レベッカはあたしを見ていて、敵を直接は見ていない。
 そして、主砲発射の反動だけで、他の衝撃は一切来なかった。
「終わった……」
 言葉を切って、レベッカがからからになった喉を鳴らす。もう一度、今度は独り言のようにではなく、あたしに向かっての問いかけだった。
「……終わったんだよね?」
「たぶんだけど」
「ほんとに、勝っちゃったんだ……」
 いささか呆然と。
「だから、いったでしょ?」
 うん、と小さく頷いてから、レベッカはあたしに笑顔を見せた。
「お姉ちゃん、すごいっ!」
「とーぜん」
 といいながら、あたしは手の甲で額の汗を拭った。熱さか、冷や汗かは言うまでもない。まだ胸の激しい鼓動は収まる様子がない。その音が跳ねているのが、あたし自身に聞こえるほどだった。
「ふぃー、疲れたぁっ」
 大きく安堵の息を吐き出して、証拠映像だけ撮っておく。そのまま戦車を走り出させた。砂漠の路の悪さにレベッカがどれだけ耐えられるのかは気になったが、とにかく近くの街まで送るのが先決だ。
「ねっ、お姉ちゃんはどうして助けてくれたの?」
「……へ? どーしてって?」
「だって、わたしを助けてもお金とかもらえないのに」
 心底不思議そうな表情だった。
「なるほどぉ、そーゆーこと考えちゃうくらい冴えた頭なわけだ」
 レベッカのほっぺたを軽くつねった。
「痛いよぅ」
 可愛かったのでもう一回ぷにぷにっと。
「いたいってばーっ」
 実際に痛がっているわけじゃない。単なるふざけあいだ。だけど。
「レベッカ、ひとつ聞くわね。……痛いの好き?」
「きらいだけど……」
「じゃあ、誰かが痛がってたら助けたいと思う?」
「うん。……あ」
 レベッカは即答した。あたしはぱっと手をどけて、彼女の目線に自分の顔を合わせた。目を覗き込んで、よし、と抱きしめた。車内は狭すぎたおかげでバランス崩して倒れそうになったけど気にしないことにする。
 言いたいことは伝わってくれたようだ。恥ずかしそうに照れているレベッカの体を離し、じっと瞳を見つめて告げる。
「それでいいの。単純なことだけど、あたしも自分のやりたいよーにやってるだけだしね」
「……うん」
「さぁて、じゃあさっさと街に戻るとしましょう」
「あ、あのっ。……お姉ちゃん」
「なに?」
 はにかむような、あどけないレベッカの顔。ほっとしたのか、目に少しだけ浮かぶ雫も見える。レベッカは、昔あたしが浮かべたような憧れの、あるいは宝物を見つけたような嬉しそうな表情で。
 にっこりと笑って、あたしに言う。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 なんだか、あのひとの気持ちが少しだけわかった気がした。
 その言葉が、とてもとても嬉しかったのだ。



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