たたたたっ。
足音に振り返ると、黒い服を着たみたいな、気まぐれそうな仔猫がいた。
もちろん、なんとなくの感想だった。本当にそうだかまでは羽居には分からない。
「…………」
ちょこちょこと軽快な歩みで夜の街をすり抜けていく。
さほど早くはない。別段急いでいる風でもない。
さまよっているのか、目的があるのか。
どちらかは、見ただけでは分からない。小さな体躯を目一杯に動かしていた。
なんだかとっても可愛かった。
とりあえず全力で追いかけてみた。
……気が付くと、すごい時間だった。
「あれー?」
無断で寮から抜け出してきた羽居は、ここに来てやっと状況に気づいた。
「ねこさん、どこいったのかなぁ」
すでに追いかけ始めてから四時間は経っていた。
無断外出も不可とされているのに、これでは朝までに帰れるかどうかも怪しい時間だった。
「うーん。触りたかったんだけど。ううー。どこにいっちゃったんだろ」
しかし、羽居はまったく気にしていなかった。
「ねこさんねこさん、どこー?」
見失った。
ぱたぱたと足音を立てながら、羽居が見回す。
いた。
追いかけた。
逃げられた。
「待って待ってーっ」
「……」
ちらりと後ろをかすかに見つめ、余計に速度を上げて逃げ出した。
「ねこさんねこさん、くっろねこさんっ」
妙な歌を唄いだした羽居に、黒猫は怖がるように進路を変えた。
足はそれほど早くないせいで、近づきもせず離れもせずを繰り返していた。
「……うぅー」
「……」
「かわいいなー」
「……っ」
びくっ、と黒猫の背筋に緊張がはしった。
追いかけてくる人間の目が、なぜかどうしようもなく怖かった。
……捕まったら、食べられるのかもしれない。いや喰われる。むしろ吸われる?
黒猫はそんな想いに突き動かされて、その生涯で二番目くらいに焦った。
走り回るたびに体力を消耗する。精気が足りなかった。
補給させてくれるご主人様に辿り着ければ。助けてくれる。助かる。そう思った。
とりあえず後ろから、にこにこ笑いながら追いかけてくる少女。
志貴のしもべその二(その一と同じ顔)と、志貴をいぢめてくる敵(赤いの)と同じくらいに怖い。
しもべ一はいいひとらしいけれど。志貴を起こして楽しい夢の邪魔をするから実は嫌いだ。
あの家は魔窟だと、黒猫――レンの目には認識されていた。
形態ねこもーど。こんなところに弱点があったとわ、お天道さまでも思うめえ。
そんな言葉が魔術回路がいっぱいに詰まった脳裏に浮かんでいた。
レンは最近、遠野家の屋敷二階主人のしもべその二たる人物の部屋で、勝手に時代劇を見ていたのだ。
ちなみにお気に入りは、『三十路の知得留』という任侠たっぷりの三流時代劇の映画特番だった。
不遇の主人公が笑える。
「ねこさんっ。ぷりーずすとっぷざきゃっと!」
……その英語違う。そういうツッコミもレンにはしている余裕はなかった。
初めから猫である状態のレンには言葉を喋る能力は備わっていなかったが。
後ろを見ずに走った。
前も見ずに追いかけた。
どこかに入り込もうとしたレンに向かって、ラストスパートをかける羽居。
それでも笑っている根性には黒猫も驚かずにはいられない。
ホラー?
レンがそんな風に思った瞬間だった。
べしゃ。
「……」
「……」
転んだ。
振り返った。
羽居は、地面にこれ以上ないくらいぴったりと貼りついていた。
木々の生い茂る暗い森。(おそらく自然発生しそうにない)怪しげな植物の宝庫。
なにやら奇声を発する未確認物体が徘徊していそうだった。良く知る庭の裏面だった。
寄生されそう。
レンはちょっぴり涙目になった。
羽居がずりずりと這っていた。
おそるおそるレンが針路を変更して、戻ってくる。生きているかどうか怪しかった。
「……」
約1メートル。それだけの距離を空けて、接敵した。
生きるか死ぬか。
闘わなければ生き残れない! ……なんか違う気もしたが、レンはノリノリだった。
ひくひくと震える羽居。死徒も真っ青な勢いで地面に激突したが、その手が伸びていた。
レンの足下。
そろそろと震える手が、指が、その四肢が全て、血を求める吸血鬼の如く。
油断していた。レンは勝った、と慢心していた。気を緩めてしまっていたのだ。
嗚呼――、
なんということであるのか! ふはは。ふははははっ!!(CV:若本○夫)
「つーかまえたっ!」
「……!?」
慌てて超高速で飛びすさる黒猫の影を、なおも上回る勢いで羽居は動いた。
死闘。
その瞬間に起こったことはあまりの早さだった。
まずレンの華麗なステップ。タンゴだった。
それをすり抜けるように手が伸ばされ、かわされ、一瞬の間も空けずに足が飛んできた。
ぐるりと空中で一回転するレンに向かって逆手で掴もうとする羽居。
足で地面を踏み崩すほどの勢いが雷鳴のように響き渡った。
音の速さとほぼ同じに飛び、空中戦と相成った。
レンが回りながら体勢を整えようとしている隙に羽居はどこからかとりだしたまたたびを投げつける。
蹴り。瞬時に判断されたその反射神経はまさに驚愕のひとことでしか言い表せない。
またたびは空に散った。花火のようにキラキラと降り注ぐまたたび。(粉、既製品)
すぐさま次の一手とばかりにねこじゃらし。
レンは物欲しげに迷った表情(なにせ猫なので羽居には判別が付かなかったが)を見せたが……
逡巡のあとに後悔を振り切るように、あまりに苦難を乗り越えた勇者の視線で、その爪を振るった。
さらば、友(ねこじゃらし)よ――と言いたげな黒猫の覚悟に羽居は涙した。
映画の見過ぎである。しかしこれは闘いなのだ。もはや止めるわけにはいかないのだ。
そんな決意で羽居が続く攻撃を仕掛けた。のどを撫でる。ごろにゃあーんと言って欲しかった。
だがその決死の行動にもレンは耐えた。
耐え抜いた。
耐え抜いた後に反撃をしかけた。儚い抵抗だったが、虚しく、羽居はその攻撃に負けた。
夢の世界に堕ちた。甘美で耽美な素晴らしき誘惑の夢のなかへと。
それを例えるのならば、まさしく死闘。
嗚呼――、
これほどの死闘を見ることが出来ようとは……くふふふふははああぁああっ!!(CV:中田○治)
かくして、三澤羽居は夢を視ていた。
追いかけていた、その黒猫の夢を。
「うぅん。かわいー、ねこさんらぶー」
「……」
とりあえず、その猫をこれ以上ないってくらい撫でるという目的は果たせたので、めでたしめでたし。
その夢を見せた側であるレンは、夢のなかで羽居に嫌になるほど抱きしめられたので、ぐったり。
世の中、なるよーになるものである、という教訓であった。
なお、レンの逃げ込もうとした……つまり、辿り着いた先は遠野家屋敷。
庭で寝ぼけていた羽居が秋葉に抱きついて、それを志貴が見て、さらに琥珀が口を出し。
誤解はとんでもない方向にロケット砲の勢いさながらに暴走していくが――それはまた別のお話。
完。
戻る