『彷徨いのノウウェイ』



 目覚めると種種様々の凶器を持ったみんなが居た。
「え?」
 夢かと思ったが確かめる間もない。光が俺を突き刺そうとしているのが見えたからだ。剣だ。舞だった。
「ってま、舞、ちょっと待てーっ!」
「……いや」
 ずぶり、と鈍い音。ベッドに突き立っていたのはもちろん、西洋風の舞の愛剣だった。しかしじっくりと観察している時間はない。キリキリ舞い。斬り斬り舞。わあ韻を踏んでるよー。
「えっと」
「あははーっ」
 笑いながらハンマーを振り下ろしてきた。佐祐理さんは可愛いなぁ……いやそんな場合じゃない。髪の毛を揺らす風がまとわりついたまま、巨大な質量はベッドを打ち壊した。あっさりと真っ二つに割れるベッドはどこか現実味を感じさせない。夢のようだ。佐祐理さんは真っ直ぐに叩き付けたハンマーを持ち上げる。どこにそんな力があるのか不思議だった。華奢だお嬢様だとばかり思っていたが、どうやら俺の目は節穴だったようだ。面白いくらい軽々とハンマーが頭に向かってくる。
「ゴールデンハンマーのお時間ですよ。チャンスなんです祐一さん」
「佐祐理さん、少し落ち着いてくれっ」
「…嫌です」
「それキャラ違うしっ」
 どがん。漫画的な音だったが、綺麗に二階の床を打ち抜いてくれた。一階の様子が良く見える。見える。そう、こちらに向けてボウガンを向けている天野美汐の動きがひどく鮮明に。
「お前もかーっ!」
「失礼ですね」
「なにがっ」
「お前、だなんて――結婚してからにしてくださいね、相沢さん」
「…………げ」
「げ、って?」
「ラジみしーっ!?」
「遠慮無くこの胸のなかに飛び込んできてくださいっ」
「きゃー」
 天野の愛の矢(但し致死性。しかも脳天及び心臓を完璧に狙っていた矢は反射的に体を反らしたおかげで現在は天井でその存在を主張している。二射目を用意している姿も視界の端に映っている)から命からがら逃げ出す。
 とはいえ俺が二階にいる以上は一階を通らなければならない。まず舞と佐祐理さんを避けなければ。そう、ここを抜けても美汐以外にも他の――他?
 ひどくヤバそうな予感が天使の姿を借りて目の前に映し出された。ああ、せめてこれが本物の天使なら救いもあっただろうに。
 舞と佐祐理さんの脇からドスを持って突撃してきたあゆ。あ、っと叫ぶ間も無く、しかし俺はギリギリでひらりと避ける。一瞬の攻防だった。失敗すれば終わるという、まさに闘牛士のごとくステップをして一歩横に。紙一重。すなわち突進したあゆはガラクタと化したベッドに引っかかってもがいている。
「……やはり小学生か」
「小学生じゃないもんっ」
「頭を働かせればそうなることくらいわかるだろうに」
「祐一くんのばかーっ」
「なんだとぅっ、ばかとはなんだあゆのくせに」
「祐一くんが悪い。悪いったら悪いんだよっ」
「ああん?」
「ガラ悪いし」
「ふっ。鉄砲玉と成り果てたやつになんて言われても別に知ったことじゃないな。おおかた、高級たい焼きが報酬だろ」
「うぐぅっ、祐一くんなんで知ってるの?」
 肩をすくめずにはいられなかった。横を見ると、舞も無表情ながらに同情の目つきで佐祐理さんは微笑んだまま、一応待っててくれてる。ああ、嬉しいなあ。
「……たい焼きのために殺されそうになるとはな」
 人生って儚いね。

 とりあえずあゆを瓦礫の山(元ベッド)に捨てて、ゆっくりと舞と佐祐理さんに対峙する。逃げなければならない。とりあえずなんで殺されそうになってるのかはこの場を離れてから調べよう。ほら、いまにも殺意びんびんで向かってきそうだし。
「……えいっ」
 秋子さんの声だった。
 しかもなんかオレンジ色の悪魔が微笑んでいる気がした。
 ゆっくりと投げつけられたビンは空いてるのに中身も漏れない。
 ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと。
 そして俺に辿り着くころには空気も腐っていくように見えた。回りがなんか歪んでる。くるくると時間とか空間とかがハチャメチャになっていく。そのままどろりとした液体じみた妙なものが。きゃあ。さすがよくある最終兵器。色々なところで神様とか悪魔とか最強とかを倒してる凶器だ。素晴らしい威力だと思った。
 でも俺は避けた。触れるとたぶんスライム状になってしまうか、走り続けてバターになるか、もしくは「えいえんのせかい」に閉じこめられるに違いない。うわぁ怖いよぅ。助けてママン。
「祐一さん、避けちゃだめですよ?」
「えとですね、秋子さん。とりあえずあゆがすごいことになってますけど」
 べつに掛かってもあゆは溶けなかったが、どうやら顔面にぶちまけられたジャムが口に入ったらしい。泣いていた。止め処なく涙を流し、口に出来ないはき出せない、悪夢のようなこれの不味さを必死に訴えている。もがき苦しんでいる。可哀想なほどだ。こちらまで泣いてしまいそうなほどだ。
 あゆの姿はまさしく勇者だった。秋子さんはにっこりと笑ってジャムを取り上げて、あゆの顔を拭いてあげていた。優しかった。
「じゃあ、あゆちゃんは私が看病しますから。ちゃんと病人食も食べさせてあげないといけないですし。あとは頼みましたよ祐一さん」
「……展開の早さについていけないんですが」
「世の中、知らないほうがいいこともあるんです」
「はい。イエス、マム」
 とりあえず敬礼してみた。
 まあ、あゆはきっと大丈夫だろう。あれは究極の魔術武装とかじゃなくて、単に秋子さんのただひとつの趣味なのだろうから。得体の知れない魔法のような未確認物質ではなく、ごくごく普通のジャムなのだ。
 ただ、死ぬほどマズイだけだ。最後には、どうか……あゆに合掌を。いやさ、もう幸せって言葉からはかけ離れた運命だし。 そう、たい焼きは海に還るべきなんだ。

 さていいかげんふたりから逃げ出さないと。
「祐一さん、えっと、ちょっと動かないでくださいねー」
「…嫌です」
 今度はこちらがこの言葉を使う番だった。
 えいやっ、と可愛らしいかけ声と一緒に振り下ろされたチェーンソー。
「え?」
 さっきまでのハンマーはどこいったっ!?
「……せいっ」
 無言で振り切る瞬間に突然声を出して踏み込んできた舞。手に持っているのは、なんだろう。名前が思い出せない。ええと、うんと、あれだあれ。ロープレとかでお馴染みの――
「バスタードソードっ!」
 思い出した。
「……とうっ」
 横薙ぎで顔面の数センチ前をおっそろしい勢いで通り過ぎていった。ぶぅん。風があとから追いかけていく。あ、なんかもう泣きそう。
 とりあえず失禁してないのは僥倖だ。まだ死んでないのも幸運だ。ああ、神様がいるとしたらこんな俺を救おうと手を尽くしてくれているに違いない。ありがとう。ありがとうワンダフルでビューチホーな神様……
「というわけで」
「その声は……」
「相沢君、覚悟はいい?」
 神様のばかやろう。そんなにハーレムが羨ましいか!? 俺は嫌だぞこんな状況!!
 目の前に毎度よくある武闘派な小説ではお馴染み、メリケンサックを異様に使い慣れた様子で(しかも使い込まれているらしく、なんかちゃんと洗って血がこびりついていないくせに、ひどく茶色い錆が浮いている)力を入れずに立っていた。怖えよ。
「さぁて、逃げられると思わないようにね」
 舌なめずりしてますよこのひと。俺、仔猫ちゃんですか。
「佐祐理さん、助けて……はくれそうにないですねゴメンナサイ」
「頑張ってくださいねー、祐一さん」
 獅子は千尋の谷に子供を突き落とすという。そしてはい上がってきた者だけを育てるのだ。ああ、なんていう親子の絆を伺わせる感動的なお話だろう。
 突き落としたうえに硫酸ぶっかけてくれる愉快なひとたちばっかりですか。ここにいるのは悪魔ばっかりか。なんでこう、知り合いに命狙われなきゃならんのだ。誰か教えてくれないもんかな。ったく。
 あ、思いついた。
「そうだ、呼んでみよう!」
「誰を?」
「殺村凶子、キミに決めたっ!」
 でもモンスターボールは持っていなかったので声だけが虚しく響き渡った。ちょっと恥ずかしかった。なんとも水瀬家は平和だった。
「殺村凶子じゃなーいっ!」
 何故か背後のソファ(いつのまに設置されていたのか知らないが、ひどく悪趣味な柄だった。肉まんがいっぱいくっついて、いつしかキング肉まんになるまでの過程が描かれている)から小柄な少女が飛び出してきた。
「ビバ殺村」
「だれが殺村かっ」
「でもその口調だと真の乙女を目指すことになっちゃうから禁止」
「だれそれ」
「貴様、それでも記憶喪失少女かっ」
「……えっとぉ……って記憶喪失なんだから絶対知らないじゃないっ」
「そうだったのか。ご苦労」
「まったくもう、なんのために真琴はでてきたのよぅ……」
 そしてソファーに還っていく真琴。どこから出てきたのかと興味津々で見ていると、あら不思議。隙間に体を潜り込ませて忍び込んでいった。これはさすがに見つけられるわけもない。いや、いままでソファーの存在すら気づいていなかったんだが。
「じゃあよっこらしょ」
「わぁ、きゃっ!? ゆ、ゆういちーっ!」
「なんだ?」
「なにすました声で平然とあたしの上に座ってるのよぉっ」
「ああそうかゴメンゴメン」
「祐一、どいてっ」
「それとこれとは別問題だな」
「どこがよっ」
「まあそんな些細なことはともかく、どうやって香里と舞と佐祐理さんから逃げ出すかなぁ」
「相沢君、よくこの状況下で、あたしたち目の前にくつろいでるわねえ」
「褒め称えろ」
「殴って良い?」
「わあゴメンナサイゴメンナサイボクいい子になるよ」
「よろしい」
 わあ、ナイスコント。

「ボケ殺しはひどいと思うよな」
「いいえ、それもまたボケじゃないかしら」
 こんな会話をしながらも、俺は真面目な表情で香里の隙をうかがっていた。どうにか逃げ出せないか。精一杯の思考を巡らす。手には汗を握りしめ、少しべたついて気持ち悪い。冷や汗か。背筋を走るのは恐怖だろうか。俺はなんとか虚勢を張ってこう叫んだ。
「とりあえず命だけはお助けを」
「…嫌です」
「香里もその台詞使うのかよっ」
 みんな茜にラブなのか。
「さてそろそろ決着を着けましょう」
「なんの決着だ」
「もちろん」
「それは」
「♪そーれーはー」
「♪素晴らしいー」
「♪明日のー」
「♪ためにー」
「♪することなのさー」
 なんでミュージカル風やねん。しかも舞まで参加してるし、香里はいきなり宝塚風だし。むしろ不気味だった。いや似合うけどな!
「相沢君いま考えたこと二秒以内に千文字以上二千文字以内で答えなさい」
「つうか二秒でそんないえるかっ」
「いえないの?」
 上目づかいに訊いてきた。なんだか可愛かった。
「香里サン、どうしてそんなに微笑んでらっしゃるのデスカ」
「慈愛ってやつよ」
「ワァ、それはスバラシイ」
「慈愛のためなら相沢君を捕獲してもいいのよ」
「嘘を付くな」
「大丈夫。ちゃんと面倒見てあげるから」
「香里、お前な……ひとをなんだと」
「男の夢のヒモでしょ?」
「どんな男の夢だそれは」
「捨てなさいよ、そんな夢」
「お前が言ったんだろーがっ!?」
 ある意味正しいが。
「ね、相沢君。あたし、一応お前呼ばわりは結婚してからじゃないと」
「……え」
「あーもうっ、恥ずかしいからこれ以上言わせないでよね」
「…………アノ」
「そうだ、この場合ご挨拶は」
「この展開は……天野と同じかーっ!!」
 すなわちラジオ版の香里さん。基本的に70%増しだと思います。
「待ちなさいよ、相沢君っ」
 俺は逃げた。
 どこまでもどこまでも、逃げて逃げて逃げ続けたかった。
 きっとそこには自由があるんだ、そう信じていた。悲しいくらい俺は自由に憧れていたのだ。こんなにも願ったのはいつかの白い夢以来だった。
 世界はどこまでも狭くて、とても冷たかった。窓から見ると外は雪が降っていた。しんしんと、静かに音を消すように。白い景色は綺麗だった。
 俺は泣いた。
 逃げて五秒で捕まった。
 とりあえずウェーブヘアーには気を付けなければならない、と思った。わかめ!
 魔女に捕まった相沢祐一。さてこれからどうなるのかご期待――しなくてもよかった。
「おい、香里。どうした」
「……来たわね」
「なにがっ」
「名雪。そう、あの凶器に対抗するために相沢君を捕まえておかなければならなかったの」
「……待て、そのわりには殺そうとしてなかったかお前ら」
「お前……お前……お前……」
「そのネタは違うゲームだから忘れろ」
「えー」
「えーじゃない」
 不満げにくちを尖らせた香里がなんかやたら可愛かった。
「えっとですね、とりあえずあの名雪さんに対抗しなきゃいけないんです。分かってくださいね、祐一さん」
 にっこりと微笑んで脅迫してくれる佐祐理さんも可愛かった。いや、とりあえず喉元に突きつけられたアイスピックは見なかったことにしよう。そのほうが人生楽しく生きられそうだし。
「祐一……でれでれしてる」
「え、そうなんですか?」
「佐祐理……いま近づくと襲われる……」
 ああ、これはきっと夢の中に違いない。そうだ。そうに決まってる。
「来たわね、名雪」
 初めに聞こえたのは足音だった。
 階段を軽いステップでとんとんと音を立てながらいつも通りの歩みで。二階に入った。ひどく現実味を帯びた色を乗せて、ドアのノブがきぃと高い響きを叫びながら回る。ノックも無しだった。
 にっこりと。
 目に入ったのは微笑。そしてナイフ。果物ナイフ。
 言葉は無い。声はない。なのに真っ直ぐに向かってくるのは捕まえられているままの俺だというのだからひどい話もあったものである。
 香里が立ち向かうように俺を盾にしたまま前に出た。
「……え」
 なんで俺が前にいるのか。
「さあ名雪、やれるもんならやってみなさい」
「香里、わたしもできればこんなことしたくなかったんだよ?」
 ふたりとも、完璧に自分の世界に浸っておられます。
 にこにこと物騒な発言が飛び交っている。
「でもね……あたしとしてもむざむざやられるつもりはないわよ」
「うん。わかってるよ。じゃあ、最後の瞬間まで頑張ろうね」
 ちゃき、と名雪は果物ナイフを俺に向けた。
 じゃ、となんか重そうな棘つきの鉄球が視界の隅に見えた。
 そして、女同士の戦いがいま幕を切って降ろされようとしていた、が俺に向けてふたりとも武器を向けようとしている気がしてならないのは気のせいだろうか。とうか気のせいであってもらわなきゃ困る。
「さあ、いざ尋常に勝負!」
「応っ!」
 なんでいきなり時代劇なんだよ。
 そして魔女の宴になった。阿鼻叫喚の地獄絵図。嗚呼、なんということだろう憐れ相沢祐一はイケニエとして彼女たちの世界に紛れ込んでしまったのでした。まる。
 終わり。
 というか終われ。
「名雪、相沢君のどこが好きなの?」
「えーとね……うーん、どこだろ」
 展開が飛んでるように見えるかもしれないが、そのままの流れでこうなっているあたりに不穏な空気を感じなくもない。いや、むしろ戦ってくれてたほうが良かったのかも知れない。
「そうだね、まずはアゴ」
 待て。それはテレビ版だけだ。俺は認めない!
 声を出そうとしたら果物ナイフが突きつけられた。
 ……凶器はこのためにあったのか。まさしく悪魔の所行だった。口出しさせないくせに、なんでか俺をこの場に置こうとしている。
「あとは、色々な女の子にいっぱい手を出すところとか」
 いぢめですかコレは。せめて胸のなかで叫ぶ。魂の叫びだった。いや、ちょっと泣いているけど俺は。俺は。
 強い子になりたい。心底そう思った。
「舞は?」
 佐祐理さんが促す。
「……弱いところ」
「うーん、佐祐理は……きっとこの何も考えずにひとの間合いに踏み込むところ、でしょうか」
「香里はー?」
「前、いきなりあたしの口を相沢君は手で押さえて――」
 ラジオネタを使うな。香里が秋子さんをおば(検閲)呼ばわりしてたと誤解されそうになったのを必死で止めていたというのに。俺か。俺のせいなのかっ。
「うわ、祐一のえっち」
「むぐーっ」
 いつの間にか猿ぐつわを噛まされている可哀想な俺。まじ泣きそう。
「祐一くんはねー、きっとひどいからもてるんだね」
 うんうん、と頷きながらいつ復活したのか話に混ざるあゆ。あとでこいつは絶対泣かしちゃる。
 もう人間は信用できなかった。人間不信だ。
「真琴はねー、ほら、殺したいほど憎いやつだからー」
「……なんか違う気が」
「とりあえず、狐から人間になってから寝首を掻こうかなぁ、って」
「むぐぁーっ!! もう誰も信じねえぞ!」
「祐一うるさい」
「ぐ」
 真琴、貴様はそこまで策士だったのか。もう動物も信用出来なくなってしまった。この世はこんなんばっかりなのか。
 ちょっと本気で泣いた。
 ……しくしく。
 あれ、よく考えると一名足りない気がする。
 どうしたんだろう、と考えたら急に景色が揺らめき始めた。なんでだろうと思って下を見ると、床に零れた(というかビンから蠢いて俺の方に近寄ってくる不定形のオレンジ色の)あのジャムが水瀬家を分解していた。
「おーい、祐一くーん」
「うわ、リアルたい焼きが喋ってる……」
「誰がたい焼きなんだよっ! 大体何がリアルなんだようっ!?」
「ああ、鮎か」
「……なんか漢字っぽいよぉ」
「気のせいだ。で、こんなときにどうした。俺は今見て分かる通り忙しいんだが」
「うん。助けに来たんだよ。お助け代金はたい焼き二百個にしとくよっ」
「海に還れ」
「うぐぅっ!?」
 いや、鮎だから川だけどな。
 それはともかく、あゆがどこかに泣きながら走っていった(……たい焼きだったはずなんだが。いつの間に足が生えたんだろう)後ろでオレンジが増えていく。バクテリアだったのかコレ。
 とりあえず身動きとれないので見守っているとしばらくして全部消えた。そのまま世界は壊れはじめ、ようやくこのワケ分からない夢から逃れられるらしい。
 まあ夢だろう。そりゃこんな現実は勘弁願いたいもんだからな。
 にゃあと一声。
 それをキッカケにオレンジ色は急激に空の向こうに飛んでいった。あ、もしかするとえいえんのせかいあたりに行ったのかも。ご愁傷様。
 まさかそれが原因で某主人公は戻って来られた、なんてオチはついてないと信じたい。つうか信じよう。

 べちょ。
 なんか妙な感触が顔にかかった。それを取ろうとしているような動きが手に取るようにわかる。というか触れている。そう、ぺったんこな動きが。

「誰がぺったんこですかっ」
「栞」
「即答しないでくださいーっ」

 目覚めると試験管を持った栞がいた。
「お目覚めですか? 祐一さん」
「見ての通りだ」
「なんか、うなされてましたけど」
「あー、思い出したくない」
「……はい?」
「夢がな、とんでもなかったんだ」
「えっと、私はいました?」
「いや」
「ちょっと残念です」
「そうでもないぞ。それはそれは恐ろしい夢だったからな」
 俺は語った。とりあえず初めから最後までそのドタバタと傍迷惑な大騒ぎの顛末を。ははは、笑い話にもならないほどごちゃごちゃした夢だったんだが。
 案外に栞は楽しそうに聞いていた。
「あ」
「どうした?」
「いえ……えーと、ごめんなさい」
「ん?」
「ちょっと色々調合してたものですから」
「調合?」
「はい。薬を」
「ええと、栞はまさか薬剤師の資格でも持ってるとか?」
「無理ですよ。年齢とか、試験とか、ちゃんとありますから」
「じゃあなんで」
「ちょっと怪しいお姉さんに教えてもらったので、試してみたんです。楽しかったのでつい調子に乗っちゃって」
「ふぅん、で、なんで謝るんだ?」
「わざとじゃないんですけど……つい、ちょっと適当に混ぜてみたら――」
 薬を適当に混ぜるな。

「ほんと、わざとじゃありません」
「よし、信じよう」
「わーいありがとうございますー。好きです祐一さん」
「なにをいきなり言っとるか」
「いまじゃないと、言えない気がしたんです」
「栞……」
「祐一さん……」
 ロマンスじみた空気が流れ出した瞬間。

 どだん。がたんばたんぐだんげだずじんずしん。

「な、なんの音だ?」
「暴徒が暴れてるみたいです」
「え」
「みなさん、なんか凶暴化しちゃったみたいで」
「栞、なにを盛ったんだ?」
「練習用にいっぱいもらったチョウセンアサガオとかです」
「誰にそんな危険なもんもらったんだ」
「ちょっとステキな黒フードのお姉さんが親切にくださったんですよ」
「……親切なのかそれ。というかそんな怪しげな奴に関わるなっ!」
「はいっ。だって俗称が「魔王」ですよ「魔王」。すごい格好いい原料じゃないですかっ」
「楽しげに語るなあっ」
「うーん、作ってる最中は楽しかったんですけど……不評みたいなので次から止めます。祐一さんはそのほうがいいんですよね?」
「ああ。というかなにを作ったんだ?」
「えっと、効果としては――」
「しては?」
「超強力な媚薬とか」
「オイ」

 入り込んできた全員は凶器を持っていた。きっと俺を捕まえてあんなことやこんなことするつもりなのだろう。ああ、どうなってしまうのか。もしかして、あれは正夢だったのだろうか。

「でも変ですっ。一番強く嗅いだはずの祐一さんがそのままだなんて! 染みこませたクロロフォルムで眠らせてたせいでしょうか」
「やっぱりわざとじゃねえか」
「ああ、しまったっ!?」

 そんな俺たちの声をかき消すように、流れ込む血走った目。
 こんな事態じゃなければ嬉しい出来事だったろうけれど。

 げ、体を動かせねえ。

「おーそーわーれーるー」


 それからおきたことについては、くちをつぐんでいようとおもいました。
 ぼくはななねんまえこのまちにこなかったんです。うん。それがいちばんなんです。

 るーるるー……

 相沢祐一(年齢不詳)は青い春と桃色の冬に彩られていました。
 見てますか、お母さんお父さん。俺はちゃんと生きていきます。

 枯れ果ててますが! もうげっそりしちゃってますが! うわーんっ!!
 女の子は怖いです。助けてください。俺が悪かったです。ごめんなさい。

 なんでこんなに涙が出てくるんだろうな……?
 人の夢と書いて儚い、か。

 ゆっくりと雪が降り注ぎ、すべてを白く埋め尽くした。
 その景色を窓の外に覗き込み、俺は静かで優しい夢を見ようと、思った。

 ぴろ……そう、ぴろだけが優しいお友達なんです。
 なあぴろ? ほぉら、俺たちはちゃんと強く生きていこうな?

 ん? どこ行くんだ。おーいぴろ。なあ。なあ……

 あ、てめえ! 何幸せそうに窓から逃げてやがる! こら待て裏切り者ーっ!!


 完。

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