「ライバル」 
 
 
 その日は、めずらしく……本当にめずらしく久々の休みになった。
 時間が空くことはあっても、まるまる一日仕事をしない日は無かった。
 まあ、最近は休みがほとんどなくて、そろそろ息抜きが欲しかったのだけれど。
 売れれば売れるほど、こんな風に休む暇がないのは自明の理だけれど。
 せめて休みになるのなら、もっとまともな休みが欲しかった、と考えてしまう。
 いきなり休みになられても、こういう形だと、少し困ってしまった。
 兄――つまり、緒方プロダクション社長にして、業界でも屈指のプロデューサー、緒方英二。
 その兄は、昨日の深夜、唐突に仕事をオフにすることを告げてきた。

「兄さん……勝手に仕事をキャンセルするなんて何考えてるのっ!?」
 さすがに、叫ばずにはいられなかった。
 いくら敏腕とはいえ、そうそう我が侭を通していいというものでもない。
 信用は、この仕事には大きく関わる。
 それを充分に知っているはずの兄だからこそ、叫んだ。
「んー?」
 電話越しだったが、笑っているのは明らかだった。
 本人はふざけているつもりはないのだろう。
 ただ、悪巧みが好きなだけだ。
 真剣に遊んでいるだけなのだ。
 その、面白ければ全て良し、という態度は天才だから許されているに過ぎない。
 自分の才能を自覚している辺り、余計にたちが悪い。
「聞いてるの? だいたい明日の撮影は兄さんが無理に入れたんでしょうッ!?」
 口調を強くする私の声を聞いているのかいないのか。
 わざわざ電話を選んだのは、こうなることを予想していたに違いない。
 近くにいたら、確実に蹴っていたところだ。
「ああ、聞いてるよ」
 怒鳴り返すわけでもなく、静かに言ってくる。
 ……音からすると、どうやら事務所にいるらしい。
 最近、隠れてこそこそと動き回っていたみたいだから、少し気をつけないと。
 牽制も含めて、そのことを指摘してみる。
「で、事務所でなにをやってるの? 兄さんがこんな時間にそこにいる必要性は全く無いと思うんだけど?」
 険のある声で言う。
 はぐらかされるのは判っているけど、多少は効果があるかもしれない。
 淡い期待だとは思ったが、このひと相手に手段を選んではいられない。
「いやな、ちょっとばかし、やらなきゃいけないことが増えてしまったのさ」
「具体的には?」
 変な方向に話を逸らされないように、間を開けずに聞く。
「何と言うか……。そうだな、あれだ。うん」
 一人で納得している兄さん。
「結局……なに?」
 冷たく聞く。
 このくらいでないと、あのひとは絶対に話さないから。
 それでも、答えは嘘くさかった。
「……ああ、現役の女子高校生とお話をしてたんだよ」
「ふーん」
 一応相づちを打つ。
「で、本当のところは?」
 すぐさま訊く。
「いや、あのな……本当だよ?」
「で、本当のところは?」
「真実を言った後に、さらなる真実を求められてもな……」
「で、本当のところは?」
 三度目。
 やたら情けない声で答えてくる兄さん。
「本当だってば」
「……判ったわ」
 多少の理解の色を含ませておく。
 その言葉に兄さんは安堵の息を漏らした。
「やっと判ってくれたか」
 一瞬、逡巡したが、まあこのくらいの言葉は兄さん相手ならいいだろう。
「兄さんがそういう人だなんて……全く知らなかったわ。妹失格ね」
「は?」
「あ、一応言っておくけど……それは犯罪よ? 知らないわけ無い、と思うけど」
「ちょっ、ちょっと待て理奈」
 かなり慌てている。
 これはこれで面白い。
「知らないなら、それはそれでダメ人間だから……」
「おいおい」
 困った声。
 面白いので、もう少しからかってみよう。
「あとは……その女子高生に確認取った? 取ってないなら、もっと罪が重くなるわよ?」
「……あのな」
 いいかげん、からかわれているのに気づいたのか、呆れたように呟く。
 実際のところ変人ではあるが、それほど悪人ではない……はずだから大丈夫だと思うが。
 まあ、いい薬だろう。
 いい加減、もう眠かったので言うべきことだけ言って切ってやろう。
 少しだけ優しく忠告してみた。
「兄さん、悪巧みもいいけど、あんまり過ぎると周囲の人間から避けられるわよ?」
「それは、判ってるさ」
 気楽に返してくる。
 こっちの心配など全く気付きもしない。
「ならいいけど……。なるべくなら私が兄さんを信用しているうちに教えてちょうだい」
 沈黙。
 無言の時間が続く。
 きっと、苦笑しているのだろう。
 間を置いて、口を開いたのは兄さんの方だった。
 最後に、頼むような口調で言葉を伝えてきた。
「明日、事務所のほうに……そうだな、十時前に顔を出してくれ」
「それが、悪巧みの中身?」
「人聞きが悪いな……俺はひとを驚かせるのが好きなんだよ。じゃあな、遅れるなよ」
 それだけ言って、切れた。
 まあ、秘密の中身はほとんど聞き出せなかったが。上出来だろう。

 私は電話を置いて、雪のように純白のベッドに飛び込んだ。


 次の日。
 正確には、今日の深夜に電話が鳴ってから約八時間。
 仕事は兄さんが無理にキャンセルしてしまったので、当然だが、無い。
 気の抜けた一日になりそうな、緊張の薄れた寝起きになった。
 起きてから顔を洗って、軽い朝食。
 ファンにはきっと、朝食にはトーストとコーヒーしか食べない。
 ……というイメージがあるんだろうなぁなんて思ったりする。
 想像と実際とは、齟齬があって当然なのだから。
 と言うことで、実は、ちゃんと白米も食べている。
 スクランブルエッグを手際よく作って、昨日の残りのおかずを付け加える。
 若干少なめに盛りつけて、いただきますと一人つぶやく。
 海苔を一枚付けてみた。
 なかなかおいしい朝ご飯だった。
 
 日本食なのか洋食なのか、いまいち判断が付かなかった。
 でもまあ、おいしく作れればそれでいいと思う。
 恋人なんて、作るつもりのないからこその怠けなのだろうか。
 考えつつ、洗い物を少しだけ適当にやって、水を切る。


 それから事務所へと向かう。
 ……十時前、まだ大丈夫かな。
 ちょっと時計を気にしながら、歩いていく。
 軽い変装くらいはしているので、まわりは意外に気付かない。
 芸能人とは言っても、自然にしていればそうそう見つからないのだ。
 注意深く見られると、あっさりと発見されるが。
 しばし、街を見回しながら歩く。
 不意に目に飛び込んできたガラスのショーケース。
 可愛い服があった。
 何処のブランドだろう、とそれを覗き込んでみる。
 
 ごかっ!

 まず日常ではあんまり聞いたことのない激突音。
 鈍い音を響かせて、誰かと頭をぶつけてしまった。
「痛たた……」
 相手が声を漏らす。
 こっちも痛い。
 とりあえず、ぶつかった相手を見てみる。

 ……どこにでもいるような。
 それでも可愛い、女の子だった。

 少女は、頭を抑えて少し涙目になっている。
 ちら、とこちらを上目づかいで見てくる。
「大丈夫?」
 声を掛けると、すごい勢いで答えた。
「ハイッ、大丈夫ですっ」
 びしっ、と敬礼するように立ち上がる。
 ふらふらとしていた。
「ええと、……ああ」
 何か言おうとして、止めた。
 何を言えばいいのか思いつかない。
「あの、そちらは……?」
 心配そうに声をかけてくる彼女に、軽く笑みで答える。
「大丈夫よ」
 実際は、かなり痛かったけど。
 人生、強がりも必要である。
「あ、あのっ、急いでいるんで……すみませんっ」
 ぺこり、と頭を下げて何処かへと走り去っていく。
 なんか、転びそうな気がした。

 こけっ。

 あ、転んだ。
 予想通り、とでも言えばいいのだろうか。
 そのまま立ち上がって、遠くに消えていく。

 しかし、道の端で何故ぶつかったのだろう。
 横と目の前を見てみる。
「あ……」
 そうか、彼女もあの服を見ていたんだ。
 なんとなく、彼女と同じものに目を奪われたことが、嬉しかった。

 それからいくらか近道して、時間に間に合うように歩く。
 事務所に辿り着いた。
 一応、サングラスに帽子……ほど古典ではないけど、軽い変装くらいはしてある。
 すぐに、いつもの自分に戻してドアを開けた。
 薄暗い事務所に、開いた部分から光が差し込んでいる。
 ライトに照らされたようなこちらを見て、中にいる人間が気付く。
 聞き慣れた声だった。
「……ん? なんだ、理奈か」
 目を細めて、そんな台詞を言ってくる。
 期待外れとでも言いたそうな顔だ。
「なんだ、っていうのはどういう意味?」
「気にするなって」
 そんなやりとりを交わしながらも、兄さんは時計を見ている。
「どうかしたの?」
「お前のほうが先に来るとは思わなかったからな……」
「気になる言い方ね……まあいいわ。で、なにを企んでいたの?」
 珍しく、兄さんがため息を吐いた。
「これじゃ、あんまり驚かせられないからな……」
 ふぅ、とため息を重ねる。
 諦めたような兄さんの顔。
「仕方ない」
「観念した?」
 笑いながら言うと、素直に頷く兄さん。
「ああ」
 悔しそうな顔。
 余程、惜しかったに違いない。
 兄さんは、静かに口を開いた。
「実はな。新人をデビューさせようと思っているんだ」
「へえ」
「今日はその娘をお前に会わせて、衝撃的な出逢いにしてやろうと思っていたんだが……」
 はぁ、やれやれと肩をすくめる。
 どことなく大げさな、演技のような表現。
「運命のライバル、その出会いの瞬間……って感じを期待してお膳立てしたのになぁ」
「……全く」
 そんなことだろうとは思った。
 兄さんが自分から動くんだから、よっぽど才能があるのだろう。
 興味はない、と言えば嘘になる。
「折角、嘘の仕事を入れて、今日は確実にオフになるように仕向けたのにな」
「ふぅん」
 気のない相槌をうってから、気づいた。

「……なんですって?」

 静かな低い声。
 それを気にもせず、兄は笑って答えた。
「だから……元から嘘だったんだってば」
「兄さんっ!!」 

 ちょっぴり叫んだ。

 そのときだった。
「すみません〜っ! 道に迷いましたっ」
 慌てて入ってくる少女。
 少女と言っても差し支えない、普通さ。
 判る。
 間違いなく、彼女は素人だ。
「やっと来たか……」
 兄さんは立ち上がって、彼女のほうに歩いていく。
「紹介しよう。彼女は森川由綺。今度うちからデビューさせる期待の新人だ」
 走り回っていたのか、何度も転んだのか。
 深呼吸をしてから、緊張した面持ちでこちらを見て挨拶をしてきた。
「初めまして。森川由綺と言います。よろしくお願いしま……」
 見ていて面白いほど、固まった。
 彼女はこちらを見て、いきなり頭を下げてきた。
「さっきは済みませんでしたっ」
「……ああ、なるほど……」
 何故だか判らないけれど、やけに納得した。
 急いでいたのは、私より先にここに着くためで。
 彼女が、緒方英二がプロデュースする新人であるということに。

 楽しくて。
 一日のオフだったから、一日中話していた。
 ここまで人と話したのは、久しぶりかもしれない。
 軽く威嚇して、兄さんを締め出しておく。
 兄さんは寂しそうな顔をしていたが、当然の報いだと思う。
「ふぅん。そうなのかぁ……」
「うん。それでね……」
 実感はないけど……
 あっという間に仲良くなってしまったらしい。
 理由はいくつかあるけれど、なによりも、同年代であることが一番だと思う。
 あまり、同年代の友人が少ないのは仕方が無いことだけれど。
 それとは関係なく、打算も欺瞞も無く話す人とは、久しぶりに会えた気がする。
 そして、なんとなく判った。
 解ってしまった。
 この新人は。

 どこにでもいるような、普通の女の子。
 でも、普通の感性を持ちながら、それでは収まりきらない才能を持っている。
 まるで、磨く前の原石が、それでも……ときに美しいように。

 話は楽しかったが、夜になってしまっていた。
 終わりにしないと、いつまでもこのまま話し続けることになってしまう。
 明日も仕事だから、仕方なしに話を切り上げる。
 別れるとき、彼女はこちらに微笑んでいた。

 普通の少女。
 星のように、冬空で小さく輝いているだけだ。
 今は、……まだ。
 透き通るように純粋な、彼女のその笑みを見て、少しだけ怖くなった。
 この娘は、きっと私に追いつくだろう。
 悪意も無く、ただ純粋に憧れる。
 だから、真っ直ぐに上へと昇れる。

 ……勝てるだろうか。
 この少女よりも、輝いていられるのだろうか。

 ううん、できるかどうかなんて関係ない。
 私は、この娘よりも輝き続けてみせる……。


 こうして私は、初めて、本当のライバルと出逢った――




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