「Waiting for you」 



 喫茶店「エコーズ」の店内。
 マスターが独りで作業していると、二人の客がやってきた。
 静かな雰囲気の店内では、常連には、もはや見慣れた人影。
 流れる音楽が、雰囲気を作り上げているようにも見える。
 奥のテーブル席で、楽しげに話している。

「由綺……、明日なんだけど空いてる?」
「えっと、うん。空いてるけど」
 二人は、奥の席に座ると話を始めていた。
 若い女性の声。
 深く腰掛けた女性は笑みを浮かべていた。
 もう片方の女性は、椅子に引っかかった衣服を外しながら話している。
 どうにか外せたらしい。安堵の息を吐いている。
 マスターが注文を聞きに行く。
 深みのある、渋い声。
「ご注文は?」
 聞き慣れたふたりは、メニューを見ている。
 大抵の場合、いつも頼んでいるものに決まるが。
「えっと、私はナポリタンと紅茶で。理奈ちゃんは?」
「うーん。とりあえず珈琲だけで」
 豆はいつもの、と理奈が付け加えたことに頷きながら、マスターはカウンターへ戻る。
 客は、ふたりしかいない。
「で、空いているなら、ちょっと付き合って欲しいのよ」
「へ? なんで」
 本当に不思議そうに訊く由綺。
 理奈が言葉を探して、小さく間を溜めた。
「最近、選ぶ服が全部似たような感じになっちゃててね。由綺の意見を聞きたいのよ」
「う……ん。判ったけど」
 歯切れの悪い返事。
 自分の服を一通り見回して、それから理奈のほうを向く。
 軽く、由綺は言いにくそうにしてから呟く。
「でも、私の選ぶ服でいいのかな……」
「ええ」
 たったひとこと。
 微塵の迷いも見せず、理奈が肯定した。
 戸惑った顔の由綺に、少し言葉を付け加える。
「気になるなら……そうね、参考程度にするから、っていうのはどう?」
「まあ、それならいいけど」
 由綺は、困ったように笑った。
 返事を訊いて理奈が口を開く。
「それで、どこの店にする?」
「うーん。理奈ちゃんの知ってる店は?」
「そうねぇ……無いことはないけど、由綺に選んで欲しいから」
 理奈はにこりと微笑んで、それで決まり、と告げた。
 それから一分ほど経って、風が流れる。
 風に運ばれて、いい匂いが店内を満たす。
 コーヒーが先に来た。
 置かれたカップに口を付ける理奈。
 砂糖は二杯。
 スプーンでかき混ぜる。
「うん。やっぱりここの珈琲はおいしいわね」
 そう、理奈が呟く。
 水面が廻るコーヒーに映る、微笑。
 しばらくして、由綺の頼んだメニューも届く。
 ふたりで互いの顔を見て、笑いながらゆっくりと食べ始めた。


「理奈ちゃん……こんなのはどう?」
「あのね……そりゃ由綺なら似合うでしょうけどね。
 私はこういう少女趣味の服、あんまり着たことが無いのよ」
 店内の最奥で、困ったように呟く理奈。
 確かに困っているのだろう。
 どんな服でも、似合うのは間違いないと思っているのは回りの人間だけだ。
 本人は、納得のいくものを探さずにはいられないらしい。
 とりあえず、といった風に、由綺は次の服を出してみる。
 自信なさげに出されたそれは、理奈の目の前で広げられる。
「うーん。じゃあ、これは?」
「あんまり変わらないって」
 店の店員は、戦々恐々といったふうにこちらを伺っている。
 当然といえば、当然の反応かもしれない。
 大物芸能人に下手に口を出せるほど大きな店ではない。
 有名な客が来ること自体が珍しいほどなのだ。
 そんな様子を気にもせず、由綺が服を手に取る。
 由綺は、それを着た理奈の姿を想像して、勧めてみる。
 少し、自信ありげに。
「あ、これいいよー。理奈ちゃんに似合ってる」
「そう?」
 理奈も満更でもないらしい。
 鏡の前に持ってきて、自分に当ててみる。
「どう?」
 緒方理奈が問い掛ける。
「うー、やっぱり理奈ちゃんならなんでも似合うよー」
 うらやましそうに答える由綺。
「じゃ、これにするわ」
 理奈は微笑んで、そのまま別の服を選ぼうとする。
 選ぶのには慣れているのか、サイズを確かめようともしない。
 そのまま別の服を手に取る。
 目が止まった。
「あ……」
「どうしたの?」
 じっと、手に取った服を見る理奈。
 そのままちらり、と横目で由綺を見てみる。
 納得したようにうなずいた。
「いいわね……」
 理奈が呟いた。
 聞こえなかったのか、問い返す由綺。
「え?」
 その聞き返した音を無視して、服を突きつける。
 そのまま鏡の前に押しながら、理奈が耳元で訊く。
「由綺、これ……どう?」
「え、えっと……」
 思案顔の由綺。
 由綺が口を開こうとした瞬間に、理奈がそれを遮る。
「反論は聞かないわ。着てみて」
「わ、私っ!?」
「はぁ……。他に誰がいるのよ」
 ため息をつきながら、選んだその服を手渡す。
「で、でも」
 由綺には精一杯の抵抗だった。
 しかし、音速で打ち破られる。
「いいからいいから」
 満面の笑みを浮かべた理奈の迫力に、由綺はあっさりと従った。 

「……思った通りね」
 満足げに由綺を見る理奈。
 由綺は、その姿に不安そうに訊いてみる。
「理奈ちゃん……なんでそんなに嬉しそうなの?」
「ここまで由綺に似合うなんて思ってなかったし、大成功っ!」
 由綺の言葉を無視。
 楽しそうに笑う。
 黙殺された由綺は鏡を見てみる。
「あ、可愛い」
 由綺がつぶやく。
 いいなぁー、と嬉しそうに言葉を続ける。
「気に入った?」
 理奈は、少しだけ得意げにそんなことを訊く。
「うん、……でも」
 言いよどむ由綺。
「理奈ちゃん、こんなに高い服、私、買えない……」
 惜しそうに服を見て、情けない声をあげる由綺。
 うー、と唸っている。
 悔しい、と体全体で表現していた。
「ちょっと値札見せて?」
 ごそごそ音を立てながら、由綺が値札の位置を指し示す。
「なるほど……これで決まりね」
 理奈は、やはり嬉しそうに呟く。
 間抜けな声を挙げる由綺。
「へ?」
「さて、と。じゃ、由綺は先に外に出てて」
「あの、理奈ちゃん?」
「いいからいいからっ」
 押し出すように、店の外へと。
 姿が見えなくなったのを確認して、理奈が店員を呼ぶ。
 慌てて近寄ってくる店員に服を渡す。
「これ、お願いします」


 理奈が店内から出てきた。
 店の外で待っていた由綺に、手を振ってそれを知らせている。
「あ、由綺。終わったわよ」
「えーと」
 小さく口の中で言葉を留めながら、由綺が視線を向ける。
 服が入っていると思われる紙袋が、ふたつ。
 由綺が、そのひとつを渡される。
「理奈ちゃん……これは?」
「さっきの服」
 当然でしょ? と言わんばかりの笑み。
「え、え……なんで?」
 由綺が不思議そうに聞いてくる。
 理奈は、ポン、と由綺の頭に手を置く。
「ま、私からのプレゼントよ」 
「こんな高いもの、もらえないよー」
 あわてる由綺。
 その姿に理奈は笑いながら、もう一言付け加える。
「ちょっと早いけど……。友達に誕生日プレゼントよ。受け取れない理由はないでしょ?」
 イタズラに成功したみたいに、楽しそうにしている。
 言葉に、初めて気付いたような驚きの声。
「誕生日……あっ!」
「まあ、当日は色々と由綺の都合もあるだろうし。どうせなら驚かせてあげたいからね」
「あ、ありがとう。……理奈ちゃん」
 由綺が嬉しそうにお礼を言う。
 その言葉に、理奈がはにかむように返す。
「ええ、私も……ありがとう」
 その言葉に、どうして、と不思議そうな顔をする由綺。
 無言の疑問に、すこし照れたようになる理奈。
 言い訳のように、口の中でだけつぶやく。 
「服なんて、ひとに選んでもらったことがなかったからね……」



 エコーズにて。
 マスターが新作のメニューを考えていると、ドアを開けて、入ってきた人影がふたつ。
 前回と同じように席に向かう。
 片方は、途中で椅子に引っかかって転びそうになった。

「今日はありがとう……」
「よかったわ。喜んでもらえて」
 理奈は笑みを浮かべて、珈琲を頼む。
 ちゃっかり由綺の分も頼んでおくことを忘れない。
「理奈ちゃん、でも、本当にいいの?」
 まだ気にしているらしい。
 ちらちらと紙袋へと視線を向けている。
「あたりまえでしょ」
「でもー」
 尚も言いつのろう由綺の顔に、理奈が自分の顔を近づけてささやく。
「遠慮する必要なんてないの。判った?」
「……うん」
 ようやく納得したような由綺。
 理奈は笑いながら、運ばれてきた珈琲に軽く砂糖を入れる。
「それでも気になる?」
「うん」
 素直に頷く由綺。
「なら、……そうね」
 理奈は、考えている素振りを見せる。
 と、言葉を思いついたように、表情が変わる。
「……?」
 由綺の顔が不思議そうに、理奈の真剣な顔を見つめている。
 真っ直ぐに、理奈が言った。

「いつか、私と同じところまで上ってきなさい」

「理奈ちゃんと……同じところに」
 そうすれば、遠慮などいらない。
 対等だ、と理奈の目が語っていた。
「どうかしら。頑張れる?」
 由綺は深刻そうな顔をして、決意を固めたかのような表情になる。
 一転して、笑顔になった。
「うんっ。がんばる」
 答えた由綺の笑顔につられるように、理奈が可愛らしく微笑む。
 理奈は、何気なく言った。

「じゃあ、それまで、由綺が来るのを待ってるからね」

 飲み終えた珈琲のカップをテーブルに置いて、立ち上がる理奈。   
 勘定を手にして、そのままマスターに声をかける。
 それを見て、慌てて立ち上がろうとする由綺。
 座っているようにと手で制する。
「まだ食べ終わってないでしょ……それに、例の彼が来るんじゃない?」
「あ……うん。そうだけど……」
「じゃあね」
 由綺に手を振りながら、颯爽と店を出る理奈。
 道行く誰もの目を引いて、堂々と歩き出す。

「さーて、宣言した以上は、こんなところで負けてなんていられないかぁ」

 そう言って、
 トップアイドル緒方理奈は、本当に楽しそうに微笑んだ。



戻る
inserted by FC2 system