酒場に二人の男がいた。いつから始まったのか、何が原因だったのかはもう憶えていない。
 赤ら顔を突きつけ合わせ酒を片手に罵り合いを続けている。言葉の応酬の果ては喉の渇きだ。両者は共に無言でグラスを突きだした。
 安酒を注いでやった店員の女性は呆れた顔でどちらにともなく告げる。
「ホント、莫迦ねえ、男って」
 呟き声が他の客の耳にも届く。店内は水を打ったかのごとく静けさに覆われる。
 髭面のマスターは当初無関心な目で喧嘩の様子を瞳に映していたが、手にしたグラスを磨く布はすり切れてぼろぼろだ。それでも拭くことをやめないで事態の推移を見守る。いつしか、口元にはからかうような笑みが浮かんでいた。
 一人目の男は長身で痩躯。ぎらぎらと輝く目の奥の光が妙に忘れられない特徴となっている。
 二人目の男は中背ながら筋骨隆々として屈強。澄ました顔には力強い皺が刻まれている。
 マスターは苦笑を浮かべた。
「なあ、お前ら」
 一人目の男は無言でマスターを睥睨する。二人目の男は多少の余裕を持って顔を向けた。
「よかったら聞かせてくれないか。さっきから気になって仕様がない」
 無論、両名の言い争いの大元の原因である。
 一人目の男は沈黙を守る。二人目の男はしばらく口を閉ざしていたが、一度語り始めると滑らかにしゃべり出した。
「戦車の話さ」
 マスターの隣に戻ってきた女性は先程までかすかに混じっていた嘲笑を引っ込め、興味の色を見せ始めた。マスターは男達が口にしたのとは別のグラスを二つ取り出すと、中に火酒を静かに注いだ。おごりであることを理解した二人目の男は破顔した。人好きのする良い笑顔だった。一人目の男はまだ残っていた自分の酒を飲み干すと、文句も礼も口に出さずにグラスを受け取った。しかつめらしい顔のままだった。
 男の語った話とはこうだった。酒場に屯していた誰もが口を挟まず、耳を傾けていた。

 ――そう、戦車の話さ。戦車の話だ。
 おれとこいつが一緒に手に入れ、長いあいだ一緒に旅をしてきた戦車の話をするんだぜ。
 聞きたいかい? じゃあ、思う存分聞いてくれ。どうせこんな話をしたこともすることも二度とねえだろうからさ。ここにいる連中がどう思うかなんて知らねえよ。おれたちは何の因果かハンターだ。賞金首を狙ってこの町に来た。分かってるよ。そんな顔じゃねえし、別に正義感ぶってられるほど格好良くも生きてねえ。汚え仕事もいっぱいやった。お前らだってそうだろ。口に出さない。他人の事情は詮索しない。それだけの話だ。ここにいるやつらはみんな同じ穴の狢じゃねえか。そうだろ。別に何も言わなくたって分かる。生きるってことは綺麗事じゃ片づかねえよ。簡単なことじゃねえ。生易しいことじゃねえんだ。
 でもよ。ハンターなんだぜ。おれたちはそうやって生きることができた。死なずに生きてきた。それだけは誇ってもいいと思うんだ。
 でっけえ怪物を殺して、力を持ってない女子供を守ってやるんだ。それができるようになったんだ。素手じゃ何も出来ないおれたちには武器があった。違う。武器を手に入れたんだ。それが戦車さ。こいつを手に入れたのは偶然なんてもんじゃねえよ。運命。そう、運命ってやつだ。おれはそれを信じてる。色んな死に方したやつらが周りにいっぱいいて、昨日会ったやつが今日死んでるのは運命だなんて思わねえけど、でも、出会うべくして出会ったってことはやっぱり運命なんだよ。なあ、そうだろ。違うか。
 戦車の話。ああ、戦車の話だな。
 おれがこいつと出会ったとき、まだその戦車はおれたちの手の中には無かった。だってお前、考えてもみろ。どこの誰が戦車をそう簡単に手に入れられるよ。周りは荒野。どこまでいっても荒野ばっかり。少し進めば人跡未踏の緑の監獄。少し戻れば草も生えない砂漠の道。町の外には食い物もねえ。町の中はどこを見回してもクソとクズとゴミばっかりだ。おれたちも含めてこの世界はがらくたしかねえ。がれきの世界よ。分かってるんだろうが。認めろよ。もう人間が支配者だった時代は終わったんだ。とっくに終わっちまったんだ。
 でもよ。
 怪物がいる。クソよりも汚えやつらがいる。クズよりも価値のねえがらくたよりもタチの悪ぃゴミ共がうようよしてやがる。そんな世界でよ、どうしようもないクズに立ち向かうために良いやつらはみんな武器を欲しがって、そして、戦車なんか出回ってこねえ。どこにも売ってねえし、精々がレンタルで借りるだけだ。本当に必要な誰かのために貸してくださってるのはありがてえよ。そりゃありがてえよ。だがな、それはおれたちが欲しい武器じゃねえんだ。自分の力で戦うための武器とは全然別物なんだ。分かるかお前ぇ、分かるかよ。分かってたまるかってんだ。
 ハンターがなんで戦車を欲しがるか知ってるか。強いからだ。本気で強くて、どんな敵にも恐れずに立ち向かってゆく力を与えてくれるからだ。それは戦車がハンター自身の力だからだ。メカニック共に聞いてみりゃ一発で分かる。どこのハンターも自分の戦車を愛してるもんだ。戦車を信じてるに決まってらぁ。そうでなくてどうして自分の命をこんな鉄の塊に預けられる。
 手に入れたのが偶然だったのは、まあ、だいたいのハンターと同じってことだ。どこかに放置されていたやつもあれば、崩壊前の施設に隠されてるものもあるって話だ。おれたちが手に入れたのはちょっと違う。
 最初にあったのは、設計図だけだった。それも大した出来じゃない。動けばマシって程度だ。戦車って呼ぶのも烏滸がましい、つまんねえ形だけの夢のおがくずでしかなかった。
 そのはずだったんだよ。ホントはな。
 それが形になっちまった。おれもこいつも驚いたよ。驚かないわけがなかった。おれたちが旅をしながら食い扶持を稼いでいる道中、へんてこな爺に会ったんだ。本当に変なじいさんだった。ことあればおれたちのことを悪し様に言うばっかりだしよ。でもそれが妙に耳に心地良い、憎めないじいさんだったんだ。
 じいさんはおれたちに言ったんだよ。鉄くずを集めてくれば、戦車を作ってくれるってな。初めは信じてなかったおれも、こいつが戦車に憧れていたことを知っていたから、つきやってやるつもりになった。でも戦車に必要なだけの鉄くずなんてそう簡単に手に入るもんじゃねえ。そこらに落ちてる粗悪品じゃだめなんだとよ。そこそこ純度の高い鋼鉄だとか、合金になる材料だとか、そういうもんをわけもわからんままに集めさせられた。おれたちはやがて諦めかけるようになった。たまたま路銀がそれなりにあったときに声をかけられたもんだから舞い上がっちまったけど、鉄くずを集めるのは一ヶ月やそこらでは終わりそうになかった。少しずつ懐も寒くなっていったし、おれたちも一カ所に足止めをされていることに飽きちまってた。
 結局、じいさんに頼み込んでもっと早く作れないかと提案したんだ。そこにいて見果てぬ夢を見続けるよりマシかもしれねえって思いこんでな。だが、じいさんは頑として首を縦に振らなかった。ちゃんと作るから。君たちの満足行くものを作るから。そんなこと一言も言わねえくせに、おれたちにはなんでか分かっちまったんだ。じいさんが本気で良い戦車を作ろうとしてくれてるってことがさ。
 で、こいつはそれに絆された。おれはそれにつきあった。一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、近くで賞金首が別のハンターに奪われたことを知ったころ、戦車は形になった。格好悪くなかった。全然、格好悪くなかった。
 おれたちはじいさんに礼を言って、別れた。それがもう十年も前のことだ。
 おれとこいつは戦車を駆った。荒野を駆け抜けて、色んな化け物、怪物、モンスター共を駆逐し続けた。たまに襲いかかってくる人間もいたよ。大抵、目の色がどっかおかしくなってやがった。時代は進んでいた。やばい方向にさ。どっから狂っちまったんだろうな。世界中、まともなやつらはガキか、そうでなければクズから守られてる連中だけだった。守ってるのはハンターだったり、その町のリーダーやってたり、あるいは古い職人だったりした。どの連中でも同じだった。狂ってる中にもハンターはいたし、町の中心にいた人間も、研究者ってやつや、女も、子供も、たくさんいた。どっちでも同じだった。変わりゃしなかった。
 だから人間を守ったり、人間を殺したりしながら、必死でこの世界を生きてきた。おれたちがハンターになったのはさ、ただ生きるためじゃなくて、上手く生きるためでもなくて、間違えながらでも少しでも良いやつとか、何にも知らねえガキだとか、可愛い女とかを、この手で、おれたちの力で守りたかったからなんだよ。あの戦車がなかったらとっくに死んでたはずだ。それは分かりすぎるくらい分かり切ったことなんだ。
 おれたちはこの十年間を駆け足で走りつづけてきた。十年間だぞ。十年間。……たった十年でしかねえけど、それでもおれたちは立ち止まってなんかいなかった。諦めたり、絶望したりしなきゃいけなかったのかもしんねえけど、そんなのに負けたくなくて、負けないで、ずっと、ずっとこの足は動いて、動いて、動き続けていたんだ。前に。前に。
 ただ、こだわってただけかもしれねえ。おれにはよく分かんねえ。頭良くねえからさ、もっと上手く色んなことをできたのかもしれねえよな。望む通りにあらゆることを変えていけたのかも、しれねえんだ。でもよ、こうやって生きてきちまったんだ。少しでも世界が良い方に変わってくれることを願いながら。諦めた方が楽なのは分かってんのに、ちっとも諦めきれねえで、がむしゃらに戦車を走らせ続けてんだよ。
 だけどよ、最近、むなしくなっちまった。話の分かるやつはみんなすぐに死んじまった。クズ相手に立ち上がっていった格好良いやつらはみんないなくなっちまった。残ったのはこいつと戦車だけだ。もう残ってんのは思い出だけだ。美化された記憶しかねえ。あいつらはいねえ。昔は戻ってこねえ。そんなの充分知ってんだよ。死んだら生き返ってこねえんだよ。未来ってなんだよ。綺麗なもんか。素晴らしいもんか。知らねえんだ。分からねえんだ。そんなもんに期待できるほど優しいもんに巡り会ってきてねえんだ。
 そろそろ立ち止まっておけばよかったのか。そんでさ、もう大事な思い出だけ抱きかかえて生きていくしかねえのかな。
 すげえ戦車がおれたちのもとにはあったんだぜ。
 おれ、そんな過去形で語りたくねえよ。でもよ、その戦車もさあ。もうすぐ死んじまうんだってよ。もうすぐ、ぶっ壊れちまうんだってよ。怖えんだよ。ぶっ壊れちまったらもう二度と直らねえんだとよ。で、壊れたら次は新しく生まれ変わるんだってよ。笑っちまうよ。笑っちまうってばよ、そんなの、そんなのまるで別のもんじゃねえか。鉄に戻して形が変わってはい出来上がり、そんな簡単なもんじゃねえんだよ、おれが……おれたちがずっと一緒に旅してきたあの戦車はよ、一緒に血を流して、一緒に戦って、そうやって長年連れ添ってきた仲間じゃねえのかよ、なあ!
 なあ、どうしたらいい。
 教えてくれよ。
 どうしたらおれは諦められるんだよ。
 未来が素晴らしいだとか、そんな言葉は聞きたくねえんだ。みんないつか死ぬし、どんなものもぶっ壊れる。何もかも変わり続けていくくせに、それが良くなっていくだなんて保証は何一つとしてねえんだ。おれは見届けられねえんだ。明日のために、一年後のために、何十年後かのために、おれは色んなやつらを守ってきたつもりだったけど、未来のことをどうして信じてやればいいんだ。
 綺麗な目をしたガキによ、大切なものはいつかぶっ壊れるから大切にしたら辛くなるなんておれは言えねえんだよ。人間はいつか死ぬけど好き勝手に生きるより誰かを助けることを頑張りましょうなんて、口が裂けても言葉に出来るわけがねえ。
 どうやったら今そこにあるものを信じてやれるんだ。なくなっちまうもんを、どうやって大事にすればいいんだ。分かんなくなっちまった。おれ、どうすればいいんだよ。
 教えてくれよ……なあ……教えてくれよ。


 最後の方になると最早言葉になっていない部分も多くなっていた。顔を伏せて叫んでいる。嗚咽混じりの言葉に、興味本位で聞いていた酒場の若者達は無言でテーブルに目を落とす。マスターはこの手の話を聞き慣れているのか、それほど動じた様子はなかった。その脇でつまみを作りながら耳を傾けていた女性は真摯な瞳で男へと視線を向けている。多少潤んだ瞳が彼女の受けた感情を物語っている。
 一人目の男だけが変わらずしんとした空気を纏い、その場で火酒を煽る。喉が焼けないのかと心配になったマスターが口を開こうとするのを目で制する。
 しばらくこの酒場には似合わない静謐とした雰囲気が全員を飲み込んでいた。かと思うと、一人目の男が不意に立ち上がり、さっきまで語っていた男の胸ぐらを掴み、首を絞めるほど強く捻り上げた。
 目の中の炎は衰えるどころか輝きを増している。
 その光は憎しみでもなければ、共感や同情といったものでもない。似ているが一概には怒りとも言い切れず、では何なのかと言えば、それは確信と呼ぶのが最も相応しかろうと思われる。
 二人目の男が身に纏っていたのが疲労と絶望の色であったのなら、一人目の男が内側から放出しているのは強い意志の眩しさであった。マスターは目を見張った。語っていた男の目の中にはいつしか闇が映り込み、他の物を黒で染め上げていたと思っていたのだ。だが、無理矢理に自らの顔を見せつけた一人目の男の強引なやり口によって彼は他の人間の姿を認めた。その様子は次第に息を吹き返していくかのようだった。
 手を離すと尻から床に落ちた。痛そうな音がしたが、立ち上がろうとはしなかった。
 一人目の男は見下ろしながら、閉じていた口を開いた。
 寡黙そうな男の声は、それ相応に、低く、そして重かった。
「じゃあお前は生きてるやつを知らないのか」
 二人目の男は悔しそうに見上げた。
「どこの誰が死ぬために生きてるんだ。生き続けて、自分の仕事を全うしたやつに対して、お前は駄々をこねてそいつの生きてきた今までを殺すのか」
 マスターは口を挟まない。雰囲気に圧倒された他の客達は声を出すことが出来ずにいる。女性はただ一人その場所から動くことができたが、かといって邪魔をするほど無粋ではなかった。
「名前が異なっても、本質――魂は同じだ。そりゃ多少は変わっているかも知れないがな。些細なことだろ。おれたちはそいつを愛していた。そいつはおれたちのために生まれ変わる。それ以外に何が必要だ? 一続きの優しい夢を見たいなら寝てろ。そのまま一生起きずに死ねばお前は幸せか」
 誰も何も言わない。テーブルの上に置かれた空になったグラスは、店内の灯りを反射して、そこに映った男たちの顔を歪ませている。透明な雫が滑り落ちてゆく。床に黒く染みこむのを誰も見ていない。
「おれたちが仲間だと思っていたやつがそう簡単に変わるとでも思っているのか。おれたちの戦車だぞ。それすら信じられないようなら最初からハンターになんかなるなよ。くだらなくて途方もない夢を見て、それを現実に信じているから、おれたちは見ず知らずの他人を守って、とんでもねえ怪物共を相手にして、そうやって生きてるんじゃねえのか」
 二人目の男は拳に力を入れた。立ち上がるときに手を貸すが、一人目の男の差し出した手は強い勢いではね除けられる。その手の痛みに男は嬉しそうに頬を緩めた。
「昔だろうが、未来だろうが、おれたちが触れているのは今でしかねえよ。そうだろ。そして今、信じてやらねえでどうすんだよ。おれたちが信じてやらねえで、どうしてその魂が生き続けていられるよ!」
 そこまで言い尽くすと、もう口を開くまいとばかりに固く閉ざす。
 一人目の男にグラスが差し出される。マスターはにやりと笑った。男は苦笑した。言葉を返す代わりに、そのグラスを力強く受け取って、一気に空にした。酒量の限界はとうに超していたのだろう。そしてぐにゃりと膝からくずおれた。慌てて肩を貸す二人目の男の目に滲んでいるものを誰も指摘しない。左が塞がっている状態で、右手にはグラスを持ったまま。
 テーブルにグラスを置く前に、女性店員が二十は年上の男の目元を拭ってやる。
 女性は驚いているその男と、酔いつぶれている男とを交互に見て、
「……まったくもう、格好良い莫迦ばっかねえ」
 と呟き、からからと笑ったのだった。

(了)


戻る
inserted by FC2 system